過保護な医者に心ごと救われて 〜夜を彷徨った私の鼓動が、あなたで満ちていく〜
午前10時を回った頃。
神崎は医局のデスクに座り、電子カルテの画面に向かっていた。
机の上には回診で得たメモや検査結果のファイルが並べられているが、指先の動きはどこかぎこちない。

ペンを握ったまま、視線がふと、壁の時計へと向く。

――まだ10時15分。

たった五分しか経っていないことに、神崎は眉間をわずかに寄せ、深く息を吐いた。

雪乃の手術が始まったのは、午前9時過ぎ。
執刀は信頼できる外科医、チームも万全――そう分かっていても、胸の奥が静かにざわつく。

「……集中しろ」
小さく自分に言い聞かせ、カルテへと目を戻す。

しかし、患者の検査値を読みながらも、頭のどこかが手術室に置き去りにされたままだった。
静まり返った医局の空気が、いつもより重たく感じる。

背後で看護師が誰かのデータを持ってきても、その声は耳の奥でぼんやりと響くばかりだった。

何度目か分からない時計への視線――10時39分。
まだ一時間も経っていない。

神崎は椅子に深くもたれ、額に指を当てる。
「雪乃……ちゃんと麻酔、効いてるか。痛くないか。怖くないか……」

誰に届くわけでもない思考が、静かに頭の中で巡っていた。

滝川はオペに立ち会っている。
もし何かあれば、すぐに知らせが入る。
そう自分に言い聞かせても、苛立ちに似た焦燥感が胸を締めつける。

彼女の不安を何度も聞いてきた。
怖さも、諦めかけた日々も、そして――勇気を出して踏み出した朝も。

それを見てきたからこそ、神崎には何もできないこの時間が、何よりも苦しかった。

机の端に置いていたスマートフォンが震える。
しかし、それは手術の知らせではなく、別の当直医からの報告だった。

一度だけ、深く目を閉じる。
そしてもう一度、カルテを開き直す。
「……終わったら、必ず迎えに行く」

小さく呟いた声は、医局の誰にも聞かれなかったが、
それは神崎自身を支える静かな誓いだった。
< 203 / 228 >

この作品をシェア

pagetop