過保護な医者に心ごと救われて 〜夜を彷徨った私の鼓動が、あなたで満ちていく〜
涙を流し終えたあと、雪乃はそっと目元をぬぐった。
「……泣くと、頭が痛くなりますね」

「薬の影響もあるかも。少し横になる?」

神崎が言うと、雪乃は首を横に振った。
「大丈夫です。むしろ、ちょっと起きてたい気分かも」

「そう。じゃあ、今のうちに少しだけ、今後の治療について説明しておくね」

神崎は持ってきたファイルを膝に置いた。

カルテを開く指先は丁寧で、けれど迷いがない。

「今日の抗菌薬、初回だったから副作用が出たけど、今後は薬の種類を調整していく。反応が少ないものを見極めて、継続的に使っていく必要がある。感染性心内膜炎の治療は、基本的に点滴での抗菌薬投与を数週間単位で続けるのが標準なんだ」

「……数週間、ですか」

「うん。もしかしたら、それ以上になる可能性もあるけど、途中で薬をやめると再発や悪化のリスクが上がる。だから、途中で退院するのはあまりおすすめしない」

雪乃は、眉をわずかにしかめた。

けれど、さっきまでのような動揺ではなかった。

ただ、現実を受け止めようとする苦さだった。

「……わかってます。治すためには、ちゃんと治療しなきゃいけないって。頭では、ちゃんと……」

「不安になるのは、当然だからね。でも、一人じゃないよ。俺たち医療チームがちゃんと支える。岸本さんとも今日、面談したよね?」

「はい。お金のことや保険証のこと……親身になって聞いてくれました」

「それはよかった。岸本さん、すごく信頼できる人だから。困ったら、なんでも頼って大丈夫」

「……先生が、相談した人ですよね? 以前」

神崎は、一瞬だけ表情を和らげた。

「そう。君が最初に外来に来たとき、正直、このままだと医療にアクセスできなくなると思ってた。だから、念のため、岸本さんに状況だけ共有しておいた」

「……あの頃の私は、まさか今ここで入院してるなんて、想像もしてなかった」

「でも来てくれた。ちゃんと、自分の体の異変に向き合って。あれは、大きな一歩だったと思う」

雪乃は、俯いた視線をほんの少しだけ持ち上げた。
「……今はまだ、ちょっと怖いです。でも、あの時みたいに“もういい”って思わなくなりました」

「それが何より大事。——ちゃんと、生きたいって、思ってくれてるんだなって、感じるから」

神崎の声は静かで、温かかった。

言葉が染みるように、ゆっくりと雪乃の胸の奥に届いていく。

「生きるって、しんどいですけどね」
「うん、しんどい。でも、きっとそれだけじゃない」

病室の窓からは、沈みかけた夕陽がやわらかい光を差し込んでいた。

淡いオレンジ色が、カーテン越しに雪乃の髪に影を落とす。

「——神崎先生」
「なに?」

「……もう少しだけ、そばにいてもらってもいいですか」

その問いに、神崎は言葉なく頷いた。

すでに彼は雪乃のすぐそばに座っていた。
ただそのまま、少しだけ椅子を引き寄せ、背を預けるようにして彼女の視線に寄り添う。

何も言わず、何もせず。
ただ、隣にいるという静かな意志だけが、そっとそこにあった。

その沈黙は、ふたりの距離をもう一歩だけ、確かに近づけた。
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