上野発、午前零時

第五話 「イタリアンレストラン」

 待ち合わせは、十八時に高田馬場のBIGBOX前。明日香にとっては、昼ごはんの時間だ。

 ジーンズにブラックのTシャツ、ベージュの半袖ジャケット。
 上着以外は、仕事のときとほとんど変わらない。もちろん、化粧もしなかった。

 BIGBOXの前に立っていると、向こうから歩いてくる人影が見えた。
 グレーのチノパンに、白いサマージャケット。軽やかで、少しきれいめな格好。

 直樹だった。
 作業着姿しか知らなかった明日香には、その姿が少し新鮮に映った。

「行きましょう」

 短く言って、直樹は歩き出す。明日香も黙ってその隣に並んだ。

 駅前広場を抜け、信号を渡る。日曜の夕方の街は、ほどよくにぎわっていた。

 二人は、カジュアルなイタリアンレストランに入った。
 明るい照明の店内には、学生らしいカップルが何組もいて、賑やかな笑い声が響いていた。

 奥の少し静かな席に通され、二人は向かい合ってメニューを開いた。

「明日香さん、仕事のときと変わらないね」

 直樹が笑いながら言う。

「どういう意味よ。何か変な期待してない?」

「いやいや、そうじゃなくて。なんていうか、ブレないというか……かっこいいと思う」

「そう言われると、逆に照れる」

 言ってから、思わず少し目をそらす。
 こんな店で食事をするのは久しぶりで、思った以上に落ち着かなかった。

「何か食べたいの、ある?」

「パスタかな。トマト系。あっさりしてるのがいい」

「じゃあ、僕はクリーム系にして、ちょっと交換しようか」

「……女の子か」

「えっ。普通にしてましたけど」

 笑い合って、少しだけ場が和んだ。
 メニューを閉じて注文を終える頃には、明日香の肩の力もいくぶん抜けていた。

 店内のざわめきの中、ガラス越しに沈みかけた夕陽が差し込んでいた。

 料理が運ばれてきて、しばらくは食べることに集中していた。
 トマトの酸味が程よく効いたパスタは、想像以上においしかった。

「意外と、こういう店、慣れてるね」

「劇団の打ち上げとか、ミーティングとか、よくこういうところ使うんだ」

「なるほどね」

 食べながらの会話は、以前よりもずっと自然だった。
 直樹が話す演劇のこと、大学のこと、芝居を観に来る観客のこと。
 明日香は、自分の言葉が少ないことに気づいていたけれど、それでちょうどよかった。

 話すことより、聞くことでわかることもある。
 直樹は、誰かに何かを届けたい人なんだろう。だから、こんなに一生懸命なのだと思った。

「……また舞台、書いてるの?」

「うん。今度はね、“選ばれなかった人”の話を書いてみたくて」

「それ、暗そう」

「でも、そういう人たちにも、ちゃんと物語があるって、信じたいんだ」

 言葉に迷いがなかった。明日香は、黙って頷いた。

 食後のコーヒーを飲み終え、店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。
 風が少し冷たくて、明日香は上着の襟をかるくつまんだ。

「このあと、どこか寄る?」

「ううん。帰る」

「そっか。じゃあ、駅まで送るよ」

「ありがとう」

 駅までの道、ふたりはそれほど多くを語らなかった。
 けれど、沈黙が気まずくなかったのは、たぶん、もう互いに“黙っていても大丈夫”な距離になっていたからだ。

 改札の前で、明日香は立ち止まった。

「……今日は、ありがと」

「こちらこそ」

 直樹は軽く手を振り、明日香が改札を抜けるまで見送っていた。
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