服毒
62.『快楽』
部屋の灯りは落とされて、ベッドサイドの間接照明だけが、ぼんやりとした光を辺りに投げていた。
ヨルの肌を撫でるその淡い明かりが、まるでガラス細工のように繊細で、美しかった。
レオはゆっくりと彼女の髪を梳きながら、その微かな震えも逃すまいと見つめていた。
指先が彼女の肩をなぞり、鎖骨を辿り、胸元へ。触れるごとに、彼女の息遣いがわずかに震える。それを感じ取るたび、レオは無意識に口角をゆるめた。
「……ヨル」
囁くような声。
小さく名を呼びながら、レオは彼女の頬を撫でた。ただ、彼女のことを“知ろう”とするための眼差しだった。
レオの指先は、背中へと滑っていく。
丁寧に、ゆっくりと。まるで“今ここにいるヨル”を、彼の手のひらで確かめるように。
「……くすぐったいか?」
小さく問いかける声は、どこまでも優しく低い。返事を急かすこともなく、ただその反応を静かに待っている。
熱を帯びた視線でヨルを見つめながら、そっと額に唇を落とす。
「声も、指先も、呼吸も……おまえの全部が、愛おしくて仕方ない」
そしてもう一度、指先が腰のくびれに沿ってゆるやかに動く。
「……もっと、聞かせてくれ。俺だけに」
その声には焦りも欲もない。
ただ静かに、けれど確かに――彼女のすべてを受け止めたいと願っていた。
「……んっ……」
レオの指が滑るたびに走る熱に、思わず声が漏れる。執拗に這う愛情に反応して呼吸が徐々に乱れていく。
「レオ……」
シーツを強く握り込んで彼の名を呼ぶのに、視線は逸らしたまま。上がる熱に溶けそうになる思考で静かに息を吐いた。
レオはその声に、胸の奥が焼けるような感覚を覚えた。ただ名前を呼ばれただけなのに、まるで深く求められたような錯覚に落ちる。
でも、その声の奥に微かな揺れがあった。
彼女と視線が合わない。
「……どうした?」
優しく囁いた声と共に、指先の動きを止める。
ヨルの肩にそっと唇を落として、彼は静かに問いかけた。
「……何か、不安か?」
責めるような調子ではなかった。
むしろ、心から彼女の心を知りたがっている響き。
ヨルの髪をかき上げながら、その額にそっと触れる。そして、その感情を少しでも共有できるようにと、彼は微かに身を引いた。
「ヨルが、ちゃんと幸せかどうかが……俺にとって一番大切なんだ」
静かに、でも確かに告げる声。
彼の瞳は、彼女の奥の奥まで見透かすように真剣だった。
ヨルは握り込んでいた手を解くと、レオの胸にそっと触れた。一瞬視線が交わるが、すぐに逸らして。
「私ばかりで……レオは?」
彼女の耳元はほんの少し赤くなっていた。全てを語りはしない。だが、自分がちゃんと彼を満たせているのか、そんな可愛い不安が滲んでいた。
レオは、その一言に呼吸を止めた。
彼女の指先が自分の胸に触れている。
今、この瞬間にヨルの心がどれほど震えているか、レオには痛いほど伝わっていた。
そっと、ヨルの手に重ねる。指を絡めて、自分の鼓動へと導いた。熱く、速く、高鳴る脈。早鐘のような鼓動。
「こんなに、苦しくなるくらい、おまえを感じてる」
指先が僅かにその手を握り返す。
「……おまえに溺れてるよ、ヨル」
その声は甘く、ひどく熱を帯びていた。
もっと伝わってほしいという焦がれるような想いが混ざった、どこまでも誠実で真っ直ぐな言葉だった。
「おまえの声が、肌が、表情が……」
唇を近づけて、頬に、耳に、首筋に、言葉を溶かすように触れていく。
「全部、俺をどうしようもなくするんだ。……だから」
額を寄せる。
瞳が、ようやく重なる。
「おまえが幸せになってくれることが、俺にとっての……一番の快楽だよ」
静かで、でも確かな言葉。
彼の中にある欲も愛も全部、今、ヨルだけに注がれていた。
「……レオ」
ヨルはもう一度名前を呼んで、手を彼の頬に滑らせた。今度は視線を逸らすことなく、ただ彼だけを見つめて。
そして、静かに彼を引き寄せて唇を重ねた。ちゃんと自分を感じてくれているのか、愛されているのか、必要とされているのかを確認するように、ゆっくりと甘く重ねた。
触れた唇に、レオはすぐさま応えた。
深く、けれど優しく――彼女が望むそのままに。
ただのキスじゃない。
心の奥底で抱えていた不安を、まるごと包み込むための確かめ合いだった。
ヨルの手が頬に触れたまま、ふたりの呼吸が静かに重なる。唇の合間に漏れる吐息すらも愛おしくて、レオはそっと彼女の髪を撫で、もう一度唇を重ねた。
「……大丈夫。ちゃんと、伝わってる」
唇の距離のまま、そう囁く。
彼女の不安を抱きしめるように、レオは肩を引き寄せた。抱きしめる腕に込められたのは、“絶対に手放さない”という決意。
頬に、まぶたに、唇に。
触れるたびに、彼女の存在をもっと感じていたかった。だから、そっと耳元に寄る。
「ヨルがいてくれるから、俺は……“生きてていい”って思えるんだ」
彼にとっての快楽も、救いも、全部ヨルだった。
「……なら、もっと私に触れて」
彼女はレオの手首を無理に掴むと、自分へと思い切り引き込む。そのまま自分を押し倒させる形で彼を捕まえていた。
黒い瞳は相変わらず冷たく深い。彼だけを見て、彼だけを求め続け、ヨルは柔らかく笑っていた。
「きみしか考えられないようにして……」
レオの喉が、ごくりと鳴った。
目の前にいるのは、誰よりも愛おしい“ヨル”。
なのに、今この瞬間、あまりにも綺麗で、あまりにも凶暴に愛しい。
引き込まれるままに覆い被さったレオは、目を逸らせなかった。
その冷たく澄んだ瞳の奥にある欲。それが自分だけに向けられているという事実が、理性を奪っていく。
「……ヨル」
低く呼んだその名に、彼女のまぶたがわずかに震える。
「……そんなこと言われたら、」
そう呟いて、レオはヨルの頬に触れた。
やわらかく、けれど熱をもった指先。
「おまえの全てを奪い尽くしてしまいそうだ」
もう考えることなんてできない。
息をするように触れたくなる。彼女の肌も、声も、心も、全部。
「望み通り……俺以外なんて、考えられないようにしてやる」
そう言って、彼はそのままヨルの唇を塞いだ。
深く、ゆっくりと、彼女の不安をすべて溶かすために。
触れるたび、求めるたび、
ふたりの輪郭はひとつに滲んでいく。
呼吸でさえも惜しいというように何度も、何度でも重ね続ける。ただ相手を求めて、自分を流し込んで、甘い余韻が消えないように絡めて。
「……ん……っ、レオ……」
無意識に喉が震えて、濡れた音が溢れた。
その声にレオの鼓動が荒くなる。何度も触れて、何度も交わって、それでもまだ足りない。
「……ヨル……」
その名を呼ぶたび、熱が胸の奥で広がる。
ヨルの奥まで、全部、俺で満たしたい。
もっと彼女を感じたい。もっと自分を刻みたい。
ヨルの乱れた呼吸、艶を帯びた声、潤んだ瞳。
そのすべてがレオを突き動かしていた。
「……かわいすぎる」
絞り出すような低い声とともに、そっと額を重ねる。唇が震えるほどに近い距離。触れ合う肌から、熱と愛が伝わってくる。
「こんな声……俺にしか聞かせるなよ」
吐息混じりの言葉。
それは命令じゃない。願いの形をした、レオの執着だった。
彼女の脚に手を回し、静かに引き寄せる。
もうどこにも逃がさない。
どこまでも触れて、満たして、「レオじゃなきゃ駄目」だと、身体の奥から刻み込んでいく。
快楽で甘く歪む表情のまま、レオの全てを受け入れて、触れる指先、落ちる口付け、絡む思いの全てを感じていた。
「んっ……ぁ……」
抑えたはずの声が僅かに漏れ、少し恥ずかしそうに視線を逸らす。彼の全てが今、自分だけに向けられているという事実に、彼女は何よりも快感を得ていた。
その目を伏せる仕草も、漏れる声も、潤んだ瞳も、全部がレオの胸に鋭く、甘く刺さっていく。
「……ヨル」
彼女の名を呼ぶ声は、どこか震えていた。
抑えきれない愛しさと、どうしようもない独占欲。レオは、逸らされたその視線すら愛おしくてたまらなかった。
「声、抑えなくていい」
唇を寄せながら、熱のこもった声で囁く。
今、目の前にいるこのひとが「自分のもの」だと確信できる瞬間が、レオにとって何よりの快楽だった。
「……ちゃんと感じてくれてるの、わかってる」
溺れるほどの愛しさだけが滲んだ声。
指先が彼女の頬をなぞり、耳元を撫でる。
身体はすでに限界に近いのに、それでもレオは、今のヨルをもっと刻みつけたいと願っていた。
「どこまでも、一緒に堕ちよう……」
荒くなった息の合間に、唇が触れる。
深く、何度も。彼女の呼吸を奪い、震える心を包み込むように。
そのキスに、欲も愛も全部詰め込んで、舌先で、彼女の甘い喘ぎを誘うように、深く、甘く愛を重ねていく。
「俺だけのヨルでいてくれ」
彼の手は彼女の髪に触れ、背を撫で、
指先で確かめるように体温を辿っていく。
ふたりの間に、もう隙間はない。
交わす言葉も、声も、息も、全部が「生きてる」と確かめ合うためのものだった。