服毒

70.『昼寝』


昼過ぎの帰り道、まだ陽射しは強いが風は少し柔らかくなっていた。
午前で仕事が終わったことを知らせていたが、ヨルからの返信はなかった。既読すらつかず、珍しいなと思いつつも、疲れて眠っているのかもしれないと想像する。

玄関の鍵を静かに開け、音を立てぬように靴を脱ぐ。家の中はしんと静かだった。

そっとリビングを覗くと、視界に飛び込んできたのはソファに横たわるヨルの姿。

薄手の白いシャツが少しめくれ、鎖骨から下のなだらかな腹部がわずかに覗いている。呼吸に合わせて緩やかに上下する身体。閉じられた瞼、整った睫毛、緩んだ唇。

どこまでも、無防備だった。

レオはその場で数秒立ち止まり、息を呑むように彼女を見つめた。
仕事で荒れていた神経が一気に静まるような安心感と、何かがじわりと胸の奥で疼き始める感覚。

「……まったく、」

呆れたように小さく零しながらも、声には笑みが混じっていた。ゆっくりとソファに近づく。しゃがみこみ、彼女の顔を覗き込んだ。

寝ているだけなのに、あまりにも愛おしい。
手を伸ばせば届いてしまうこの距離が、急に危ういものに思えてきた。

レオは、そっと彼女の頬に触れた。指先で撫でるだけ。だがその肌の柔らかさが、想像以上に熱を帯びていて、彼の理性を静かに溶かしていく。

触れられた温度にヨルは僅かに反応するが全く起きる気配はなかった。穏やかな呼吸のまま覗く肌には、なんの警戒もないまま。

その無防備さが、レオの胸を締め付けた。
触れた指先が離せない。

あたたかな皮膚、柔らかな頬。抵抗も拒絶もないその感触に、じわりと理性の境界がにじんでいく。

「……ヨル……」

囁くような声が、静かな部屋に溶けて消えた。

彼女の顎を指先でそっと持ち上げる。角度を変えれば、緩やかに開いた唇があらわになった。呼吸に合わせて微かに動くそれに、レオはもう目を離せなかった。

一瞬だけ目を閉じ、深く息を吐く。
そして、そっと唇を重ねた。

それは軽く、音も立てないほどのキス。
けれど、それだけで全身に電流のような感覚が走る。触れた唇が甘くて、熱くて、忘れられない。

「……駄目だな」

彼は低く呟きながら、もう一度キスを落とした。最初よりも少し深く、名残惜しげに彼女の唇を這う。

そして、手は彼女の頬から首へ、首から肩へと、ゆっくり滑っていく。めくれたシャツの裾にかかる指先。そこから覗く腹部の滑らかさに、レオの呼吸がわずかに荒くなった。

――眠ってるだけなのに、
どうしてこんなに、たまらなく愛しいんだ。

ほんの少し身じろいだ彼女の身体は、彼の手に委ねるように力を抜いていた。いつもなら悪戯に見つめ返す瞳も閉じられ、ただ彼を受け入れるように静かだった。その姿に欲が静かに目を覚ます。

レオの喉が、ごくりと音を立てて鳴った。
完全にスイッチが入ってしまった。

「そんなに無防備でいいのか……?」

囁きは独り言のようで、誰かに許しを乞うようでもあった。眠るヨルには届かないその声に、僅かに熱が滲む。

彼女の肌に指先を這わせる。
鎖骨のくぼみ、肩先の柔らかな膨らみ。その全てが薄布の下で、彼の熱を静かに受け止めていた。優しく触れているはずなのに、感触が指に絡みついて離れない。

穏やかな沈黙が、レオの欲を煽り続ける。
甘やかな匂い。心地よい吐息。自分だけが知るこの空間の中で、彼女のすべてが許されていると錯覚してしまう。

彼女の熱に、ゆっくりと指先を這わせる。胸元をなぞると、肌がびくりと微かに震えた。

「……っ、……ぅん……」

眠っているはずのヨルの唇から、甘く滲んだ息が漏れる。その吐息に耳を澄ませながら、レオはゆっくりと、時間をかけてその反応を確かめるように触れた。

首筋に、額に、頬に、唇に。
何度も同じところへ口付けを繰り返す。触れた場所が熱を帯びていくのが分かるほど、そこには確かに“生”があった。

「可愛いな……ほんとに……」

思わず漏れた囁きも、指に込める愛しさも、全て彼女のためだけにある。意識の境界を彷徨うように、ヨルはうっすらと眉を寄せ、呼吸が徐々に乱れていく。

その反応ひとつひとつに、レオは心臓を焼かれるような衝動を覚えた。堪え切れない愛しさに、再び唇を滑らせた。今度はゆっくりと、胸元から鎖骨、肩口へ。

シャツの襟元をそっと広げ、露わになった肌に触れた指先は丁寧に撫でていく。爪の先ではなく、柔らかい腹の部分で包み込むように、ただ体温を分かち合うように。

「……、ぁ……」

眠るヨルの喉から、小さな声が漏れた。
反応を確かめるように、今度は肩に唇を落とし、軽く吸う。跡が残らないように、それでも確かにそこに自分の証を残した。

彼女の脇腹へ指を這わせて、腹部の膨らみに沿って円を描く。うっすらと汗ばんだ肌が、彼の指先をすべるように迎え入れる。

息が弾んでいくのが分かる。
ヨルの体温が上がっていくのが、肌の下から伝わってくる。

「……気持ちいいか?」

囁いた声に、返事はない。けれど彼女の指先が軽く握り込まれ、太ももに力がこもっているのが視界に入る。感じているのだと、彼女の身体が教えてくれていた。

頬に、額に、そして首筋に。何度もキスを落としながら、レオは彼女を腕の中に引き寄せた。

体温が重なり、呼吸が混ざる。
思考が溶けて、もう戻れない地点がすぐそこに見えていた。

「……レ、オ……?」

抱き起こされた感覚にそっと目を覚ますヨル。まだ微睡の中、意識のハッキリとしない状態で自分に触れている存在へ視線を向けた。

身体に残る熱、無意識に上がっている自分の体温、そして抱き寄せている彼の姿。ヨルは状況を理解すると、ほんの少し目を見開いた。

自分を見つめ返す彼女の瞳。意識の朦朧としたまま、状況を理解しきれずにいる彼女の表情が、逆に彼の理性を深く揺さぶった。

「……起こしたか」

声は、思っていた以上に低く、掠れていた。
腕の中の彼女が温かくて、柔らかくて、あまりにも無防備で。さっきまでの自分の行動を思い出すと、少し後ろめたさもよぎる。

だが、その後悔を上回るほどに――今の彼は、彼女に触れていたかった。
欲しかった。この胸にある熱を、今すぐに分け与えたかった。

「……ヨル。嫌じゃなかったか?」

レオは、彼女の頬に手を添えたまま尋ねた。
その声には、強さと優しさ、そして微かに滲む不安が混ざっていた。彼の瞳は、彼女のすべてを見つめていた。眠る間にさえ触れずにはいられなくなるほど、愛しくてたまらない存在を。

「……嫌じゃ、ないけど」

彼に触れられたことで感度の上がった皮膚は、眠りから覚めたことでより強く熱を持ち始めていた。

抱き寄せられた体勢に視線を落とし、頬に触れる彼の手を辿って視線を交える。いつもと違い確実にタガの外れかかっている彼の瞳の奥に、自分がいることがその熱を加速させていた。

「……良かった」

レオの喉が鳴る。
拒まれなかったことに安堵しながらも、同時に──理性の最後の砦が、静かに軋んだ。

彼女の瞳の奥に、自分を受け入れてくれている光を見た。眠たげな視線、まだ少し熱の残る頬、微かに開いた唇。すべてがあまりにも愛おしくて、そして危うかった。

「おまえが……あまりに無防備だったから」

唇を寄せる。
彼女のまつげが微かに震えるのを感じながら、そっと額を重ねた。

「可愛すぎて、我慢できなかった」

そう呟いた彼の声は、まるで懺悔のようで、けれど確かな欲を含んでいた。

手のひらは彼女の背を撫で、指先が丁寧に、けれど迷いなく服の上から輪郭をなぞる。

次に落とした唇は、頬の端から耳元、首筋へ。ゆっくりと、彼女の許しを確かめるように辿っていく。

「……続けても、いいか」

囁く声は低く、熱を帯びて。
彼女の胸の奥に、じわりと染み込むようだった。

彼が触れるたびに甘やかな電流が走る。そんな彼の誘惑に、最初から彼女の選択肢に拒否できる隙など無かった。

「……うん」

漏れそうになる声を抑えながら、乱れ始める呼吸に眉を寄せて彼を見上げていた。

レオはその返事を聞いた瞬間、喉の奥で低く息を呑んだ。彼女の視線、揺れる吐息、ほんの僅かに上がる体温。ヨルの瞳は潤んでいて、彼の本能を、真っ直ぐに煽っていた。

「……可愛いな」

そう零した声は、もう彼自身にも抑えが効かなくなっている証だった。

ゆっくりと、ヨルの髪に指を通す。
柔らかな感触を確かめるように撫でながら、彼女の唇へと再び口づけた。今度はさっきよりも深く、ゆっくりと、愛おしむように。

それと同時に細い喉元へ滑らせた指先。その下で微かに震える脈を感じるたびに、レオの呼吸も熱を帯びていく。

スカートをめくると、太ももが露わになる。布越しに温度を確かめるように彼の指がなぞると、小さな声が漏れた。

「俺に触れられて、こんなに熱くなってる」

囁く声が、彼女の耳に落ちる。

「……ごめん、ヨル」

けれどその言葉に、後悔の色はなかった。
あるのはただ、どうしようもないほどの愛しさと、彼女への渇望だけ。

「……触れるだけのつもりだったのに」

そう呟きながら、彼はヨルの鎖骨に唇を落とした。息が触れるたび、彼女の肌が小さく震える。その一つ一つが、たまらなく愛おしい。

撫でていた指が、彼女の腹を辿る。
布の隙間から覗く肌に触れると、彼はほんの少しだけ目を伏せた。

「……もう止まらないかもしれない」

囁いたその言葉は、彼女に向けた確認であり、
同時に──自分自身への言い訳のようでもあった。

「っ……んぁ……」

寝起きの身体に対して強すぎる刺激。いつもなら隠せる声も、無意識に簡単に溢れてしまう。全身を這う感覚に、ヨルは縋るように彼の背中に手を回した。

繰り返し落とされる口付けに、ぼんやりと彼の存在だけを感じる。分かりやすい快感よりも、自分の存在が彼にとって理性を剥ぐほどの特別なものであるという実感が、彼女に幸福感を与えてくれていた。

腕の中で震えるヨルの声が、レオの耳の奥にまで響く。首筋から肩、鎖骨、そして胸元へ。彼の口づけは、まるで確かめるように静かで、しかし迷いのないものだった。

「……可愛いな、ヨル」

囁きは唇のすぐ先でこぼれた。
その声には、焦がれるような執着が滲んでいた。

彼女の白い肌に這わせた舌先が、優しくその曲線をなぞる。ヨルの体温に触れるたび、まるで自分が生かされているような錯覚に陥る。

「……もっと感じてくれ。俺のせいで、そうなってるんだろ?」

低く甘い声音で、再び彼女の唇を奪った。

重ねた想いごと、すべて飲み込むように、深く。流し込まれる甘さに呼吸すら忘れて。熱くなった息は互いの中で絡み合い、じわじわと全てを溶かしていた。

「……レオ……」

名残惜しく離れると、上がった息でヨルは彼の名を呼んだ。赤く染まった頬に潤んだ目元。レオに触れている指先は僅かに震え、幸せを纏っていた。

その名を呼ばれるだけで、腹の奥に熱が灯る。
目の前のヨルが、あまりにも甘く、脆く、触れれば壊れてしまいそうで──それでも抱きしめずにはいられなかった。

「……おまえが、そんな顔するから」

低くかすれた声。
その指先が頬にかかる髪をそっと払って、視線を交えさせる。

「もっと欲しくなる……」

彼女の耳元に舌先で触れる。
くすぐったそうに身じろぐ反応すら、彼にはたまらなかった。今のヨルは、眠気と快感の間に揺れる、いちばん無防備で、いちばん“自分だけのもの”に見えた。

レオは彼女の脚を絡め、身体を深く近づける。
そのまま、心臓の音が重なり合う距離で、額を合わせてそっと囁く。

「今さら、辞めろなんていうなよ」

その言葉は、理性の終わりを示す囁きだった。
まるで彼女の存在そのものに呑まれていくように、レオは身を預けていた。
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