ホツ・マツアの恋

第1章 雨から始まる恋

 傘をさす音ばかりが、遠ざかっていく。
 放課後の校門前で、誰かの足音に混じって、マツアはひとり立ち止まっていた。

 見えたんだ。
 長いスカートの制服。濡れた黒髪。
 セイラ(清良)先輩は、また傘を持っていなかった。
 ペタンコな鞄にはきっと何も入ってない、傘さえ入らない。
 ショーワの不良少女を一人で演じているのもカッコいいと、マツアは密かに思っていた。


 少し離れた位置から、マツアはそれをただ見ていた。
 君のまわりだけ、風が冷たく感じたのは気のせいだろうか。
 声をかけようとした。でも、無理だった。

 遅れて歩く自分の影だけが、ゆっくりと舗道に滲んでいく。
 先輩の後ろ姿が小さくなるたびに、胸の奥が、少しずつ軋むように痛んだ。

 それが、最初の雨の日だった。

 二度目の雨は、数日後だった。

 その日もセイラは、校門のそばを傘もささずに歩いていた。
 まるで、あのときの続きをなぞるかのように。

 マツアは、ふと手にしていた自分の傘を見た。

 一歩、また一歩。
 迷いながらも、彼女に向かって足を速める。
 気づけば、駆け出していた。

 びしょ濡れのままのセイラの腕に、そっと傘を差し出す。
 その手は、少し震えていたかもしれない。

「……風邪、ひきますよ」

 セイラは驚いたように顔を上げ、そして、ふっと笑った。

「そっちが入ればいいじゃん」

 マツアが首を振ると、セイラは傘を押し戻すような彼に、少しだけ声の調子を変えた。

「……一緒に入ればいい」
 セイラがじっと見つめていた。
「……あたしが怖いかい?」

 その声はまるで、マツアの心の内をずっと前から知っていたようだった。


気づけば、二人は並んで歩いていた。
  雨の音と、少しの沈黙。
  そして――

「ねぇ、いつもあたしを視ているでしょう?」
「えっ……」

 不意に、マツアの心臓が跳ねる。

「あたしの噂は聞いてるでしょう? まっ、いいけど」

 そう言ってセイラは、ふいに首を傾げて、微笑んだ。

 その一瞬。時が止まった。
 その笑顔が、マツアの胸の奥に、焼きついた。

 どんなに風が吹いても、どんなに雨に濡れても――
 たぶん、もう消えない。

「あんた、名前は? 後輩くん」
「ま、マツアです。セイラ先輩」
「マツア? わかった」

 マツアは、自分の名前の由来をふと思い出した。
 父が言っていた。

「マツアっていうのはな、伝説の王の名前なんだ。昔、海を越えて島を作った王がいたんだよ」

 そのときは笑って聞き流した。
 でも今、自分のなかに芽生えつつあるものが、いつかその伝説と重なることを、マツアはまだ知らなかった。

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