【改訂版】満月の誘惑
「飲むふりで良い。飲めないなら飲む必要はない」
囁き声で左から旦那様が助け舟を出してくださった。私が飲めないこと、分かったのかな。
旦那様の助言通り、香りが鼻に入らないように息を止めて盃を斜めに傾け、飲むふりをした。
唇に付いてしまったお酒を舌で拭うと、香りと味がダブルパンチで鼻を刺激してきて、顔のパーツ全部が真ん中に寄った。
盃を仲人さんに返すと、〝僕もこの味苦手なんだ〟と教えてくれて、少し安心。
男の人でも、お酒飲めない人っているんだ。
儀式が大方終わると、両親同士で座布団をくっつけて話し出し、叔父や叔母もお酒を酌み交わして、緩やかな談笑が始まった。
お酒はまだ飲んだことがなかった私は、お酒に触れることなく、膳に乗った料理に舌鼓を打つ。
お祝いの席は、いつも以上に素材が高級で、何を食べても目が見開いてしまう。
隣を見ると、お酒を仲人さんに注いでもらっていて、お酒が得意な方なんだと改めて思った。
お酒を見て、ハッとした。先ほどのお酒のこと、お礼がしたい。
「旦那様」
お酒が注がれ終わったところで名前を呼ぶも、盛り上がる声たちに掻き消されたのか、届かない。
もう一度呼んでみたけど、お母様の甲高い笑い声に負けた。
声だけではだめだ。ついに旦那様の羽織を掴んで引っ張った。
失礼かもしれない。高貴な場で、上座で。旦那様の羽織を掴む、はしたない女。
心の中で旦那様に謝りながら引っ張ると、思いの外顔合わせの時に見た強張った表情はなく、穏やかなお優しい顔がこちらを向いた。