丸の内もへじ

第2話|鉄板の涙と誘惑

 春菜の小さな声が、鉄板のじゅうじゅうという音に吸い込まれていく。
 「……私、犯罪者かもしれないんです……」
 そんな告白を聞くはずじゃなかった――なんて、慎司はもう思わない。

 「犯罪って……何したの?」

 わざと冗談めかして問いかけると、春菜は慎司の肩に顔を押し付けたまま、小さく震えた。


 震える声。
 酒で潤んだ目尻。
 鉄板の熱気と一緒に、春菜の体温が慎司にまとわりつく。

 「で、そいつが?」

 慎司が低く尋ねる。

 「今、その子に脅されてて……お金を……渡さないと……」

 泣きながらも、春菜の手は慎司の太ももにそっと置かれたままだった。
 理性が少しずつ熱に溶かされていくのを、慎司は自覚していた。

 「……先生、酔ってる?」

 冗談めかして言っても、春菜は答えない。
 代わりに、肩に乗せた顔を上げて、真っ赤な目で慎司を見つめた。

 「……高村さん……もう、どうにでもなっちゃえばいいのにって思うんです……。」

 吐息が近い。
 唇が、すぐそこにある。

 春菜がそっと身を起こし、バランスを崩すふりをして慎司の胸に倒れ込む。
 柔らかな感触が胸板に押し付けられた。

 「……ホテル、行きます……?」

 その声が、鉄板の音より熱かった。

 慎司は笑った。
 笑いながらも、心の奥で舌打ちする。

 ――抱ける女ほど、抱いちゃいけない。

 「……いや、その前にやることあるだろ。」

 慎司は春菜の肩をそっと押し戻した。
 指先に、確かな体温と吐息の残り香がまとわりついている。

 店主の百地が、カウンター越しに小さく目を細めた。
 黙っていても全部知ってる顔だ。

 春菜はテーブルに突っ伏して、ぐすぐすと泣きながらも慎司の袖をつかんで離さない。

 「……大丈夫。全部、俺が片付けてやる。」

 その言葉に、春菜は小さく頷いた。

 鉄板の上では、ソースが焦げて、煙がゆらりと立ちのぼる。

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