廻る世界と金色の契り

一話 二廻



 竹に囲まれた紫陽花の花が、青や桃色にその花びらを染めている。
 紫陽花に囲まれたそこに、一人の少女が立っていた。
 しとしとと、霧雨のような雫が肩を濡らす。

 けれど、そんなことも気にならないほどに、少女は目の前の男性を見つめていた。

 光の加減で真っ白に見えるほどに透き通った金色の髪、金色に輝く瞳。
 その男性が少女に向けて手を差し伸べる。
 そうしてなにか言葉を発するのだが、少女にはなにを言っているのかわからなかった。

 少女が聞き返そうと口を開くと、世界は歪んで、そうして闇に呑まれていく。





 梗華(きょうか)ははっとして目を覚ます。

「夢……」

 何度も見たことのある夢だった。
 男性が梗華に手を伸ばし、それがまるで救いであるかのように感じる夢。
 しかし結局、梗華はその手を掴むことができずに目を覚ますのだ。

「救いなんて、この世界にあるはずがないのに……」

 毎日毎日思う。眠ったら、もう目が覚めなければいいのにと。
 しかしいくら願ったところで、朝は必ずやってくる。

(きっと神様はまだ、私を楽にしてはくれないのだわ)

 逃げたくても、それができない。現状を変えたくても、自分にそんな力はない。
 梗華には、諦める以外の選択肢がなかった。

「梗華」

 襖の外から、冷ややかな声が聞こえてくる。

「起きているのなら、私の部屋にいらして」

 それだけ言うと、冷たい声は梗華の部屋の前から遠ざかっていく。

「はい……お姉様……」

 梗華は手早く右目が隠れるように白い布を巻きつけた。
 そうして自身の身支度も早々に、双子の姉である仙(せん)花(か)の部屋へと向かった。



 古来より人と(あやかし)が住まうこの世界では、二つの種族は対立し闘い続けてきた。
 人々は妖を恐れ嫌悪し、人の営みによって山を追われた妖もまた人を憎んでいた。

 代々妖を祓うことのできる特殊な力を持って生まれるこの貴宝院(きほういん)家には、仙花と梗華という二人の双子の姉妹が生まれた。
 姉の仙花は幼い頃からその頭角を現し、妖を祓う力は日を増して強くなっていく。
 一方で妹の梗華は、なんの力にも目覚めなかったどころか、右目は深紅に染まり、呪われた子、忌み子として、世間に触れることのないよう、その姿を秘匿とされていた。
 両親である廉太郎と松子は、当然出来のいい姉である仙花を可愛がった。貴宝院家の歴史に残る天才だと、仙花に目一杯の愛を注いだ。
 禍々しい紅い目を持って生まれた梗華は、両親に見捨てられ、使用人よりも酷い扱いを受けることとなった。
「どうしてこんな子が生まれてきてしまったのかしら!?」
「呪われた汚らわしい子供だ」
 廉太郎と松子は、まるでごみでも見るかのような視線を梗華へと向けていた。
 梗華はその深紅の瞳を白い布で隠すようになった。



 梗華にとって自分とは似ても似つかない双子の姉は、とても尊敬できる人物であったが、仙花が梗華に優しくすることは当然一切なかった。
 幼少の頃から、やれ貴宝院家の恥だ、やれ不出来な妹だと罵倒され続け、蔑まれ続けた。
 十六になった今も、梗華がなにかの力に目覚める気配はなく、深紅の瞳もまた変わらず彼女の右目にあった。
 毎朝早くに呼び出されては、召使いのようにこき使われている日々もずっと変わらない。

「今日は飛び切り綺麗にしてくれるかしら?」

 そう仙花に言われ、梗華は彼女の艶やかで綺麗な黒髪を束ねていく。

「姉様、今日はなにかお約束が……?」
「ええ、そうね。けれど貴女には関係ないことよ」

 声を荒らげることはないが、仙花はそう冷たく言い放つと、梗華を睨みつける。

「さっさとしてくれるかしら?無能はとことん無能ね。もっと手際よくできないの?」
「……申し訳ございません……」

 梗華の謝罪に、仙花はまた鋭く彼女を睨み付けた。

「気持ち悪い顔。早く妖にでも喰われてしまえばいいのに」

 ぼそりと仙花が呟いた言葉は、もちろん梗華の耳にも届いていた。

「着物、用意しておいてちょうだい」
「はい……」

 冷たい言葉を投げつけて、仙花は自室を出て行く。
 梗華は小さく息をつき、その長い睫毛を伏せた。
 仙花もまた、両親と同様に梗華を虐げている。それはきっと、この呪われた深紅の瞳と無能力のせいなのだろうと思うも、仙花が梗華を見る目は、いつもなにか復讐心のようなものがちらついて見えた。絶対に許さないと、そう言われているような気さえした。

(姉様のものなんて、なにひとつ取ったことなんてないというのに……。私は呪われた子……、姉様にとってもそれが気に食わないのかもしれない……)

 仙花の力のすごさは、村の外まで広がっている。毎日毎日仙花は妖退治で忙しい。
 梗華の存在意義は、使用人として貴宝院家に仕えることだけだった。







 そんな梗華の生活も、ここ数日間だけは実に穏やかなものだった。
 梗華の最近の一日は、ただただ窓の外を眺めて過ごすだけで終わる。
 使用人のようにこき使われていた梗華だが、しかしここ数日はその姿を母屋に出さないよう強く言われていた。
 仙花の結婚の準備に忙しく、来客も多いためだ。

 仙花も梗華も、結婚に適した年齢となっていた。そのため仙花には毎日のように求婚を申し込む男性が訪れ、貴宝院家はその来客におおわらわなのだった。
 仙花の力、貴宝院家の力を欲さんとする家系は多い。貴宝院としても、なるべく力の強い家系とその縁を結びたいと考えている。故にこのような来客はしばらく続くものと思われた。
 貴宝院家は、梗華の存在を外に知られることを酷く恐れていた。名門貴宝院から無能で呪われた子が生まれたとあっては、その名に傷が付く。ならば早々に殺せばいいものを、それはこの国を治める帝が禁止していた。
 ただでさえ妖との闘いが多いこの国では、人が人を殺めることは当然罪とされていた。その力はすべて妖にぶつけなくてはならないのだ。
 今まで散々暴力や罵倒を受けてきた。早く殺してほしいとさえ思った。けれどそれは叶わない。
 ならどうして自分がこの世界に存在しているのか、その意味が見い出せずに自問自答を繰り返す日々だった。
 白い布の上から、そっと自身の瞳に触れる。

(この目は本当に、人のもの……?それとも私は、妖なのかしら……)

 きっといっそ妖であったのなら、その身を容赦なく滅してもらえただろうにと、そんなことさえ思う。

(私は、なんのために生きているんだろう……)

 そんなとりとめのないことを考えて一日が終わる。
 縁側へとやってくると、綺麗な弧を描いた細い月が、梗華を照らす。
 妖は夜に活動するモノが多い。逢魔が時以降はなるべく外に出ることを控えるように言われている。
 しかしここは貴宝院の敷地内であり、強い結界が張られている。大きな力を持たない妖では到底入ることはできない。
 妖に喰われてしまえばいいのに。
 そう言った仙花の表情を思い出す。冗談なんかではなく、心の底からそう思っているのだろうことが伝わる言葉だった。

(私も、そう思います。姉様)

 月を見上げながら、梗華は願う。

(次に生まれ変わるのなら、人と妖の対立などない、闘いなどない世界で穏やかに過ごしたいです。幸せになんかなれなくてもいい。ただ、誰かの役に立てるような、そんな人間になりたいです)

 能力もなく、呪われた右目を持って生まれてしまった梗華には、誰かの役に立てるような力はない。本当にただの役立たずであり、無能なのだ。
 乾ききってしまった瞳から、涙が流れることはなかった。
 月を見上げる瞳は虚ろで、梗華の心は少しずつ色を失っていた。



 そうして離れで過ごす日が何日か続いた夜。
 庭先でなにか動物の高い鳴き声がしたような気がして、梗華は導かれるように外へ出た。
 すると、屋敷から少し離れたところで、低木ががさがさと音を立てて揺れていた。
 梗華が恐る恐るそこを覗いてみると、そこには、縄に足を引っ掛けた狐の姿があった。どうやら畑を荒らす動物を捕獲しようと仕掛けた罠に、狐がはまってしまったようだった。

「可哀想に……。今解いてあげますからね。少しじっとしていてね」

 梗華は狐の脚に絡まる縄を優しく解いてやった。
 狐は一度ぴょんと跳ねて、梗華から距離を置く。

「あまり人のいるところに降りて来てはだめよ。ご家族にもそう伝えて」

 梗華の言葉が当然わからないはずの狐なのだが、しばし梗華を見つめると、さっと森の中へ走って行った。



 次の日の夜。梗華が月を見上げていると、またなにか木々を掻き分けるような葉の音が聞こえて、気が付くと目の前には狐が座っていた。
 梗華は少し呆れたように息をつく。

「昨日の狐……よね?人がいるところには来ては駄目だと伝えたのに……」

 しかし狐はまったく梗華を警戒することなく、しなやかな足取りで梗華の隣にやってきた。
 そうして梗華と同じように月を見上げる。
 梗華は少し驚いてその狐を見ていたが、狐は梗華のことなど気にした様子もなく、落ち着いたようにその場に腰を据えていた。

「あなた、家族は?」

 梗華の言葉に、狐はぴくりとその大きな耳を動かすも当然答えることはない。

「もしかしてひとりなの?」

 狐がぶるりと身体を振った。ただ犬のように身振るいしただけなのかもしれないが、梗華はなんとなく、家族はいるのだと返事したように思った。

「そう……貴方にはちゃんと家族がいるのね……」

 梗華にだって家族はいる。けれど、両親や仙花が梗華を家族と思っていないことは明白だった。
 月の光で透き通るほどに輝く金色の毛を恐る恐る撫でてみる。
 狐は一瞬耳をぴんと立てたが、梗華が触っても嫌がる様子は見せなかった。

「温かい……」

 生き物ってこんなに温かいんだ。そんな単純なことを思う。
 梗華は生まれてこの方、ほとんど人に触れたことがない。使用人は皆、梗華を呪われた子だと蔑み、呪いがうつるとまで言われていた。存在を秘匿とされているが故に学び舎に通ったことすらなく、この屋敷以外の世界は知らないのだ。

「外の世界はどうですか?やはり、人と妖の争いは絶えないのかしら……」

 実際に妖を見たり、感じたりすることのできない梗華では、屋敷の外のことは全くわからなかった。
 しかし仙花の力は見たことがあったし、時折傷を負って帰宅することもある。闘いがあることは明白だった。

「人と妖は、どうして争うのでしょう……?共存することは難しいことなのでしょうか……」

 狐は梗華の言葉に耳を澄ませるかのように、身動きせず月を見上げていた。
 しかし月が少し雲に隠れると、狐はさっと立ち上がりまた森の中へ消えて行った。



 それからも狐は、度々梗華の前に現れるようになった。
 夜のほんの短い時間。梗華と共にその時を過ごす。
 梗華にとっては、初めての話し相手だった。他愛ない会話でさえ、梗華にとっては許されないものだったからだ。
 そんな日が何日か続いている間に、離れでの穏やかな生活は終わり、梗華は母屋に戻ることになった。



 久しぶりに見る仙花は、以前にも増してきつい表情になっており、梗華を見るなり容赦なく平手打ちをした。髪を引っ張り、梗華を突き飛ばす。

「どうしてこうも無能ばかりなの!!」

 仙花は叫ぶと怒り狂ったように自室へ戻って行った。
 使用人達の噂話によると、どうやら仙花の望む結婚相手が見つからなかったらしい。どの家系も能力に乏しく、仙花に勝る力を持つ者はいなかったのだ。

「それで仙花様は荒れていらっしゃるのね」

 そうこそこそ話す使用人に紛れ、梗華も屋敷の掃除を進めていく。

(姉様ほどの強大な力を持つ方なんて、やはりいらっしゃらないのね)

 仙花は既にかなり強力な妖祓いの力を持っているというのに、それでもまだ強大な力を求めている。なにか倒すべき妖がいるのか、ただ貴宝院を更なる繁栄へと導くためなのか。その真意は定かではなかった。


 梗華が母屋の自室に戻ってからも、狐は梗華の前に姿を現し続けた。
 誰にも見つからないよう、梗華と狐は静かに夜の時間を過ごした。


 そんなある日だった。姉の仙花に、それが見つかってしまったのは。


「梗華、何をしているの?」
 後ろから冷ややかな声がし、梗華は振り返った。

「姉様……」
 そこには仙花が、梗華を睨みつけるように立っていた。

「何をしているの」
「あ、いえ、なにも……」

 梗華の言葉など聞こえていないかのように、仙花は狐のもとへとやってくるとその身体を思い切り蹴り飛ばした。

「姉様……っ!!」
 狐は大きな木にその身をぶつけ、力なく倒れる。
 梗華は慌てて狐の元へと駆け寄った。苦しそうに呻く狐を、梗華は優しく抱き上げる。
 それを仙花がごみでも見るような目で見下ろしている。

「梗華、その狐を渡しなさい」
「ね、姉様、でも……」
「口答えする気!?」
 そう叫ぶと仙花は、狐を庇う梗華ごと蹴りつける。

「このっ!無能で!愚図で!呪われた分際でっ!私に、楯突こうなんてっ!!」
 仙花は何かに取り憑かれたみたいに、罵倒しながら梗華を蹴り続ける。

「あんたのせいでっ!あんたのせいでっっ!!」
「…………っ!!」
 梗華は必死に狐を庇い続ける。

 すると狐がするりと梗華の腕から飛び出し、仙花に飛び付いた。

「きゃあっ!?汚らわしい!!なんなのこの狐!祓ってやるわ!!」
「姉様っ、やめてっ……!」
 仙花が着物の袖から何か術の掛かった札を取り出そうとすると、狐が勢いよくその腕に噛みついた。
 ぎゃあああ!!と仙花の悲鳴が夜の虚空にこだまする。
 狐は一歩下がると、勢いをつけその尻尾を大きく仙花へと振るった。仙花はそのまま大きく吹き飛ばされ、後ろにあった池の石へとその頭を強く打ち付けた。
 見たこともないくらいに色鮮やかな血が、池の水を染めていく。

「姉様……っ!!」

 梗華が慌てて駆け寄るも、仙花は白目を剥いて荒い呼吸を繰り返していた。何かぶつぶつと呟いているが、何を言っているのか梗華には聞き取れなかった。




< 1 / 4 >

この作品をシェア

pagetop