暴君と、令嬢。

総長のキスは突然に

 「“あの子”って、ホントにお嬢様なんじゃない?」

 後ろで誰かがそう呟いたのが聞こえた。

 

 暴走族《轟焔》。
 夜の町で恐れられる存在。
 でも目の前にいる彼らは、怖いというよりも、不思議な“熱”をまとっていた。

 

 「それより、凪。さっきの言い方はちょっとなかったよね」
 銀のイヤーカフが揺れた。黒髪の青年――九条玲央は、すぐ隣でそう言って、わたしに目を向けた。

 

 「ごめんね。ウチの副総長、口は悪いけど……あれで意外と面倒見はいいんだよ」

 

 「は? おい、勝手なこと言うなよ」
 金髪の凪は眉をしかめ、火花のような視線を玲央に向けた。

 

 「ふふ」
 わたしは思わず笑っていた。

 

 ――この人たち、想像していた“怖い人たち”と、ちょっと違う。

 

 「……で、帰る場所はあるの?」

 玲央が言ったその声には、からかいも、おせっかいも混ざってなかった。

 

 「あるわ。……でも、今はちょっと帰りたくないの」

 

 その言葉に、玲央が少し目を細めた。

 

 「なるほど。そういう夜か」

 「……あなたたちは?」

 「俺たちは、毎晩の“帰りたくない”から始まる連中さ。ね?」

 

 その言葉に、他の幹部たちが小さく笑った。
 だけどその笑いには、どこか深い、暗い“影”のようなものが見えた。

 

 「よかったら、少しだけ風に当たっていかない? 安全な場所まで、俺が送ってあげる」

 玲央が差し出した手を、わたしは少しだけためらって見つめた。

 

 ――触れてはいけない。
 そんな気がした。
 でも同時に、この手に触れたら、“なにかが始まってしまう”という気もした。

 

 「……ちょっとだけ、なら」

 

 わたしはその手を取った。
 その瞬間、どこかで小さく、火花が弾けたような気がした。

 



 連れていかれたのは、町外れの廃工場跡だった。
 でもそこは、バイクの音も、若い声も、焚き火の煙もあって――不思議と、温かかった。

 

 みんな、思い思いに笑っていて、自由で、少し壊れていて、それでも“ちゃんと生きていた”。

 わたしが今までいた“金の檻”の中とは、何もかもが違っていた。

 

 気づけば玲央が、缶コーヒーを差し出してくれていた。
 熱いアルミの感触が、夜の冷えた指に沁みた。

 

 「さっきの名前、ちゃんと教えてよ。お嬢さん、じゃなくて」

 「春日野……梨桜」

 「春日野……? もしかして、あの?」

 「うん、たぶん、その“あの”で合ってる」

 

 玲央は、ふっと低く笑った。

 

 「いいとこのお姫様が、夜にひとりで飛び出すなんて。……刺激、強すぎるな」

 

 その言葉に、少しだけドキッとした。

 でも次の瞬間、彼は――

 

 わたしの額に、優しくキスを落とした。

 

 「夜に迷い込んだ猫みたいだったから。……おまじない、ね」

 

 ふいの触れ合いに、何も言えなかった。
 でも、驚くほど嫌じゃなかった。

 

 玲央の手は、温かくて。
 夜の風は、静かに肌を撫でていた。

 

 そのとき、後ろで何かが弾けたような音がした。

 「……へぇ、総長ってば、女の子に手ぇ早かったんだな」

 それを見ていた凪が、低い声で言った。

 

 その視線は、なぜか痛いほど鋭くて――
 あの夜の静けさが、ほんの少しだけ、色を変えた。
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