Blue Moon〜小さな夜の奇跡〜
溢れる想いと涙
「ねえ、小夜。新しく入荷したピアノピース、想の新曲なんだって」

八月九日。
いつものように開店の準備をしていると、店長がそう声をかけてきた。

「ピアノピースって、これですか?」

小夜は小さなダンボール箱を持ち上げる。

「そう。タイトルは『真夏のピエロ』だって。発売日は明日なんだけど、フライングで今日から店頭に並べてもいいそうよ」
「そうなんですね、わかりました。じゃあ早速陳列しますね」
「うん、お願い」

カウンターを出ると、ふいに横からひょいと光が手を伸ばして箱を受け取った。

「光くん、ありがとう」
「いいえ。ジェントルマンだからねー」
「あはは! 欧米か?」
「いや、日本だ。って、古っ!」

笑いながら二人で棚に楽譜を並べていく。
最後に一冊手に取ると、光はぱらぱらと中を見てからピアノに向かった。

「音出してみるの?」
「ああ。このコード進行、ちょっと気になって」

そう言ってピアノに楽譜を置く。
どれ?と小夜も隣で眺めた。

光は左手で和音を鳴らしながら、右手でメロディを重ねる。

「へえ……」

二人同時に呟き、思わず顔を見合わせた。

「小夜も気づいた?」
「うん。マイナーのメロディをメジャーのコードで隠してるね」
「ああ。このアーティスト、どんな人だろう。想、か。小夜、知ってる?」
「し、知らない」
「ん? なにその下手な棒読み」

ドギマギしたのがバレてしまい、小夜は焦る。

「あ、その。前に二曲だけちょこっと弾いてみたことあるけど、それだけ。本人が歌ってるのとかは聴いたことないよ」
「ふうん。俺、なんか興味あるな。コンサートとかあれば行ってみたい」
「え、ほんとに?」
「うん。だってこの曲、よくある流行りのポップスじゃない。訴えてるものが違う。しかもそれを上手く隠してる。気づかれなくてもいい、ってくらいに。このピアノピースは編曲されてるから、本人のオリジナルの楽譜を見てみたいな」
「それは無理じゃない?」
「まあね。だからコンサートに行って直に見極めたい。どんな演奏する人なんだろうって」

そう言うと光は楽譜を手に立ち上がり、カウンターへ戻った。

「店長、この曲って弾き語りですか?」

光に聞かれて店長が顔を上げる。

「ん? ああ、想の新曲? 違うみたいよ。ミュージックビデオがちょっとだけ流れてるのをテレビで見たけど、バンドと一緒に歌ってたから。それもなんか、トランペットとかも入って、ビッグバンドっぽい雰囲気で」
「ビッグバンド? 絶対違うわ、それ」
「は? なにが?」
「いや、本人の思うようにはいかないんだろうなって。世知辛いですねー、音楽業界って」

そう言ってレジの準備を始めた光に、店長は「どういうこと?」と言わんばかりに小夜に首をかしげてみせる。
小夜も「さあ?」とばかりに笑ってごまかし、開店準備に戻った。
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