秘めた恋は、焔よりも深く。
「佐倉さんって、あんなに綺麗なのに、全然“出しゃばらない”のがすごいよね……」
「ほんとそれ。完璧なのに、嫌味がないって、なかなかいないよ」
「しかも、あの社長室直属でしょ? 黒瀬さんと普通にやりとりしてるの見て、ちょっとドキドキした……」

企画推進部の休憩スペースでは、女性社員たちのささやかな会話がこぼれていた。

佐倉美咲。
美人で有能。年齢よりも若く見えるけれど、落ち着きと品があって、どこか近寄りがたい雰囲気がある。

決して、誰かに媚びることもなく、無駄な雑談もほとんどしない。
けれど、報告や調整の場面では的確で、柔らかく、誠実。

だからこそ、男性社員からの評価も高い。

だが、いちばん注目されているのは、やはり“あの人”との接点だった。

「黒瀬さんって、誰にでも丁寧だけど……佐倉さんには、ちょっと、違うよね」
「なんか……空気がやわらかいっていうか」
「まさかね? でも、ふたりが並んで歩いてると、絵になるよね……」

憧れと、好奇心と、少しの羨望が入り混じった視線。

もちろん、美咲本人は、そんな周囲の反応に気づいていない。
ただ、自分の役割を淡々とこなすだけ。
でも.....
それがまた、彼女を“特別な存在”にしていた。

「でもさ……」
カフェスペースの奥、声のトーンを少し落としながら、一人の女性社員が口を開いた。

「年、離れすぎてない? 佐倉さん、確か40そこそこでしょ? 黒瀬さんって……50、超えてるよね」

「うん、たしか53って噂……」

「えー……正直、いくらなんでもおじさん過ぎるよ。仕事はできるし、かっこいいとは思うけど……恋愛対象かって言われたら、ちょっと」

「まあ、佐倉さんってそういう“見た目だけ”で動く人じゃなさそうだし」
「ていうか、そもそもふたりがそういう関係とは限らないし!」

「でも、気になってる人は多いと思うよ? 黒瀬さん、最近あの部署に顔出すこと多くない?」
「前より佐倉さんに話しかけてる気がする……よね?」

一瞬、沈黙が落ちる。
そして誰かが、小さく笑った。

「まあでも、“本気になったおじさま”って……意外と、強いよ?」

小さなため息と、ちいさなときめき。
それは噂話の延長線にすぎない。


龍之介が美咲に向ける視線。その熱を孕んだ眼差しに、気づいている人物が、もう一人だけいた。

社長、滝沢真樹。
幼い頃から龍之介を知る彼だけが、その変化を見逃さなかった。

会議が終わった後の、ふとした雑談の時間。
社長室前のフリースペースで、龍之介と真樹が並んで資料を眺めていた。

ふと、龍之介の視線が、ある一点に留まる。

静かに、けれど明らかに、追っていた。
彼女の指先の動き、ファイルを手にしたときの一瞬の横顔。
黒瀬の視線は、確かに“そこ”に、吸い寄せられていた。

滝沢真樹は、その様子を横目で見ていた。

口元に、ほんのわずかな笑みを浮かべる。

「……好きなんだな」

ぽつりと、誰に聞かせるでもなく、しかし確かに、そう呟いた。

龍之介は、ぴくりと眉を動かす。

「何の話ですか」

「おまえの目は、誤魔化せない。昔からな」
「気づいてないのは、たぶん、本人だけだな」

真樹の声は穏やかだったが、どこかからかっているようでもある。
親友としての長い年月が、そこににじんでいた。

「別に、なんでもない。たまたまだ」

龍之介はそう返しながら、視線を外す。
けれど、その横顔には、かすかな照れと諦めのようなものが滲んでいた。

真樹はそれ以上、何も言わなかった。
だが、机の下で手を組みながら、ひとつだけ思っていた。

この男が、目を離せなくなるほど誰かを見つめるのは、ほんとうに久しぶりだ。
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