東雲家の御曹司は、わさびちゃんに首ったけ
「神代様、ご契約ありがとうございます。ムーンライト・アーチャー君の事はお任せください。会える日を楽しみにしています」
神代様は、見学のその日に即決してくれた。
さすがは“神代家”だ。
「そうだ、ここに来る途中にあった施設には、あの“シノノメ・ホース”がいるんだったな。せっかくだ、見に行ってみるか」
懐かしいその名前。
「あなた、奇跡を起こしたあの馬は“ゼロ・グラビティ”よ───ふふふっおかしいわよね、名前が気に入らないから、わざとサボる馬だなんて」
「ムーンがそんな子でなくて良かったよ」
シノノメ・ホースは、当初、この施設に依頼が来たが、当時は満杯で受け入れてあげる事が出来なかった。
近くの施設にいるので、たまに会いに行っているが、相変わらず毛並みもツヤもよく、気高い雰囲気の子だ。“東雲の馬”なんて名前は、本当に似合わない。
シノノメ・ホースを見ていると、いつも東雲 紀糸を思い出す。本当に飼い主に似たのだろうか……
「よろしければ、私がご案内しましょうか?」
わさびはこう見えて、意外と顔がきくので、神代夫妻を丘の下の別の施設へと連れて行くことにした。
安心してください、免許は取りましたよ。
丘を下る途中、一台のタクシーとすれ違った。
うちの施設に行くのだろうか。新しい馬との出会いのためにも、なるべく早めに戻ろう。
そんな事を考えながらアクセルを踏んだ。
──────
「こんにちは! わさびです! お客様ですよ!」
「やぁ、わさびちゃん! またお客さんを案内してくれたのかい?」
いつもの場所にいつものおじちゃん。
こういった場所は、みんな忙しくしているため、事前に連絡しないと担当さんに会うことにすら時間がかかってしまう事があるのだ。
「はい、シノノメ・ホースに」
「はは、シノノメ・ホースは今日も人気者だな。さっきも元馬主さんが会いに来られて帰られたばかりなんだよ。ちょうど外に出てるから、すぐに会えるよ」
「……え」
今、元馬主が会いに来た、と聞こえた。
おじちゃんは神代夫妻を連れて、シノノメ・ホースの所へと向かった。わさびも後を追う。
シノノメ・ホースは今日も気高き出で立ちをしていた。
わさびはシノノメ・ホースの目を見る。
「ゼロさん、今日は誰が会いに来たんですか? わさびにこっそり教えてくれませんか?」
『……』
───ご機嫌斜めのようです。
シノノメ・ホースをこんなにも不機嫌にするのは、一人しかいない。これは、もしかしなくても……会いに来たのは本当に東雲 紀糸かもしれない。
こんな北海道までわざわざ会いに来たとは、自分の馬だった子を本当に少しは気にかけていたのか、と意外だった。
東雲 紀糸は本当に神楽を買収し、約2年かけて安定させたと樋浦弁護士から聞いた。
あの人に任せて本当に良かった。
わさびは見る目がある。見る目だけでなく、実は、聞こえる耳もある。
シノノメ・ホースを眺めながら、東雲 紀糸の事を思い出していると、神代夫妻が満足したようにお帰りになると話しをしている所だった。
いつの間にそんなに時間経ったのかと、慌てて時計を見れば、まだ三十分ほどでホッとする。
しかし、そのまま二人をホテルまで送り届ける事になってしまい、ノーザンに戻ったのは夕方近くだった。
「お帰りわさびちゃん、今日ね、東雲さんが来たよ。シノノメ・ホースを入居させたいって」
事務所に戻ると、樋浦弁護士がコーヒーをいれているところだった。
「あ、やっぱりそうでしたか……東雲 紀糸本人ですか?」
「知ってたの? 僕も会ってないから、東雲さんって事しかわからないけど、本人じゃないかな? カフェの女の子がイケメンが現れたって騒いでたらしいから」
イケメンが現れた? まぁ、この北の大地には似合わない都会の男子かもしれない。
ここで働く女性達は、樋浦弁護士が来た時も、ざわついていたくらいだ。
「シノノメ・ホースの担当のおじちゃんからそれらしい事を」
「どうする? オーナーが不在なのでって伝えたみたいだよ」
「もちろん、受け入れますよ───で、わさびが連絡すればいいのですかね? 連絡先は……あ、樋浦弁護士知ってますか? 任せてもいいですか?」
なぜわさびは今、樋浦弁護士に頼んだのか。
別に気まずいことなんてないのに。
「大丈夫、シノノメの今の施設に話してから、また後で来るって帰られたみたい。オーナーに直接会って、人となりを見たいそうだよ」
「……わさびだと知っているのでしょうか」
「さぁ~? ここの皆は“オーナー”としか呼ばないからね。でも、わさびちゃんがここを相続したことは、あの当時僕が話したからご存知だよ」
それはわさびもまだマンションにいた時の話しだから、もちろん知っている。
その時───……
「オーナー! 東雲さんと仰るイケメンがいらっしゃいましたぁ! 樋浦さんを凌駕する都会系イケメンですよ! (キャッ)───カフェでお待ちでーす」
なぜかカフェの女の子がわざわざ、わさびを呼びに来た。
「ほら、行っておいで」
「はい……」