東雲家の御曹司は、わさびちゃんに首ったけ

 わさびがいた。
 北海道の……お爺から相続した場所に、普通にいた。

 探そうと思えば探せたが、あえて探しはしなかった。わさびは自らの意思で飛び立ったのだと、自分に言い聞かせていたのだ。

 俺はこの時ようやく、お爺の言っていた“わさびは鶴”の意味がわかった気がした。

「……鶴の恩返し……って意味か」

 神楽も平気で手放した赤字の部門を、2年で立て直し、あんなにも立派にしてしまった。
 わさびは経営の才能があったのだろうか……どんなに金があっても、無能はその金を使いこなせない。まさに、神楽 義徳がそれだ。
 それとも、あの場所にとって、ただの幸運の招き猫だったのか……

 とにかく……俺は決めた。


「田中、来週から金曜と日曜の往復で、羽田、新千歳の最終便をそれぞれ二席、毎週必ず押さえてくれ」
 
「……はい───毎週、でございますか」
 
「ああ、毎週だ。それから日高で家かマンションを購入したい。いくつか見繕っておいてくれ。築浅の3SLDK程度でいい───駐車場付きだ。車も購入する」

 第一秘書の田中は、驚いている。それもそうだろう。

「おいおい聞いちゃったから、聞くけど……まさか俺が言った本社移転、本気にしちゃった?」

「晴人、北海道は良い所だぞ」

「え、あ、うん。そうだよな。食べ物も美味いしな」

 そう言われてみたら今回、北海道に行ったというのに、何も食べていない。

 ───次はわさびに案内してもらうか。

「おい、なんだよ! ニヤけてるぞお前! 大丈夫か?!」

「ニヤけてなどいないが」

 晴人は知っていたんじゃないかと思う。
 わさびがあの場所にいる事を───再会のきっかけをくれた幼馴染に感謝しよう。

「晴人、北海道に行きたくなったら、いつでも休みをとって行ってきていいぞ」

「え、あ、うん……ありがと……」

「そうだ田中、福利厚生として、個人でも団体でも、北海道旅行に行く者には片道航空券を会社で出すと全社員に通達しろ。皆、北海道に行くといい」

 そして観光でもして、沢山金を使ってくるといい。

「……本当にお前、どうしちゃったわけ?」

「それより晴人、何か用があってきたんじゃないのか」

「ああ、そうだった……田中、席を外してくれるか」

 晴人は秘書を部屋から出し、何かと思えば一冊の冊子を俺に渡した。

「……なんだこれは」

 嫌な予感がする。先ほどまで良かった気分が一気に地の底まで落ちていく。

「久しぶりに紀糸くんのお見合いのご案内で参りましたよ───今回はなんと、あの宝城家のご令嬢だ」

「……見合いだと? するわけないだろ」

 ───俺には婚約者のわさびがっ……いないんだった……

「わさびちゃんとの婚約を解消してから2年だ。さすがに次を探せ、とのご命令(・・)だ……宝城 沙也加(ほうじょう さやか)22歳、今年大学卒業───ほら、次はちゃんと名前と顔を見てから行けよ」

「見る必要はない。見合いには行かない」

「次の土曜日の10時だからな、北海道はその後にしろ」

「……土曜日は絶対に駄目だ。大事な用事がある」

「見合いも大事な用事だ。わかるよな紀糸」

「……」

 晴人はそれだけ言って、部屋を出て行った。

 目の前に置かれた釣り書きを見る。

 ───気の強そうな顔だ。それに、22歳にしては子供っぽい。20歳のわさびの方がよほど……

 駄目だ……考えれば考えるほど、俺はわさびではないと嫌だ。結婚は、わさびとしかするつもりはない。
 側にいて欲しいと思う女ができてしまった以上、他の女なんてお呼びではないのだ。

 来週の日曜、8月3日はわさびの21歳の誕生日だ。だから俺はシノノメ・ホースの転居を前日の土曜日にした。

 金曜までにわさびへのプレゼントを選ぶつもりでいたが……水を差された気分だ。


 仕事だ、仕事。

 東雲は金融(・・)の国内トップである宝城とのつながりなど必要ない。

 ───そういえば……樋浦弁護士はどうしているだろうか。

 神楽の相続が済んだ後、俺は彼に東雲に来ないかと声をかけたが、彼は『自分は神楽 喜八のためだけに弁護士をしていた』と言って、やんわりと断られたのだ。

 あれから1年以上、顔を見ていない。

 また会ったら、ゆっくり酒でも飲んでみたい相手だ。


 
< 33 / 57 >

この作品をシェア

pagetop