あの人たちの後を追う
 私――由紀花音は進路希望表を眺めていた。
 進路希望は三つまで書ける欄がある。
 高校三年の私が考えられる進路はちょうど三つ。
 実家の花農家を継ぐ。農業系の大学に進む。バレー部の成績を使って推薦で大学に行く。

「……全然ピンとこない」

 机に突っ伏した花音に、隣の席の男子が笑いながら声をかける。

「ゴリラなんだからうほうほバナナ食って走り回れる進路にすりゃいいじゃん」
「……ウザ」

 にやけ顔にうんざりしながら、スマホで農業系の大学と推薦で行ける大学を検索する。
 農業系といっても、私の実家は花農家だから、一般的な農作物とは少し違う。そういうことを学べる大学はあるのかな。
……そもそも、そういうことって何?

「わかんない……」
「花音、お兄さんいなかったっけ? 大学どこ?」

 前の席の友達が振り向いて言った。

「行ってない。高卒で家業継いでる」
「じゃあ、そのうちお嫁さんもらって一緒に農家? 花音そこに残れなくない?」

 「お嫁さん立候補しよっかなー」なんてのんきなことを言う友達を見上げる。

「止めときなよ。農家は臭くて汚いし、休みもないよ。お兄ちゃん、いっつも泥だらけなんだ」
「かっこいいと思うけど。そういう人がいるから、生活できるんじゃん。花音、いつまでも反抗期かっこ悪い」
「う、うるさいなあ……」
「なにより、花音のお兄さんかっこいいでしょ! 顔が! マッチョだし! 今度紹介してね!!」

 結局、それが目的かと苦笑して、「はいはい」と受け流した。
 私だって、別に本気で兄が嫌いなわけじゃない。ただ、少し鬱陶しいだけだ。
 少し先を行く、しっかりした兄の存在が。
 散々悩んだ末、花音は兄にメッセージを送った。

『瑞希の友達で園芸系の大学行った人いなかったけ?』

 返事はすぐに帰ってきた。

『藤乃? 話聞きたいなら呼ぶけど』

 少し迷う。実家の農業のことで、兄にひどいことを言った自覚はある。汚いとか、泥臭いとか。親が忙しかった分、兄に甘えていたことも、今はわかっている。だからこそ、兄に頼りたくないし、優しくされるのもつらい。

『もうちょっと、考える』

 一分悩んでもう一言送った。

『ありがとう、お兄ちゃん』
「私、あんたのことノンデリクソ野郎って罵れないや」

 花音が思わず隣の男子にこぼすと、彼は勢いよく振り向いた。

「お、俺のどこがノンデリなんだよ!」
「好きな子にゴリラって言っちゃうとこ」

 友達が男子を睨む。

「誰がこんなゴリラみたいなでかい女、好きになるかっての!」
「……いいよ、わかってるから」

 進路希望表をカバンに押し込み、花音は進路相談室へ向かった。


 数日後、部活を終えて帰宅した花音を、瑞希が玄関で待っていた。

「これ、藤乃が貸してくれた」
「なに? ……園芸学部のパンフレットとシラバス?」
「そう。昼間、須藤さんとこに納品に行ったから、そんときにね」

 須藤藤乃さんは瑞希の友達で、花屋の人だ。同い年だから、たぶん21歳。
 来年、私が入学すれば、一年だけ在学期間が重なる。

「そもそも藤乃さんってどんな人だっけ?」
「あー、全然顔合わせないもんな。デカくて、静かで地味で……花のことしか考えてない、かな」
「なにそれ」
「いいやつだよ。なにせ俺と21年間、ずっと友達やってるし」
「じゃあ、すごくいい人だ」
「間違いねえ」

 瑞希にパンフレットのお礼を言って、自分の部屋へ戻った。
 パラパラめくると、敷地内の庭園や花壇が紹介されている。

「……きれいなところなんだ」

 ちょっとワクワクしてきた。
 庭園は心なしか家の畑にも似ている。一面に花が広がり、そこにいるのは花を愛でる人ではなく、花を仕事にする人たち。
 パンフレットを机に置いて部屋を出る。兄は畑の横で農具を洗っていた。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「んー?」
「なんで大学に行かなかったの?」
「こっちのほうが面白そうだったから」
「面白そう……?」

 でも瑞希はそれ以上は言わなかった。畑の隅のベンチに座り、兄と父が働く様子を静かに眺める。
 夕陽に照らされた畑で、蕾が風に揺れ、二人は何かを話しながら真剣に花を見ていた。
 物心ついた時から見ている光景だ。
 私は、17年間ずっと、それを見ているだけだった。
 部活を理由にして、最後に手伝ったのがいつかも思い出せない。
 ……私が逃げている間に、兄は父の隣に立つようになっていた。


 翌日の夕方、学校から帰ったら母に声をかけられた。手では車の鍵が揺れている。

「花音、須藤さんのところに納品に行くんだけど、帰りに買い物もするから、荷物を持つのを手伝ってよ」
「……わかった」

 もしかしたら、大学のパンフレットをくれた藤乃さんにも会えるかもしれない。
 結果から言えば藤乃さんはいなかった。
 当たり前なんだけど、学校があるから土日しか花屋さんには入ってないそうだ。
 でも代わりに、藤乃さんが作ったブーケを須藤さんの奥さんが見せてくれた。

「きれいですね。……これ、瑞希が育ててた花だ」

 使われているのは、どれも父と瑞希が大切に育てた花だった。それがきれいなブーケになっている。濃い青を基調に、デルフィニウム、トルコキキョウ、かすみ草、ラムズイヤー……派手さはないけれど、落ち着いた美しさがあり、見ていると心が落ち着く。

「あの、これいただいてもいいですか?」
「もちろん」

 須藤さんの奥さんはニコッと微笑んで包んでくれた。
 帰りの車の中でブーケを抱えていると、母が「気に入った?」と声をかけてきた。

「うん。私、瑞希に謝らなきゃ」

 何のことかは、母はあえて聞かなかった。兄妹喧嘩なんていつものことで、謝ることもあれば、なあなあになることもある。けれど、私はどうしても瑞希に謝りたかった。


 帰宅後、兄は納屋のそばで農具を洗っていた。

「お兄ちゃん、ごめんなさい」
「なに? 冷蔵庫のアイス食っちまったの?」
「ち、違うよ。それはお父さんが……じゃなくて。前にさ、瑞希に……畑仕事なんてって言っちゃったから」
「ああ、あったね、そんなことも」

 瑞希は額の汗を拭って顔を上げた。

「……お父さんも瑞希も、汗を流して働いてるのに、あんなこと言っちゃいけなかった。ごめんなさい」
「いいよ、別に。それがちゃんと悪いことだったって反省したんならさ。でも親父には言うなよ。泣くから」
「言わないよ。私、瑞希に甘えてた」
「妹の甘えくらい、気にしねえよ。……それ、藤乃が作ったやつだろ?」

 瑞希が笑って手元を指さした。そこには青いブーケを持ったままだ。

「わかるの?」
「わかるよ。付き合い長いから」
「……ふうん。そういうの、いいな」
「どうかな。まあ、藤乃は地味だし花のことになると頭おかしいし、たまに気持ち悪いけど、いいやつだから」
「いい人なの、それ?」
「いいやつだよ」

 瑞希は笑って、洗った農具を抱えて納屋へ向かった。

「……じゃあ、私も園芸学部行ってみるよ」
「いいんじゃない」

 それきり、瑞希は洗った農具を抱えて納屋に行ってしまう。
 ブーケを胸の前に抱えて、部屋に戻る。
 カバンから進路希望表を取り出し、パンフレットを見ながら学校名を書き写した。
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