溺愛
第三章
私は地元では名の通った電子機器製造会社『石二機』の経営者である父と、その取引先の令嬢であった母親との間に産まれ、大切に育てられた。
そして彼は日本でも有数の大手家電メーカーSENAの第二子として生まれ、現・副社長をつとめている。
私達はもしかしたら普通の人から見たら上流階級の人間と言えるのかもしれない。
そう、私達は同じ上流階級同士。――それはつまり、距離が近いという事だ。
そう考えてみると、私と彼の恋は、思っていたよりもずっと近くに用意されていたのかもしれない。
「これ、ここに入れていい?」
グレイのスウェットに着替えた彼が私の隣に立ち、キッチンカウンターに乗せていたサラダのタッパを手に取って、傍にあったレタスだけ準備されていた白い小皿を目線で示した。
どう見てもそうとしか考えられない事をわざわざ訊いてくるのは、それがこれから自分も作業を開始しますよの合図だからだ。
「あ、うん。お願い」
私が頼むと、直ぐに彼はタッパの中の温めていたポテトサラダをレタスの上に綺麗に盛り付けて行く。
私はひたすら電子レンジを駆使しながら温めるべきものを温めていた。
その待ち時間でIHコンロで加熱したポトフをカップに流し込み、使用済みになった鍋をシンクへとどかす。
タッパの中身の食材が違うだけで工程としては毎日毎食ほぼ同じやり方だから、もはや手慣れた作業だ。
私の隣では、彼も黙々と作業を続けている。
帰ったばかりで疲れているだろうに、そんなそぶりも見せず文句も言わない。
だから私も、何も言う必要が無い。言おうと考えた事も無い。
そういう風に、彼がしてくれるからだ。
考えれば考えていく程、ここまで完璧だと同じ人間だととても信じられなくなる。
もしかして彼は本当にスーパーマンなんだろうか、とあり得ない変な発送まで浮かんでくる。
どれだけ素晴らしい教育を彼のご両親はされてきたのだろうかと感心する。
彼の方が大きな家なのに、甘やかすだけだった自分の親と全く違う。
ちらりと彼の方を見ると、彼はその私の視線に気付いた様だった。
「何?」
小皿に移し終えて空になったポテトサラダのタッパを抱えた状態で、彼は微笑んで来る。
「……別に。何か相変わらず凄いなって思って」
発言した途端、何それと今度は面白そうな表情を浮かべてくる。
私の頭の中が彼に見えている筈はないので、確かに突飛な発言になったかもしれない。
「疲れたりしない?」
無難かつ今の自分の考えを総括した相応しい一言を伝える。
「そんなにハードな運動量必要な仕事じゃないし」
彼はそう言うが、仕事である以上、精神を削られる部分はあるだろう。
特に彼が背負っている物は大きい。
具体的にどう大きいのかと訊ねられれば返答に困る部分はあるけれど、それだけは分かっているつもりだ。
準備の整ったポテトサラダを隅に置いて、持っていた空になったタッパ―をシンクの中に運ぶ。
「楽しいから良い。俺はそう自分で思った事しかしてないよ」
そうだろうか。
私から見ればそうは思えないけれど、彼がそう言うならそれをそのまま受け取るしかないのだろう。
これは予測にすぎないけれど、彼は面倒な事をそう感じてはいない。ただそれだけなのではないだろうか。
単に彼の許諾範囲が私とは違って遥かに広いだけ。
――どうしてこんな人が、私と結婚したのだろう。彼の環境と状況ならば、もっといい相手はいただろうに。
確かに自分と結婚した事で彼の会社の利益になる部分があったのだろうけれど、でもそれだけだ。
それ以外は、私自身は特に何も持っていない。
自分が彼だったとしたら間違いなく耐えられない。
それなのに私は実際にこうして彼と共に生活する権利を与えられている。
本当にこの縁を運んでくれた両親は凄いのではないかと思う。
ぼんやりのんびりしている様に見えて、何だかんだで私の性格を理解してくれていた。
彼との結婚が決まった時母親に『ほら、やっぱり上手くいったでしょ?』としたり顔で言われた時には、何だか負けてしまった気分になって、正直少しだけ悔しい気持ちにもなったけれど、結果的にこうして現実的に上手くいっているのだから何も言えない。
どこをどう見てそう判断したのかは分からないけれど、よくこうしてこんなに私に適合する相手を探して与えてくれたものだ。
――今思えば、彼は初め見合いで顔を合わせた時からこの話を進めるのに大分積極的だった。
単に自分の会社のプラスになるからとか、そういった範疇のものではない。
あれは純粋に私自身に対する興味と感情、そして愛情だった。
そもそも彼の方は無理矢理自分の意にそわない結婚をしなければいけない立場では無かったから、嫌ならば差し障りなく大人のお断りを入れて片付けるだけで済んだはずなのだ。
多分、誰よりも彼との結婚を望んでいたのは私の両親だった。
一人娘で、自分達が死んだら頼る相手がいなくなると危惧していた面がやはりあったのだろう。
金銭面だけなら一生困らない様に用意出来るので、心配はいらない。
だからこそ両親は特に結婚についてあれこれと言って来る事もなかった。
変な人間につかまって不幸になる位なら、このまま一生独身でいても、それはそれでいいというスタンスで。
そんな両親の考えが変わったのは多分、彼と出会ってからだ。
短大を出た後、何も仕事をせずに実家で今と同じ様に毎日を過ごしていた私に、父親が急に真面目に私に告げて来た。
お見合いをしてみないか?と。
『父さんの知り合いの息子さんで、今SENAの副社長をされてるんだ。とてもいい青年だと思って』
『そうそう、あなたと性格がとても合いそうなの』
今時お見合いなんてと拒否した私に対して、二人の勧めは止まらなかった。
上手くいけば娘の未来も保証されて、その上SENAとの繋がりも、より強くなる。
一時間程彼の会社の大きさや彼の会社とのとの付き合いや、いかに彼が好印象の人間だったかを聞かされ、流石に参って一度だけならという条件で承諾した。
つまり、それも面倒から逃げたかっただけなのだ。
それがこれにつながるなんて、人生ってどうなるか分からないなと思う。
両親の目論見通り、彼は私を気に入ってくれ、私も彼を受け入れ、とんとん拍子に結婚が決まった。
彼の両親も文句なくいい人で、特に彼の母親は我が家とは対照的に娘がいなかかったから、こんな可愛らしい人がお嫁さんに来てくれるなんて嬉しいわなんて言ってとても歓迎してくれた。
よく世間で言われるような嫁いびりだとか孫産め攻勢も、今の所全くない。
もう一人の息子が既に孫を産んでくれているというのもあったのかもしれない。
そのもう一人の息子――私の夫の兄、私にとっては義兄に当たるのだが――に息子がいるという事は、もちろんその義兄も結婚をしていて妻が居るのだから、つまり私を嫁を迎える前に既に義母には私と同じ立場の娘が出来ていて。
だとすると娘が出来て嬉しいという発言はただ彼女の人間性の良さから出たものだとしかやはり思えない。
その証拠に、彼女がもう一人の義理の娘さんの方とも関係が非常に良好の様だ。
父親の方もしっかりしてそうな穏やかな人だった。多分彼の穏やかさが、私の夫へと引き継がれているのだろう。
こんな私が、こんなに色々な事に恵まれていていいのかと時々思う。
でも、それもやっぱり時々だ。すぐにそれでもいいのだという結論に落ち着く。
そして彼は日本でも有数の大手家電メーカーSENAの第二子として生まれ、現・副社長をつとめている。
私達はもしかしたら普通の人から見たら上流階級の人間と言えるのかもしれない。
そう、私達は同じ上流階級同士。――それはつまり、距離が近いという事だ。
そう考えてみると、私と彼の恋は、思っていたよりもずっと近くに用意されていたのかもしれない。
「これ、ここに入れていい?」
グレイのスウェットに着替えた彼が私の隣に立ち、キッチンカウンターに乗せていたサラダのタッパを手に取って、傍にあったレタスだけ準備されていた白い小皿を目線で示した。
どう見てもそうとしか考えられない事をわざわざ訊いてくるのは、それがこれから自分も作業を開始しますよの合図だからだ。
「あ、うん。お願い」
私が頼むと、直ぐに彼はタッパの中の温めていたポテトサラダをレタスの上に綺麗に盛り付けて行く。
私はひたすら電子レンジを駆使しながら温めるべきものを温めていた。
その待ち時間でIHコンロで加熱したポトフをカップに流し込み、使用済みになった鍋をシンクへとどかす。
タッパの中身の食材が違うだけで工程としては毎日毎食ほぼ同じやり方だから、もはや手慣れた作業だ。
私の隣では、彼も黙々と作業を続けている。
帰ったばかりで疲れているだろうに、そんなそぶりも見せず文句も言わない。
だから私も、何も言う必要が無い。言おうと考えた事も無い。
そういう風に、彼がしてくれるからだ。
考えれば考えていく程、ここまで完璧だと同じ人間だととても信じられなくなる。
もしかして彼は本当にスーパーマンなんだろうか、とあり得ない変な発送まで浮かんでくる。
どれだけ素晴らしい教育を彼のご両親はされてきたのだろうかと感心する。
彼の方が大きな家なのに、甘やかすだけだった自分の親と全く違う。
ちらりと彼の方を見ると、彼はその私の視線に気付いた様だった。
「何?」
小皿に移し終えて空になったポテトサラダのタッパを抱えた状態で、彼は微笑んで来る。
「……別に。何か相変わらず凄いなって思って」
発言した途端、何それと今度は面白そうな表情を浮かべてくる。
私の頭の中が彼に見えている筈はないので、確かに突飛な発言になったかもしれない。
「疲れたりしない?」
無難かつ今の自分の考えを総括した相応しい一言を伝える。
「そんなにハードな運動量必要な仕事じゃないし」
彼はそう言うが、仕事である以上、精神を削られる部分はあるだろう。
特に彼が背負っている物は大きい。
具体的にどう大きいのかと訊ねられれば返答に困る部分はあるけれど、それだけは分かっているつもりだ。
準備の整ったポテトサラダを隅に置いて、持っていた空になったタッパ―をシンクの中に運ぶ。
「楽しいから良い。俺はそう自分で思った事しかしてないよ」
そうだろうか。
私から見ればそうは思えないけれど、彼がそう言うならそれをそのまま受け取るしかないのだろう。
これは予測にすぎないけれど、彼は面倒な事をそう感じてはいない。ただそれだけなのではないだろうか。
単に彼の許諾範囲が私とは違って遥かに広いだけ。
――どうしてこんな人が、私と結婚したのだろう。彼の環境と状況ならば、もっといい相手はいただろうに。
確かに自分と結婚した事で彼の会社の利益になる部分があったのだろうけれど、でもそれだけだ。
それ以外は、私自身は特に何も持っていない。
自分が彼だったとしたら間違いなく耐えられない。
それなのに私は実際にこうして彼と共に生活する権利を与えられている。
本当にこの縁を運んでくれた両親は凄いのではないかと思う。
ぼんやりのんびりしている様に見えて、何だかんだで私の性格を理解してくれていた。
彼との結婚が決まった時母親に『ほら、やっぱり上手くいったでしょ?』としたり顔で言われた時には、何だか負けてしまった気分になって、正直少しだけ悔しい気持ちにもなったけれど、結果的にこうして現実的に上手くいっているのだから何も言えない。
どこをどう見てそう判断したのかは分からないけれど、よくこうしてこんなに私に適合する相手を探して与えてくれたものだ。
――今思えば、彼は初め見合いで顔を合わせた時からこの話を進めるのに大分積極的だった。
単に自分の会社のプラスになるからとか、そういった範疇のものではない。
あれは純粋に私自身に対する興味と感情、そして愛情だった。
そもそも彼の方は無理矢理自分の意にそわない結婚をしなければいけない立場では無かったから、嫌ならば差し障りなく大人のお断りを入れて片付けるだけで済んだはずなのだ。
多分、誰よりも彼との結婚を望んでいたのは私の両親だった。
一人娘で、自分達が死んだら頼る相手がいなくなると危惧していた面がやはりあったのだろう。
金銭面だけなら一生困らない様に用意出来るので、心配はいらない。
だからこそ両親は特に結婚についてあれこれと言って来る事もなかった。
変な人間につかまって不幸になる位なら、このまま一生独身でいても、それはそれでいいというスタンスで。
そんな両親の考えが変わったのは多分、彼と出会ってからだ。
短大を出た後、何も仕事をせずに実家で今と同じ様に毎日を過ごしていた私に、父親が急に真面目に私に告げて来た。
お見合いをしてみないか?と。
『父さんの知り合いの息子さんで、今SENAの副社長をされてるんだ。とてもいい青年だと思って』
『そうそう、あなたと性格がとても合いそうなの』
今時お見合いなんてと拒否した私に対して、二人の勧めは止まらなかった。
上手くいけば娘の未来も保証されて、その上SENAとの繋がりも、より強くなる。
一時間程彼の会社の大きさや彼の会社とのとの付き合いや、いかに彼が好印象の人間だったかを聞かされ、流石に参って一度だけならという条件で承諾した。
つまり、それも面倒から逃げたかっただけなのだ。
それがこれにつながるなんて、人生ってどうなるか分からないなと思う。
両親の目論見通り、彼は私を気に入ってくれ、私も彼を受け入れ、とんとん拍子に結婚が決まった。
彼の両親も文句なくいい人で、特に彼の母親は我が家とは対照的に娘がいなかかったから、こんな可愛らしい人がお嫁さんに来てくれるなんて嬉しいわなんて言ってとても歓迎してくれた。
よく世間で言われるような嫁いびりだとか孫産め攻勢も、今の所全くない。
もう一人の息子が既に孫を産んでくれているというのもあったのかもしれない。
そのもう一人の息子――私の夫の兄、私にとっては義兄に当たるのだが――に息子がいるという事は、もちろんその義兄も結婚をしていて妻が居るのだから、つまり私を嫁を迎える前に既に義母には私と同じ立場の娘が出来ていて。
だとすると娘が出来て嬉しいという発言はただ彼女の人間性の良さから出たものだとしかやはり思えない。
その証拠に、彼女がもう一人の義理の娘さんの方とも関係が非常に良好の様だ。
父親の方もしっかりしてそうな穏やかな人だった。多分彼の穏やかさが、私の夫へと引き継がれているのだろう。
こんな私が、こんなに色々な事に恵まれていていいのかと時々思う。
でも、それもやっぱり時々だ。すぐにそれでもいいのだという結論に落ち着く。