とりあえずキスでもしましょうか?
「間島沙奈!! おまえはコピーもまともにとれないのか!!」
 今日も罵声が飛ぶ。この人、顔はいいけど、仕事の鬼。二十代の若手総務課長である。
 つまり私にとっては天敵の鬼上司。しかも、特に私にはあたりが強い気がする。
 
「ここの文章を作っておけっていったよな」
 顔はいいんだけど自分にも他人にも厳しいから、苦手。
 ため息しか出ない。
 私は、仕事ができない。どんくさいしテキパキしていないからなぁ。仕方がないけど。
 この会社はみんなが知る大手。何とか入ったからには何とか続けないとなぁ。
 
「須藤課長ってみんなに厳しいから、気にしなくていいんだよ」
 周囲は気にかけてくれる。
 今日は大きな会議があって、そのために私たちは一生懸命プレゼンに使う資料を作った。
 なんとか終わったけれど、それでも仕事がまだまだある。

みんな帰っちゃったなぁ。今日誕生日なのに仕事かぁ。
 虚しさ超絶マックスだ。社会人になって恋愛とも程遠い生活。
 男友達もいない。

「夕飯まだなら、一緒に食べるか?」
 須藤課長が珍しく何かコンビニで買ってきた。

「軽食とビールで今日の打ち上げ」
 見かけによらず実は優しい人なのかな?

「今日誕生日なんだろ」
 当たり前のようにコンビニのケーキを買ってきたらしい。
 ささやかな優しさにちょっと心がときめく。
 コンビニだろうと何だろうと私のために誰かが食べ物を用意してくれた。
 それだけでうれしい。
 優しさに飢えてるってことかな。

「なんで誕生日を知ってるんですか?」
 もしかして、私のストーカー? と心の中で叫ぶが、この人、そういうタイプには見えない。
 人間よりも仕事に興味ありそうだし、自分以外に興味を持たなそうな無関心人間という印象が強い。
 何より冷徹でクールな印象だった。

「断じてちがう。俺はこの部署の全員の誕生日をスケジュールに入れてるから。一応課長だし」
 ちょっとした心遣いは嬉しい。完璧主義なのかな。誕生日をちゃんと把握するなんて。

 課長が席を立った時に、資料を置きに行った。すると、引き出しが開いていて――女性の写真が20枚くらい入っている。
 同じ人だ。しかも、この人、会社でみたことがある。ここの社員をストーカーしてるってこと?
 隠れた変態ストーカー?
 あれ、後ろから怖い視線を感じる。まずい。

「見たのか?」
 後ろから怒りのような焦りのような声がする。焦りと怒りが入り乱れる声だった。

「この写真って……」
 聞いていいものかと遠慮しながらも一応聞いてみる。
 好奇心が勝ってしまった。

「中学からこいつとは友達なんだよ」
「だから、なんでこんなに写真が入っているのですか? このことをばらされたくなかったら私に厳しくするのはやめてくださいね」
 にやりと笑う。

 買ってきてくれたビールを喉を鳴らして飲む。
 これぞ大人の特権。
 仕事の後の一杯は体にしみる。
 お酒の勢いもあり、課長の本音を聞く。

「片思いってやつですか?」
 にやりと笑いながら、弱みを握る。
 これで、いじめを受けなくて済む。むしろ、優位になれる。
 なんとかこの会社に居場所ができた。

「相手はただの同級生で、既婚者だ」

 そういうことか。既婚者に片思いね。
 不毛な恋。
 ずっと隠し続けている恋か。
 いつも計算で動いているような男なのに、そういうところは計算高くないのか。
 ちょっと意外だなと思う。

「うまくいったら、不倫ですね」

 さらににやりと微笑んでみる。私は悪魔か。
 普段の恨みをここで返す。

「あいつの幸せを俺は望んでいるんだ」
 ビールを少し飲んだくらいで酔っている。
 案外お酒に弱いし、意外と女々しい。
 お酒を飲むと「俺なんてどうせ」っていう口癖が普段の仕事の鬼とは思えない。
 実は本質はこっちで、自分に自信がない計算高くない男ってことだろうか。


「課長みたいな人に一途に愛されてる同期の女性は幸せですよね」
「あいつは全然俺なんか相手にしねーよ」
「たしかに、魅力的な女性ですよね。顔良し、頭良し、理想的な女性ですよね。そりゃ男も放っとかない。結婚が早いのは納得です」
「わかるか、間島。あれくらいいい女はそうそういるもんじゃねー」

 赤ら顔の情けない男が目の前にいる。
 惚れた弱みなのか、すごく好きなんだなっていう一途な気持ちがビンビン伝わる。
 こんなに好かれてる女性は幸せ者だな。というか旦那さんがいるから結果的に二人に好かれてるのか。
 私には一人もそんなに愛してくれる男性はいない。
 また虚しくなってくる。

 彼氏なんてずっといなかった私。男友達がいない私には唯一、一対一で話せた相手が課長だった。
 本当の彼は、情けない。年上にもかかわらず一途で意外にも不器用な人なんだな。
 はじめて課長に抱く感情が変化した。

「先輩は一生独身でいいんですか?」
「仕方ないだろ。好きな相手が結婚しているんだから。この話は絶対に秘密だぞ」
「隠れ片想いですか」

 睨みつける須藤課長。でも、今まで感じていた仕事での怖いイメージとは全然違うと感じる。

「わかってますよー。私に対して優しく接してくれないと話しちゃいますけど。あと、無理な残業はお断りしますからね。でないと、話しちゃいますよ」
 これで交渉成立だ。

「その程度の契約なら俺はかまわん。だから、あいつには俺の気持ちは絶対に知られたくないんだ。ずっと知られずにただの同僚として一生過ごす。気持ちは秘めるのみ」
「意外と一途でしつこいんですね。でも、課長のそーいう部分を知っていたら、お相手の女性も好きになってくれたかもしれませんよ」
「そんなものなのか?」

 意外そうな顔をする。

「女性ってそんなものです。ギャップに弱いんですよ」

 きっとこの人、彼女いたことないのかもしれない。顔良いのにもったいないなぁ。残念系男子ってこ―いう人を指すのかも。
 人生損してるだろうな。そんなに一人の女性に囚われなくてもいいのに。

「一生独身ってのが悪いなんて誰基準だ。俺は俺なんだ」

 変にポリシーを曲げないところは男らしいけど、ある意味ストーカー気質なんだよなぁ。
 一途というと聞こえはいいんだけどね。


「まりな以外に好きになれる女性はいない。断言できる。好きという気持ちは簡単には曲げられない。ポリシーは簡単に変えられない。彼女の結婚式。隣にいたのは俺ではない知っている同級生の男性だ。もちろん、いい人間だということはわかっているから、彼女を幸せにできるだろう。でも、幸せにするのが俺ではないなんて。告白すらできないなんて、辛いの極みだ」

「課長ってなんか重いです」
 つい本音が出る。

「うるせぇ。好きだとか嫌いだとかそういう気持ちを表に出さずに来た俺が悪いのかもしれない。諦めるしかないとはわかっている。きっと幸せになってくれる。愛が重くて何が悪い。これも俺基準だ」

 オフィスでの飲み会以来、私と課長の距離は確実に縮まった。
 鬼上司じゃない弱い一面を知ったからだ。
 純粋で一途なタイプの男性だとわかった。
 私の周りにはいないタイプだった。
 令和時代に絶滅危惧種だよ。
 
「今日、夕ご飯おごってくれますよね」
 にやりと笑いかける。これまでの仕打ちは飯代で返してもらうわよ。
 毒舌で厳しい完璧男がストーカーまがいの一途な片思いをしていたなんて、思わぬ収穫だ。
 にんまりする。

「わかった。とりあえず、おごるから、仕事は真面目にしろよ」
「はーい。仕事は以前に増して一生懸命やりますよ。企画課の課長のためにもね」
 にんまりと笑いかける。
 企画課のまりな課長は須藤課長の片思い相手。バリバリ仕事ができる女性であり、課長として働いている。
 しかも、結婚しているらしい。同級生だというあたりしか情報がないため、これから須藤課長本人から聞き出そうというわけだ。
 見た目は美人でスタイルがいい。パンツスーツがよく似合うできる女性で、みんなから慕われている。
 興味あるなぁ。あの冷徹な課長がそこまで惚れるなんて。

 まりな課長を見つけた。その姿は美しく、完璧だった。
 あれ、なんか胸がもやもやする。
 でも、これから課長と夕ご飯だと思うとなんだか、わくわくする。
 弱みを握ってなかったら、この時間はなかったのかな。
 あれ、なんだかちょっと虚しい感じがする。

「生ビール」
 遠慮せず飲み物と食べ物を頼む。いわゆる家庭料理を出すような居酒屋だ。
 まさか、鬼上司とこんなところに来る日が来るとは。
 人生わからないものだ。
 なんだか楽しい至福のひとときに浸る。

「で、その人を好きになったきっかけと、なぜ今まで諦められないのかを教えてください」
 お酒が入ったこともあり、強気になる。

「好きになったきっかけなんて、中学の時だから忘れたよ。諦められないのは理屈じゃないだろ」
「じゃあ、質問を変えます。今まであの人に告白したり、デートに誘うなどの積極的なアプローチをしたことはありますか?」
「ない」
 真顔で断言する。全然想いを伝えてないじゃん。

「友達ではあったんですよね?」
「話せる仲だけど、そこまで親しくはない」
「まさか、ストーカーの如く同じ会社に入社したとか?」
「偶然だよ。中高一貫校で大学もエスカレーター式だったし。この会社には、うちの大学からは割と入っているしな」
「課長はエリートですからね。でも、告白しないうちに相手が結婚したってことですか?」
「まぁ、そうなる」
 照れくさそうに視線を逸らす。意外とかわいい。

「ずっとこれからも好きなんですか?」

「簡単に人の気持ちって変わらないもんだよ」 
 冷静な顔をしながらも、熱い思いを抱く彼は一途な人なんだと改めて思う。
 グラスを持つ姿も含めて、いい男だなと顔をまじまじと見つめてしまった。

 一緒にごはんを毎日のように食べるようになった。
 彼女との思い出の話や何度か告白しようとしてうまくいかなかったことがあったことを少しずつカミングアウトされる。
 人生はタイミングが大事だ。告白しようとしても、邪魔が入ったり、ドタキャンされて会えなかったり、トラブルがあって延期になったり。
 タイミングを逃して告白ができなかった。でも、まだ気持ちは冷めないという状態なのかもしれない。

「俺ってキモイよな……相手は既婚者なんだし」
 自覚があるだけまだマシなのかもしれない。
 ちょっと痛いけど真剣な想い。

「その女性の旦那さんってどんな人なんですか?」
「大学時代の同級生で俺もよく知ってるんだよ。いつのまにか交際して結婚してたんだ。結婚式の招待状をもらったときは凍ったよ」
 草食系の極みなのだろうか。

「でも、結婚したのは最近なんですか?」
「わりと最近だ。幸せであってほしいとも思うが、ほかの男というのは複雑だ」
「イケメンな旦那さんでしたか?」
「世間でいうイケメンってのがわからないけど、まぁカッコいいと思うし、勉強もできるし大手企業に勤めてる男だ。あいつにならば、任せられるな」
「そのうちお子さんが生まれるかもしれませんよね」
「……」

 一瞬黙ってしまう。辛いのだろうか。なんともいえない空気だ。

「子供には辛い思いをさせたくないんだ。俺自身、子供時代の苦労人だからな」
「親に虐待されてたとかじゃないですよね」
「お金に困ることはなかったけど、両親が共に不倫していて、結果的に離婚した」

 聞いてはいけないような事情を抱えていたなんて。
 人には言えないような事情や悲しみがあるのかもしれない。
 きっと寂しさの中で生きてきた人なのかもしれない。
 愛情を知らない人。愛情を信じられない人。なんかもう、個人的に守ってあげたくなる。

 この人は、ずっと好きな人をいつのまにか奪われて、結婚式にまで出ていたのだろうか。
「俺は、このまま一生独身だ。気持ちは墓場まで持っていく」
「これからいい出会いがあるかもしれませんよ」
「俺は、きっと他の誰かを愛せないと思う」

 変なところで融通がきかないなぁ。真面目かよ。

 あきれながらも、話し相手とご飯を食べる相手ができたことに喜びを感じる。
 基本ずっと一人だった。気を許せる友達もいない。
 課長は他に好きな人がいるわけで、過ちは起きない。
 真面目ゆえ、私に手を出すとか器用なことはできないだろう。
 安心して、財布代わりとして相手をしてもらう。
 課長のおごりはありがたい。
 でも、話をしているたび、思いがひしひしと伝わってくる。
 なんだろう。こんなに一人の女性を愛することができる人、素敵じゃん。
 そうそう一途な男性なんていないと思う。
 不思議な尊敬と憧れの気持ちが芽生える。

 私はずっとただ、共に食事をする関係なんだよね。
 その位置が崩れることはないんだよね。
 そんなのはわかっていること。
 自問自答しているなんて、少し前にはなかったことだ。
 真面目で一途な男が目の前にいるのに、もったいないことした人もいるんだな。
 まりな課長の旦那さんは、須藤課長よりもっと魅力があったのだろうか。
 須藤課長の本当の魅力に気づかないで結婚しちゃったのなら、もったいないこと極まりない。
 
 あれ? わたし、さっきから、魅力っていう言葉を無意識に使ってる。
 かなり肯定的な言葉だよね。あんなに嫌いだったのに。嘘みたい。

「私との食事の時間は楽しいでしょ。こんなに素敵な女性はそうそういませんよ」

「正直間島はうざい。なぜ俺が面倒な部下と食事をしてるのかって思うよ。でも、いつもひとりぼっちだった食事の時間を誰かと共にして少し気持ちが晴れた。そういった意味では感謝をしている」

 課長らしい礼儀を尽くした台詞だ。

「課長は心のスキマに穴が開いてますからね。私が修繕してみせますよ」
 心のスキマというのはふとした瞬間に空くものだ。
 スキマに入るタイミングというのはとても難問だ。

「まさかの不出来な後輩に弱みを握られるとは一生の不覚。間島みたいな奴とは、気取らずに話すことができるのかもしれないな。まりなは、完璧で俺よりも何でもできる人だった。だから、告白できなかったのかもしれない。俺では不釣り合い。勉強でも運動でも彼女に勝る要素はなく、仕事も昇進は彼女のほうがずっと早いだろう。今思えばいつも卑屈になっていた」

「完璧よりもちょっとダメな男性のほうが女性って惹かれたりするんですよ」

「そうなのか。俺も、あと少し勇気があれば――。足りなかったのは、勇気だったのかもな」

 そう。足りないのは勇気だ。
 いつのまにかそばにいて、食事を共にするのが当たり前の存在になった須藤課長。
 好きだと気づいたのはいつからだろうか。
 勇気を使うことはリスクが高い。
 使えない気持ちはよくわかる。

 課長、お酒が入るとキャラ変するなんてみんな知らないんだよね。
 本当は優しくて人思いで、ぶれない人。
 一途で不器用な男性。
 私だけが知る秘密だ。
 もっと近くにいたい。たとえ私の片思いでも――。
 いつものノリで提案してみる。
 一緒にご飯を食べて、その流れ。明日は休みだし。


「課長のお宅にお邪魔しちゃおうかな」
「なんでだよ」
「二次会ですよ。彼女との写真も見たいし」

 本当は先輩と一夜の関係になりたいという目論見があった。
 きっと課長だって、若い女性がいれば、遊びでならば手を出すと思った。
 私にだってその程度の魅力はあると思う。多分だけど。
 初めての経験が遊びとわかっているのもどうかと思うけど、課長ならばそれでもいいような気がした。

 視線と視線が合う。実は胸が少しばかり開いたブラウスを着てきた。スカートも短めだ。
 化粧はばっちり、髪型のカールも崩れていない。私のかわいいを見てほしい。

「今晩泊めてください」
 上目づかいで目を大きく見せる。
 一夜のつながりが新しい一歩になるかもしれないと思ったからだ。

「泊めないよ」
 そこは課長らしい誠実な対応だ。

「俺、好きじゃない女とは一緒に寝ない主義だから」
 この言葉がズキッと刺さる。
 このがっかりした感じ。
 私、鬼上司である課長のことが好きなんだ。
 しかし、課長の気持ちは別にある。
 これは、完全に一方通行の恋。
 最初からわかっていたこと。
 むしろ、そのおかげで仲良くなれた。
 私はなんて未来のない難しい恋をしてしまったのだろう。
 果てしない砂漠に放り出されたような絶望感を担う。
 こんな気持ちになるために仲良くなったの?
 はじめての悲しみだった。

 涙が流れそうになり、「帰宅します」と言って私は帰ることにした。
 でも、好きだから、明日も先輩とごはんを食べたい。話がしたい。
 好きな人と両思いになれなくても一緒にいたい。
 気持ちだけは変えられない。
 好きという気持ちはどうにもならない。
 課長に対してストーカーと最初は思ったけれど、踏ん切りがつかない気持ちは痛いほどわかる。
 フラれてもいない状態で失恋したのだから、どうにも嫌いになれないのはわかる。
 自分も同じ状況になって初めて感じるもどかしさ。
 じれじれした感じだ。
 そして、全く相手にされていない私。全く女性としての魅力を感じられていないのは辛い。

 どうやら私と課長は似た者同士らしい。
 片思いであることをわかっていて、諦められないところが似ている。

「独身女性が独身男性の家に泊まるってのはどうかと思う。俺も話し相手がいたほうが和む。休日、どこか一緒に出掛けないか」

 そこは課長らしい返答。これは、一歩前進した? 
 休日に一緒に出掛けるってお互いのプライベートな時間を削ってまで会うってことでしょ。
 課長の口からこぼれた言葉。これは意外だ。

「うれしーです」
 課長は意外と純粋でかわいい。
 彼の心に新しく私との思い出が刻まれるといいな。
 そんなことを思ってしまう。

 勢いあまって、抱きついてしまう。
 あれ、私ってこんなに大胆キャラだっけ?
 嫌がられるよね。あんなに愛している人がいるんだもん。
 顔と顔の角度が絶妙だ。
 近いなと思うし、心臓がバクバクだ。

 その瞬間少しだけ唇と唇が触れた。
 これはキスというものなのだろうか。
 これって、特別な関係の証ということでは――。
 課長は私をじっと見つめて、申し訳なさそうにする。
「ごめん。つい、キスしてしまった。これは事故というかなんというか」
 本当に困った様子の課長。
 困らせてしまったな。
 でも、ついキスってするものなの?
 事故って何?

「大丈夫です」
 普通に対応しないと。

「俺、女性と接することになれていなくて、うまく距離がわからなくって。嫌じゃなかったか?」

 心から申し訳なさそうに自分の首に手を当てながら困った様子の課長。

「嫌じゃないです」
 はっきりと言えた。
 でも、それ以上の何かという関係にはなれないし、彼の心から彼女を消すことはできない。

 でも、そばにいてくれると落ち着くと言われたことがあって、それが今は一番うれしい。
 どんな言葉よりも私を支えているんだ。

「課長、キスするの、はじめてですか?」
「そうなるかな。この歳でヤバいよな」
 苦笑いをする。

「とりあえずキスでもしましょうか?」
「な、なにを言う?」
 赤面の課長。
「キスひとつでも、いろんなやり方あるみたいなんで、一緒に研究しましょうよ」
「だあ――――!! おまえってやつは」

 不意打ちのキス。
「次はどこにキスしますかね?」
「ばかやろー!!」
 まんざらでも無さげな様子。
 毎日が楽しいんだから、これでいいんだ。

「とりあえず、ごはんでも食べにいきますか」

 須藤課長の瞳にはもうまりな課長は映っていないようだ。
 視線の先には私がいる。

 そんな私と課長との関係、日常は結構楽しい。
 キスからはじまる関係はありなのかもしれない。
 その先があるかどうかなんてわからないけれど、彼に私以外の相手ができるとも思えないし。
 多分、放っておいたら、おじいちゃんになっても片思いして孤独死しそうなタイプだし。
 顔はいいし、年収はいいから、その気になればいくらでも女が寄ってくるんだろうけどね。

 このままでもいいけど、この人の恋人になりたい。

「間島は、ノリで男の部屋に行ったり、キスできる人間なのか? 俺の心のスキマを埋めたのは間島だ。一緒に飯を食ってキスをする。そんな毎日がどうしても楽しくてしょうがない。好きってなんだろう。俺は全然わかってない」

 恋愛初心者にも程があるな。
 毎日が課長のことで頭がいっぱいだ。
 仕事中も、その横顔にぐっとくる。
 私は飯友でいい。キス友でもいい。
 でも、伝えたい。

「課長ーー」
「飯食いに行くか」
「はい」
「私は、他の女性を愛している課長を愛してますよ。課長みたいに後悔したくないんで、ちゃんと伝えます」

 戸惑う課長。困ってるな。不器用丸出しな様子が課長らしい。
 いつもびしっときめてるスーツ姿が今日も一段と格好いい。

「俺は、好きじゃない女性とキスをするような男じゃないから。まだ、この気持ちがよくわからないけど、愛とかはわからないけど……」

「気づいたら愛なんてここにあるんだと思いますよ」
 胸に手を当てる。
 気づいたら課長は胸の中にいつもいた。

「気づいたらここにあるのか?」
 確認しながら、胸に手をあてる課長。中学生かよと思ってしまう。

「最近、ずっと間島のことが心にあって。でも、好きっていう今までのまりなへの気持ちが嘘になりそうで」
「どっちも本当の気持ちですよ。私のことを好きな気持ちもね」
「好きかどうかはわからないけど……」
「他の人とキスしよっかなぁ」
「それはだめだ」

 次の瞬間課長の唇が深く強く触れていた。 

「ご飯とキスでつながる関係ってのも悪くないけど、恋人になりたい、かも」
 本音が溢れる。

 次の瞬間、抱きしめられる。

「俺、愛とか恋とかわかんないけど、他の男に取られるのはヤダ」
 子供っぽい口調だ。

「そういうの、独占欲っていうんですよ」
「だな」
 どうやら観念したらしい。

「新しい気持ちを教えてくれた間島には感謝してる。こんな俺のこと、よろしくお願いします」
「まかせてください。地の果てまでも愛しますから」

 絶対にこの人以外に好きにならないと思っていたとしても、それは思い込みで。
 そんなことはないのかもしれない。
 人の気持ちは見えないけど、移ろっていく。
 でも、その時に好きだと思った気持ちは全部事実で本当だと思う。
 提案してみる。

「とりあえずキスでもしましょうか?」






 
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