不幸を呼ぶ男 Case.1

【滝沢のアジト】
滝沢は、リビングのソファに深く体を沈めていた。
手にした煙草の先から立ち上る紫煙だけが、この静まり返った部屋で唯一動いているものだった。テレビの電源は入っているが、画面でアナウンサーが何を話しているのか、その内容は全く頭に入ってこない。
彼の思考は、数分前に見たばかりの、あの生々しい夢の断片を必死に繋ぎ合わせようとしていた。
自分が『殺戮マシーン』と呼ばれる光景。冷たいベッド、白衣のドクター、腕に刺さる注射針……。
(あの夢は、俺の記憶で間違いないということか……)
確信に近い予感が、鉛のような重さとなって全身にのしかかる。
ふと、アジトがいつもより静かすぎることに気づく。いつもなら、この時間にはキッチンからコーヒーの香りがしたり、「おはようございます」という少し眠そうな璃夏の声が聞こえてくるはずだ。
滝沢:「どこに行ったんだ……?」
彼は誰に言うでもなく呟いた。胸の奥に、ほんのわずかな、それでいて確かな喪失感が芽生える。それは、彼が15年間忘れていた、「孤独」という名の痛みだったのかもしれない。
【夜探偵事務所】

夜:「とりあえず、調べることは二つね」
夜は脚を組み、まるで簡単なゲームのルールでも説明するかのように言った。その瞳には、すでに獲物を見つけた狩人のような光が宿っている。
夜:「一つ目。過去の、ドイツから日本への旅客機墜落事故。これが全ての始まりのはずよ。これは、私と璃夏さんで手分けして調べましょう」
璃夏:「はい」
璃夏は、滝沢を救いたいという強い意志を目に宿し、力強く頷いた。
夜:「それと、親友だった男、イヴァンのフルネームはわかる?」
璃夏:「はい。イヴァン・ソコロフ、です」
夜:「よし!」
夜は満足そうに頷くと、隣に座る唯一の所員に鋭い視線を向けた。
夜:「田上健太!」
健太:「はい!」
名前を呼ばれ、健太は背筋を伸ばして椅子に座り直す。
夜:「イヴァン・ソコロフという人物を、まずは各種SNS、それから使える限りのデータベースを使って徹底的に洗って。同姓同名の別人まで、リストアップしなさい」
健太:「はい!了解です!」
夜:「じゃあ、決まりね。早速行きましょう、璃夏さん」
璃夏:「はい!」
二人の女性は、決意を固めた顔で立ち上がった。
【図書館へ向かう車内】
夜が運転する事務所の車が、都心の喧騒を抜けていく。
車窓から流れる景色をぼんやりと眺めていた璃夏に、不意に夜が話しかけた。
夜:「滝沢って、歳いくつなんだろうね?」
璃夏:「見た目的には……私と同じくらいですかね?」
夜:「そういえば璃夏さんて、いくつなの?」
璃夏:「33です……」
夜:「えー!見えない」
夜は、心底驚いたように言った。その素直な反応に、璃夏は少し照れたように微笑む。
璃夏:「そうですか?あ、でも、顔は整形してますから」
彼女は、自分の壮絶な過去を卑下することなく、あっけらかんと笑った。その強さに、夜は一瞬だけ目を見開く。
夜:「そういえば、そうだった」
夜も、つられたように笑った。
二人の間にあった、かすかな遠慮の空気が、その笑い声と共に溶けていくようだった。
【図書館】
静寂が支配する、巨大な都立中央図書館の閲覧室。古い紙とインクの匂いが、濃密に空気を満たしている。
夜:「滝沢が今35歳だと仮定して、25年前の前後5年くらいの新聞を調べてみるわ」
夜が、マイクロフィルムが収められた重いファイルを棚から引きずり出しながら、小声で璃夏に指示を出した。
璃夏:「はい」
夜:「璃夏さんは、そこのパソコンで、まずはネット検索からお願い。同じ期間で、『ドイツ』『旅客機』『墜落』で検索して」
璃夏:「わかりました」
璃夏はパソコンの前に、夜はマイクロフィルムの閲覧機の前に座った。
途方もない記憶の海の中から、たった一つの真実という名の砂金を見つけ出すために。
二人の、静かで、そして長い戦いが、今、始まった。
< 13 / 49 >

この作品をシェア

pagetop