西地区警備署事件録2024
花咲く、春
令和日本に似た箱庭世界、幻想怪異発生特別区――通称「特区」。その治安を守る西地区警備署には新たな季節が訪れようとしていた。
「へっくしゅん……へ、へ、へ……うぇっくしょーいっ」
豪快なくしゃみをした熱田署員に周囲の視線があつまる。付けなさい、と署長が熱田署員にマスクを手渡した。季節柄、風邪が流行っている。ほかの署員に移っては大変だ。
「どうしたの、風邪?」
「いや、花粉症です」
署長の心配そうな声に対して、熱田君がティッシュで鼻をかみながら返事をした。署長からマスクを受け取って、口と鼻を覆うようにぴったりとつける。これでくしゃみの飛沫が飛ぶこともなく、ひとまずは安心である。
「花粉症というにはまだ、季節が早いんじゃないかね? ほら、まだ雪も積もってるし……」
署長が窓の外を指さした。暖かそうな午後の日差しが西地区警備署の裏の花壇を照らしている。先日の冬将軍の通過では特区には大雪が降り、西地区も例外ではなかった。警備署の周囲も雪かきをして、警備署裏のスペースに雪を積んだのである。最近の暖かさで徐々に雪は解けているものの、まだまだ寒い日が続く。雪山は残っていた。
「いや、飛んでます。この感じ、確実に花粉は飛んでますね。僕にはわかります」
熱田署員が意味もなく周囲を威嚇しながら言った。花粉症の者には花粉が目に見えているのだろうか。睨んでも花粉は怯まないと思われるが、花粉症を患っている人間からすると睨まずにはいられないのかもしれない。
「飛んでるのかあ、花粉。春が近づいているね。まあ、花粉症じゃなくて風邪っぽそうだったら、早めに教えてね」
***
西地区警備署の裏側。ぽつんと植えられた梅の木にお花がポンと咲いていた。
「今日は温かいわねえ」
そう口にしたのは春であった。春は今、梅の花の姿を持っている。春が現れたため、周囲の気温が少し上がった。その暖かさにつられて、梅の木の枝にはポップコーンのようにピンク色の梅花が咲いていき、地面からはフキノトウのつぼみがひょっこりと顔を出す。
「ちょっと、早かったかしら?」
今度はフキノトウの姿をした春がつぶやいた。春が首をかしげるのも無理はない。なぜなら、周囲にはまだ雪が積もっていたのだから。いくらフキノトウが初春の咲くとはいえ、花を開かせるのはまだ早いかもしれない。
「まあ、いいでしょう。雪の隙間から顔を出すお花もよいものですよ」
春がそう言うのと同時に、雪の間からいくつものフキノトウがにょきにょきと顔を出す。濡れた土の間に淡い黄緑が映えている。てんぷらにしたら美味しいに違いない。
「春の味覚も、春の訪れの一部。楽しんでもらいましょう」
春はあらゆる花の姿を持って顕在する。春が来るから花が咲くのか、花が咲くから春が来たというのか。どちらが先かはわからないが、春は生まれたときからあらゆる花の姿を持っていた。ちなみに、他の季節でもぽかぽかとした春のような過ごしやすい日があるのは、どこかで花が咲いているからである。
にこにこして咲いている春に対して、それを咎める人影がいた。
「困りますよ、フライングでお花を咲かせてもらっちゃあ」
春が声の主の方を振り返ると、そこには雪だるまの顔を持つ長身のスーツ姿が立っていた。冬である。凛々しい太い眉毛をつり上げて怒っているが、解けかけていて迫力はない。
「あららら、冬に見つかってしまいましたね。冬将軍の大名行列、調子はどうでしたか?」
春が冬の様子を聞いた。
「滞りなく終わりました。いやはや、西地区警備署に通行許可証を出しておいてもらってよかった。そのおかげで、スムーズに通行できました。邪魔されることなく、いい感じに大名行列が通ることができてね」
「それはよかったわ。昨年は秋が家出してしまったり、冬が秋に食い込んだりして季節がぐちゃぐちゃだったから、いい感じの冬になってよかったですね」
「そうなんです。まあ、秋のところに押しかけたのは、少し前のめり過ぎたかもしれません」
春が話に花を咲かせるので、周囲は暖かくなっていく。
「いやはや、春と話すとうららかですな」
「さようでございますか」
さて、交代時期のお話をしましょうか、と春が本題を切り出した。暖かさにつられて早めに咲いてしまった春だが、暦の上ではまだ少し冬だ。しかし、冬がにこやかに首を横に振った。
「いいえ、その必要はありません」
花が咲き始めただけでなく、それにつられて鳥がやってきた。葉の裏からは越冬した虫たちがのそのそと這い出てくる。
「特区は春の訪れを待ちわびているようでしょうから、ここらで徐々に春に変わっていくのが良いでしょう」
「そんなこと言って、冬将軍の大名行列で少し、お疲れになったんじゃありません?」
「ばれましたかな?」
冬が今度は眉を下げて頭をかいた。汗をかいているように見えるのは暖かいという理由だけではないだろう。
「それでは、次の冬までごきげんよう」
雪だるまが木枯らしをまとわせて、さっそうとその場を去っていく。これから特区に春が訪れるのである。
「へっくしゅん……へ、へ、へ……うぇっくしょーいっ」
豪快なくしゃみをした熱田署員に周囲の視線があつまる。付けなさい、と署長が熱田署員にマスクを手渡した。季節柄、風邪が流行っている。ほかの署員に移っては大変だ。
「どうしたの、風邪?」
「いや、花粉症です」
署長の心配そうな声に対して、熱田君がティッシュで鼻をかみながら返事をした。署長からマスクを受け取って、口と鼻を覆うようにぴったりとつける。これでくしゃみの飛沫が飛ぶこともなく、ひとまずは安心である。
「花粉症というにはまだ、季節が早いんじゃないかね? ほら、まだ雪も積もってるし……」
署長が窓の外を指さした。暖かそうな午後の日差しが西地区警備署の裏の花壇を照らしている。先日の冬将軍の通過では特区には大雪が降り、西地区も例外ではなかった。警備署の周囲も雪かきをして、警備署裏のスペースに雪を積んだのである。最近の暖かさで徐々に雪は解けているものの、まだまだ寒い日が続く。雪山は残っていた。
「いや、飛んでます。この感じ、確実に花粉は飛んでますね。僕にはわかります」
熱田署員が意味もなく周囲を威嚇しながら言った。花粉症の者には花粉が目に見えているのだろうか。睨んでも花粉は怯まないと思われるが、花粉症を患っている人間からすると睨まずにはいられないのかもしれない。
「飛んでるのかあ、花粉。春が近づいているね。まあ、花粉症じゃなくて風邪っぽそうだったら、早めに教えてね」
***
西地区警備署の裏側。ぽつんと植えられた梅の木にお花がポンと咲いていた。
「今日は温かいわねえ」
そう口にしたのは春であった。春は今、梅の花の姿を持っている。春が現れたため、周囲の気温が少し上がった。その暖かさにつられて、梅の木の枝にはポップコーンのようにピンク色の梅花が咲いていき、地面からはフキノトウのつぼみがひょっこりと顔を出す。
「ちょっと、早かったかしら?」
今度はフキノトウの姿をした春がつぶやいた。春が首をかしげるのも無理はない。なぜなら、周囲にはまだ雪が積もっていたのだから。いくらフキノトウが初春の咲くとはいえ、花を開かせるのはまだ早いかもしれない。
「まあ、いいでしょう。雪の隙間から顔を出すお花もよいものですよ」
春がそう言うのと同時に、雪の間からいくつものフキノトウがにょきにょきと顔を出す。濡れた土の間に淡い黄緑が映えている。てんぷらにしたら美味しいに違いない。
「春の味覚も、春の訪れの一部。楽しんでもらいましょう」
春はあらゆる花の姿を持って顕在する。春が来るから花が咲くのか、花が咲くから春が来たというのか。どちらが先かはわからないが、春は生まれたときからあらゆる花の姿を持っていた。ちなみに、他の季節でもぽかぽかとした春のような過ごしやすい日があるのは、どこかで花が咲いているからである。
にこにこして咲いている春に対して、それを咎める人影がいた。
「困りますよ、フライングでお花を咲かせてもらっちゃあ」
春が声の主の方を振り返ると、そこには雪だるまの顔を持つ長身のスーツ姿が立っていた。冬である。凛々しい太い眉毛をつり上げて怒っているが、解けかけていて迫力はない。
「あららら、冬に見つかってしまいましたね。冬将軍の大名行列、調子はどうでしたか?」
春が冬の様子を聞いた。
「滞りなく終わりました。いやはや、西地区警備署に通行許可証を出しておいてもらってよかった。そのおかげで、スムーズに通行できました。邪魔されることなく、いい感じに大名行列が通ることができてね」
「それはよかったわ。昨年は秋が家出してしまったり、冬が秋に食い込んだりして季節がぐちゃぐちゃだったから、いい感じの冬になってよかったですね」
「そうなんです。まあ、秋のところに押しかけたのは、少し前のめり過ぎたかもしれません」
春が話に花を咲かせるので、周囲は暖かくなっていく。
「いやはや、春と話すとうららかですな」
「さようでございますか」
さて、交代時期のお話をしましょうか、と春が本題を切り出した。暖かさにつられて早めに咲いてしまった春だが、暦の上ではまだ少し冬だ。しかし、冬がにこやかに首を横に振った。
「いいえ、その必要はありません」
花が咲き始めただけでなく、それにつられて鳥がやってきた。葉の裏からは越冬した虫たちがのそのそと這い出てくる。
「特区は春の訪れを待ちわびているようでしょうから、ここらで徐々に春に変わっていくのが良いでしょう」
「そんなこと言って、冬将軍の大名行列で少し、お疲れになったんじゃありません?」
「ばれましたかな?」
冬が今度は眉を下げて頭をかいた。汗をかいているように見えるのは暖かいという理由だけではないだろう。
「それでは、次の冬までごきげんよう」
雪だるまが木枯らしをまとわせて、さっそうとその場を去っていく。これから特区に春が訪れるのである。


