噛みたいαと大きい背中
12
その日の夜、学は高校時代の友達である二佳と夕飯を食べていた。二佳は高校時代に活動していたバンドのリーダーで、いまはメジャーデビューして芸能活動をしている人間だ。学がバンドをやめた後もたまに連絡をくれる貴重な友人である。
「最近もまだ大学で目立ってるのか?」
「まあね。しかも、さらに目立ってるよ」
シャキシャキとキャベツを食べながら、最近の学生生活について学は話し始めた。大学でいばら財閥の令嬢、いばら照を助けたことから、彼女と行動をすることになった。彼女はイメージ通りのお嬢様ではなく、バイタリティ溢れる女の子で、目を見張るところが多い。一緒にいて割と楽しいのだが、彼女が何も話してくれないのでもどかしいと思っている。
「何も?」
「何も。いや、最初、ちょっと話したけど」
さすがに、最初、番になって欲しいと言われたことについては黙った。しかし、友達になってほしいという言葉に応えて会話をしたのは事実である。
番になってほしいと言ったあの時、照の声はやっとのことで絞り出したらしい、すこし震えた小さい声だった。それ以降、だんまりを通しているのは何か理由があるに違いないのだが、学はそれを教えてもらえるほどまだ親しくはないのだろう。
しかし、コミュニケーションをとれないことが不満なところだと考えると、学は照と親しくなりたいという気持ちはあるらしい。それを考えると学の照りに対する気持ちは負の感情だけではないのだが、彼女のことがわからないことに困惑しているのは確かだ。
「チャットは少しずつ話すようになったけど、一緒にいるときに何考えてるのかわからないし、正直困る」
山盛りのキャベツを掻き分けて学は熱いラーメンをすする。貧乏学生にとっては安くていい食事だ。今日は妙にエネルギーを使った気がしたので、野菜ラーメンの大盛りを頼んだ。香ばしく、とろみがついて美味い。
「よそから何か言われるのはいいんだけどさ。目立つのも構わない。でも、お姫様と一緒にいると疲れるんだよな」
二佳に正直な気持ちを吐露する。今、学が一番感じているのは、確かに疲れるだった。一緒にいると発見がある、お嬢様のわりに奔放でびびる、そして、話してもらえなくてちょっと不満がある……。
いろいろな気持ちはあるものの、その気持ちにひとつひとつ名前を付けるほど、学は秀でた辞書を持っていない。照への気持ちを表現しようとして、一番強いものは疲れるだった。照といると結構面白くて、ためになるけど、緊張する。それは、照がご令嬢だからではなく、彼女が学に見せる自由さが引き起こしているのだった。
学内にいる友人にはこんなことは話せない。万が一にでも照の耳に入ったら、彼女も傷つくだろう。まあ、彼女と一緒にいて友人の九郎と話す時間は減っているので、愚痴をこぼす時間がないのだが。
「まあ、大変なのかもしれないけど、疲れるなんて言うなよ」
せっかくできた縁なんだからさ、と二佳が言った。彼が学の人間関係を気にするのは、やはり学がバンドメンバーから外れたことを気にしているのだろう。
メジャーデビューをする際、事務所の意向を全員で話し合った。しかし、オメガである学を入れてのデビューはできないと事務所に結論付けられたのだ。話題性は出るだろうがそれは一時期の話で、バンド自体の実力や新規性が失われかねない、というもっともな理由からだった。バンドのためだと学は自らバンドを抜けた。他のメンバーもそれは重々承知だが、完全に晴れやかな気持ちで活動ができているわけではないのかもしれない。
高校の時に長らく熱意を傾けていた音楽活動だった。学はオメガであり、目に見えた差別を受けることもあった。現実、大学の中で学は非常に浮いた存在だ。でも、まさか高校生だった当時は、メジャーデビューの段階でオメガとして差別を受けるとは思っていなかったのだ。学だけじゃなく、メンバー全員がショックを受けた。しかし、子供なりの頭で全員で考えて決めたことだ。
その事情を考えると、リーダーとして二佳は、大学の中で学を受けいれてくれる場所があって少しほっとしているように見えた。
「そりゃあ、僕だって仲良くしたいと思ってるよ。別に邪険にしたいわけじゃない。ただ、全然意思の疎通が取れなくて……」
「だったら、話さなきゃいいんじゃね?」
二佳がレバニラ炒めを頬張りながら学に言う。
「話さないぃ?」
素っ頓狂な声を上げた学に二佳は言う。チャットならいろいろはなせるんだったら、それで話せばいいじゃん、と二佳がレバニラ炒めを食べている箸で学を指さした。良い考えを思い付いたという時に箸で指さす、箸癖が悪いのは高校時代と変わらない。
「でも、目の前にいるのにチャットで話すなんてなんか味気なくない?」
「じゃあ、筆談とかはどうだ?」
二佳がボードとか使ってさ、といいながら、今度は箸で鉛筆で書く真似をした。確かに、端末の画面にのめりこみがちなチャットと違って、筆談だったら相手の表情も見ながらコミュニケーションをとれるかもしれない。
学は照が小さい字で筆談をしてくれることを想像する。頑なに話そうとしない照だが、文章でなら話をしてくれるだろうか。
「でも、書いてくれるかな?」
「言えばやってくれんじゃね。ダメだったら、次の方法を考えればいいんだしさ。少なくとも、相手はお前の事、気に入ってるんだろ?」
気に入っている……確かに、一緒に行動をしているのだから多少なりとも気に入られているとは思う。番になってと言ったのも、学に何か思うところがあってのことだろう。それが、内面の話か顔で選ばれたのかはわからないが、悪感情は抱かれてはいないと思う。
……本日の一件で嫌われたかもしれないが。
せっかくのチャンス掴まなきゃ損だぜ、と二佳が続けた。
「チャンス?」
「お前これから就活があるんだろ?」
二佳がこれをきっかけに財閥に進出したらいいんじゃねと、今度は箸をくるくると回す。財閥の令嬢と仲良くなって一流企業に就職! いいルートだぜと二佳が言った。
ニカの現金さがうらやましい。
「おまえなあ、さすがに失礼すぎるだろ。就職先を案内してくださいなんてさ」
「そうか? 割とありだと思うけどな」
したたかに生きろ! と二佳が笑った。
しかし、ご令嬢を就職の足掛かりにするという話はともかくとして、二佳が言った筆談の話は良い案じゃなかろうか、と学は思った。
二佳の案を採用することにしよう。行動してみてダメだったらまた次の案だ。筆談がダメだったら、チャットでしばらくやりとりをするのもいい。
それを考えると学の気持ちは不思議と軽くなった。至極前向きな意見をくれる二佳と話すと、気持ちは軽くなる。
「よーし、とりあえずいい感じのノート買うから付き合ってくれ」
次の日の土曜日、学は二佳に付いて来てもらって筆談用のスケッチブックを購入していた。リング式のもので、捲りやすい、ちょっと紙が厚手のノートだ。本来ならば絵を描くようなものなのだろうが、手で持ちやすい大きさも気に入った
「もっと大きいやつ買えば? 色々書けて節約になるだろ」
「あまり大きなものだと、照が持つのが大変そうだからこれにする」
「持つの大変って、どんだけちっちぇーんだよ……」
一緒に食堂に行かなければ、備え付けの箸を不器用に持つ照の手の小ささなんて知らないだろう。抱えられるくらいの大きさがわかるのだってそうだ。学は照のことを思いのほか知っている自分に驚いていた。それを実感すると、なんだか友達みたいだな、と学は思う。
昨日は疲れるなんて思ってはいたものの、彼女のことを考えるのは、ちょっと楽しかった。
「最近もまだ大学で目立ってるのか?」
「まあね。しかも、さらに目立ってるよ」
シャキシャキとキャベツを食べながら、最近の学生生活について学は話し始めた。大学でいばら財閥の令嬢、いばら照を助けたことから、彼女と行動をすることになった。彼女はイメージ通りのお嬢様ではなく、バイタリティ溢れる女の子で、目を見張るところが多い。一緒にいて割と楽しいのだが、彼女が何も話してくれないのでもどかしいと思っている。
「何も?」
「何も。いや、最初、ちょっと話したけど」
さすがに、最初、番になって欲しいと言われたことについては黙った。しかし、友達になってほしいという言葉に応えて会話をしたのは事実である。
番になってほしいと言ったあの時、照の声はやっとのことで絞り出したらしい、すこし震えた小さい声だった。それ以降、だんまりを通しているのは何か理由があるに違いないのだが、学はそれを教えてもらえるほどまだ親しくはないのだろう。
しかし、コミュニケーションをとれないことが不満なところだと考えると、学は照と親しくなりたいという気持ちはあるらしい。それを考えると学の照りに対する気持ちは負の感情だけではないのだが、彼女のことがわからないことに困惑しているのは確かだ。
「チャットは少しずつ話すようになったけど、一緒にいるときに何考えてるのかわからないし、正直困る」
山盛りのキャベツを掻き分けて学は熱いラーメンをすする。貧乏学生にとっては安くていい食事だ。今日は妙にエネルギーを使った気がしたので、野菜ラーメンの大盛りを頼んだ。香ばしく、とろみがついて美味い。
「よそから何か言われるのはいいんだけどさ。目立つのも構わない。でも、お姫様と一緒にいると疲れるんだよな」
二佳に正直な気持ちを吐露する。今、学が一番感じているのは、確かに疲れるだった。一緒にいると発見がある、お嬢様のわりに奔放でびびる、そして、話してもらえなくてちょっと不満がある……。
いろいろな気持ちはあるものの、その気持ちにひとつひとつ名前を付けるほど、学は秀でた辞書を持っていない。照への気持ちを表現しようとして、一番強いものは疲れるだった。照といると結構面白くて、ためになるけど、緊張する。それは、照がご令嬢だからではなく、彼女が学に見せる自由さが引き起こしているのだった。
学内にいる友人にはこんなことは話せない。万が一にでも照の耳に入ったら、彼女も傷つくだろう。まあ、彼女と一緒にいて友人の九郎と話す時間は減っているので、愚痴をこぼす時間がないのだが。
「まあ、大変なのかもしれないけど、疲れるなんて言うなよ」
せっかくできた縁なんだからさ、と二佳が言った。彼が学の人間関係を気にするのは、やはり学がバンドメンバーから外れたことを気にしているのだろう。
メジャーデビューをする際、事務所の意向を全員で話し合った。しかし、オメガである学を入れてのデビューはできないと事務所に結論付けられたのだ。話題性は出るだろうがそれは一時期の話で、バンド自体の実力や新規性が失われかねない、というもっともな理由からだった。バンドのためだと学は自らバンドを抜けた。他のメンバーもそれは重々承知だが、完全に晴れやかな気持ちで活動ができているわけではないのかもしれない。
高校の時に長らく熱意を傾けていた音楽活動だった。学はオメガであり、目に見えた差別を受けることもあった。現実、大学の中で学は非常に浮いた存在だ。でも、まさか高校生だった当時は、メジャーデビューの段階でオメガとして差別を受けるとは思っていなかったのだ。学だけじゃなく、メンバー全員がショックを受けた。しかし、子供なりの頭で全員で考えて決めたことだ。
その事情を考えると、リーダーとして二佳は、大学の中で学を受けいれてくれる場所があって少しほっとしているように見えた。
「そりゃあ、僕だって仲良くしたいと思ってるよ。別に邪険にしたいわけじゃない。ただ、全然意思の疎通が取れなくて……」
「だったら、話さなきゃいいんじゃね?」
二佳がレバニラ炒めを頬張りながら学に言う。
「話さないぃ?」
素っ頓狂な声を上げた学に二佳は言う。チャットならいろいろはなせるんだったら、それで話せばいいじゃん、と二佳がレバニラ炒めを食べている箸で学を指さした。良い考えを思い付いたという時に箸で指さす、箸癖が悪いのは高校時代と変わらない。
「でも、目の前にいるのにチャットで話すなんてなんか味気なくない?」
「じゃあ、筆談とかはどうだ?」
二佳がボードとか使ってさ、といいながら、今度は箸で鉛筆で書く真似をした。確かに、端末の画面にのめりこみがちなチャットと違って、筆談だったら相手の表情も見ながらコミュニケーションをとれるかもしれない。
学は照が小さい字で筆談をしてくれることを想像する。頑なに話そうとしない照だが、文章でなら話をしてくれるだろうか。
「でも、書いてくれるかな?」
「言えばやってくれんじゃね。ダメだったら、次の方法を考えればいいんだしさ。少なくとも、相手はお前の事、気に入ってるんだろ?」
気に入っている……確かに、一緒に行動をしているのだから多少なりとも気に入られているとは思う。番になってと言ったのも、学に何か思うところがあってのことだろう。それが、内面の話か顔で選ばれたのかはわからないが、悪感情は抱かれてはいないと思う。
……本日の一件で嫌われたかもしれないが。
せっかくのチャンス掴まなきゃ損だぜ、と二佳が続けた。
「チャンス?」
「お前これから就活があるんだろ?」
二佳がこれをきっかけに財閥に進出したらいいんじゃねと、今度は箸をくるくると回す。財閥の令嬢と仲良くなって一流企業に就職! いいルートだぜと二佳が言った。
ニカの現金さがうらやましい。
「おまえなあ、さすがに失礼すぎるだろ。就職先を案内してくださいなんてさ」
「そうか? 割とありだと思うけどな」
したたかに生きろ! と二佳が笑った。
しかし、ご令嬢を就職の足掛かりにするという話はともかくとして、二佳が言った筆談の話は良い案じゃなかろうか、と学は思った。
二佳の案を採用することにしよう。行動してみてダメだったらまた次の案だ。筆談がダメだったら、チャットでしばらくやりとりをするのもいい。
それを考えると学の気持ちは不思議と軽くなった。至極前向きな意見をくれる二佳と話すと、気持ちは軽くなる。
「よーし、とりあえずいい感じのノート買うから付き合ってくれ」
次の日の土曜日、学は二佳に付いて来てもらって筆談用のスケッチブックを購入していた。リング式のもので、捲りやすい、ちょっと紙が厚手のノートだ。本来ならば絵を描くようなものなのだろうが、手で持ちやすい大きさも気に入った
「もっと大きいやつ買えば? 色々書けて節約になるだろ」
「あまり大きなものだと、照が持つのが大変そうだからこれにする」
「持つの大変って、どんだけちっちぇーんだよ……」
一緒に食堂に行かなければ、備え付けの箸を不器用に持つ照の手の小ささなんて知らないだろう。抱えられるくらいの大きさがわかるのだってそうだ。学は照のことを思いのほか知っている自分に驚いていた。それを実感すると、なんだか友達みたいだな、と学は思う。
昨日は疲れるなんて思ってはいたものの、彼女のことを考えるのは、ちょっと楽しかった。