祇王と仏午前・猫物語

主人との相聞歌

 あと、どこかの歌塾に所属していて月一回その歌塾の月刊誌が発行されるのですが、そこには主人の和歌も必ず掲載されますので、それを幾冊か持っては作業員仲間たちに配ります。でもそれを熱心に読んでくれる人はいないそうで、中には「わかったよ。おまえが歌人ということは。しかしこんなものを寮で配るな」と憎々しげに云っては突き返す人もいるそうです。
 フーッ(祇王の怒った声)、まったく、主人がせっかく作った歌なのに!その人に爪でも立ててあげようかしら。あ、ところで云い忘れましたが、わたしと主人がいま住んでいる所は会社の寮です。寮というのは会社の持ち物で、会社を辞めるとか辞めさせられるとかしたらすぐに出て行かなければならないんですって。「でも祇王、心配するな。お金が貯まったらすぐペットOKのアパートに引っ越すからな」とわたしの耳元に頬をすり寄せては云ってくれますので、わたし安心しています。耳にすり寄ると云えば主人は「祇王、聞け。これが俺の作った短歌だ」と云ってはわたしを膝の上に抱き上げて和歌を聞かせたりもします。なにしろたとえなにもなくてもやたらとわたしを抱きしめて「祇王、おまえ。かわいい、かわいい」などと云っては頬をすり寄せるのが好きな人なんです。
 そんな調子でいつかこんな歌を聞かされました。「いとしきは祇王そなたなり捨つるなど人はすめれど我(わ)がすべきやは」という歌。この意味わかります?え?そう云うおまえは?ですって。失礼な。ズバリ、わかります。猫の感覚というものがあって、歌(のみならず主人の云うことすべて)にこもる情愛を正確に捉えることができるのです。ですからその逆もしかりで、その時はわたしこんな歌を返しました。「ニャーオ、頼(たの)もしかる君の言こそ命なれ添はで生きるは思ふべくもなし、ニャーオ(字余り)」と。
< 5 / 12 >

この作品をシェア

pagetop