野いちご源氏物語 三五 柏木(かしわぎ)
衛門(えもん)(かみ)様がご病床(びょうしょう)を抜け出されたことに女房(にょうぼう)たちは気づいていない。
「お眠りになりました」
とお聞きになった父君(ちちぎみ)は、僧侶(そうりょ)に会ってあれこれご相談なさる。
もう五十代半ばでいらっしゃるけれど、あいかわらず華やかなご性格で、よくお笑いになる明るい方なの。
そんな方が疲れきったお顔で、
「女の妖怪(ようかい)とやらを息子の体から追い出してやってください」
とあやしげな僧侶にお願いなさっている。

「またお(きょう)が始まったな。父君は何もご存じないから、『女の妖怪が()りついているせいだ』という(うらな)()の言葉を信じていらっしゃる。本当に(おんな)(さん)(みや)様の妖怪でも憑りついているなら、むしろうれしくありがたいことだが。
私のような(あやま)ちを起こして世間の(うわさ)になり、女はもちろん自分の評判(ひょうばん)も傷つけた男というのは昔からいたものだ。しかしだからといって、それなら私も平気だとは思えないのだよ。やはり源氏(げんじ)(きみ)が特別な方だからだろうね。あの方に嫌われたら生きていけない。ありふれた(つみ)などではない。
六条(ろくじょう)(いん)で源氏の君に(にら)まれたあのとき、私の体から(たましい)が抜け出してしまったらしい。いまだに体に戻ってきていないから、もし六条の院のどこかで見かけたら(しか)っておいておくれ」
まるで()(がら)のように弱々しくなって、笑い泣きしながらお話しになる。

姫宮(ひめみや)様もいたたまれないお気持ちのようでいらっしゃいます」
お顔のやせてしまった姫宮様の、うつむいて(しず)みこんでいらっしゃるお姿が衛門の督様のお目に浮かぶ。
あまりにありありと見えたので、
<本当に私の魂が六条の院にあるのでは>
()(ぶる)いなさる。

「もう姫宮様のことは忘れよう。(はかな)い恋だったというのに、このままではあの世でも執着(しゅうちゃく)が残って苦しむことになる。ただ、ご出産だけは気がかりだ。ご安産なさったと(うかが)ってから死にたい。結局あの夜見た夢のことは誰にも話せなかった。ふつうの夫婦だったらおもしろおかしく話せただろうに。(むな)しいことだ」
お考えがまとまらず感傷(かんしょう)的におなりのご様子なので、小侍従(こじじゅう)気味(きみ)が悪いけれど、ご同情する気持ちの方が(まさ)って一緒に泣き出してしまう。
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