アイドルになったお隣のお兄ちゃん。これからも推していいですか?
「リコ。ショウちゃん、帰ってきてるって」

 中学校から帰ってきた私は、お母さんからそう聞いたとたん、再び家の外へと飛び出していた。

 ショウちゃんは、うちの隣にある定食屋の子供で、高校生の男の子。私にとっては、お兄ちゃんみたいな人だった。

 わけあって、半年くらい前から遠くの学校に通うために家を出たんだけど、久しぶりに会えるんだ。
 ドキドキする気持ちを抑えて、ショウちゃんのうちの定食屋の戸を開ける。

 だけどその時目に入ってきたのは、ショウちゃんではなく、私と同じように、ショウちゃんに会うためやって来ていた近所の人達だった。
 ショウちゃん本人はというと、そんな人達に囲まれ、色々話をしていた。

 近所の子が里帰りしてきただけで、なんでこんなにって思うかもしれないけど、ショウちゃんは特別だ。特別に、なっちゃったんだ。

 囲んでいるうちの一人が、ショウちゃんにあるものを渡す。それは、最近発売された、新人アイドルグループのCDだ。そして、ジャケットになっているメンバーの写真の中には、ショウちゃんの姿があった。

「それにしても、小さいころからイケメンだとは思ってだけど、まさか本物のアイドルになるとはね。今のうちにたくさんサインもらっておかないと」
「そんな、まだ駆け出しですよ。これから頑張らないと」

 持ち上げられ、照れくさそうに笑うショウちゃん。その笑顔は以前と変わらないように見えるけど、変わってしまったものも、確実にある。

 ショウちゃんがアイドルのオーディションに合格したのが、今から一年くらい前。
 最初はこの家からレッスンに通い、お仕事をしていたけど、だんだん忙しくなってきて、それも難しくなった。だから、事務所の人が用意した寮に住み、同時に芸能活動しやすい学校に転校することを決めたんだ。

 それから約半年。ショウちゃんの入ったグループは、あっという間に人気が出て、今や毎日のようにテレビで見るようになった。
 それがこうして帰ってきたんだから、みんなが騒ぐのも当然だ。

 だけど私は、そんなショウちゃんを見て、ちょっぴり複雑な思いを抱いていた。

 そもそも、ショウちゃんが帰ってきたって聞いて飛び出してきたけど、会って何を言えばいいのか、ちっとも考えてなかった。

 頑張って? 応援してる? そんなこと、私に言う資格なんてないのに。







 その夜。私は一人、自分の部屋のベッドで寝転がっていた。
 結局、あれからショウちゃんには声をかけることなく、家に帰ってきた。
 お母さんから聞いた話では、ショウちゃんは明日の朝には、今住んでる寮に戻っていくらしい。忙しいから、長居できないのも当然だ。

 このまま、会うことなく終わっちゃうのかな。
 思わずため息が出るけど、相変わらず、会っても何を話せばいいのかわからない。

 だけどその時、誰かが部屋のドアをノックした。

「リコ、起きてる?」
「ふぇっ!? ショ、ショウちゃん?」

 ドアの向こうから聞こえてきたのは、ショウちゃんの声だった。

「ただいま。少し話をしたいんだけど、入ってもいいかな?」
「え、えーっと……ちょっと待って。今、着替えるから!」

 すぐにドアを開けようとしたけど、今の私はパジャマ姿で、寝転がっていたから髪もぐちゃぐちゃ。ちょっと前ならこんな格好でも平気で出ていくことができたのに、今は、なんとなく恥ずかしい。

 急いでタンスから服を取り出そうとするけど、その時、またショウちゃんが話しかけてくる。

「あのさ。どうせ着替えるなら、中学の制服にしてくれない」
「せ、制服?」
「ああ。リコの制服姿、まだ見たことないから。その……俺が、約束破ったせいで。ごめんな」

 最後の言葉は、なんだかとても申し訳なさそうに言ってるように聞こえた。
 ううん。実際ショウちゃんは、心の底からごめんって思っているんだろう。だけど、本当に謝らなきゃいけないのは私だ。

「私こそごめん。あの時わがまま言って、困らせたよね」

 行っちゃやだ!
 ショウちゃんから、家を離れて寮で暮らすことになったって聞いて、真っ先に出てきた言葉がそれだった。

 だってそんなことしたら、ますますショウちゃんに会えなくなっちゃう。
 ただでさえアイドルの仕事が忙しくなっていって、今までみたいに毎日のように会うことができなくなっていた私にとって、ますます距離が遠くなるなんて、凄く嫌だった。
 それに、そのタイミングで家をでたら、私の小学生卒業も、中学校入学も、直接会って祝ってはもらえなくなる。それが、凄く不満だった。

『卒業式、見にきてくれるって言ったじゃない。中学の制服が届いたら、たくさん写真とってくれるっていったじゃない。嘘つき!』

 あの時ショウちゃんに言った言葉が、今でも胸に響いてる。
 これがショウちゃんにとってどれだけチャンスかわかってたのに、自分勝手なわがままを言って、たくさん困らせた。
 そして、それをちゃんと謝ることができないまま、ショウちゃんは家を出てしまった。

「本当に、ごめんね」

 いつの間にか、服を取る手が止まっていた。
 あんなことしておきながら、今さらどんな顔して会えばいいかわからない。

 戸惑う私に、さらにショウちゃんの声が届く。

「リコは、俺がアイドルになんてならない方がよかったって思ってる?」
「──っ!」

 ここで、そうだって答えたら、ショウちゃんはいったいどうするだろう。
 怒る? 悲しむ? それとも、私のためにアイドルをやめる?
 一瞬、そんな考えが頭をよぎる。

 万が一、億が一、アイドルをやめたりなんてしたら、また毎日ショウちゃんに会える。たくさんたくさん、甘えることができる。
 それは私にとって、とても幸せなことかもしれない。
 だけど──

「急いで着替えるから、ちょっとだけ待ってて」

 一言そう告げると、すぐに制服に手を伸ばし、ドカドカ音をたてながら、大急ぎで着替える。それから櫛で髪を鋤くと、部屋の隅に置いた、あるものを手に取った。

 そして、ショウちゃんが待っているドアを、勢いよく開ける。

「リコ…………?」

 それが、半年ぶりに私の見たショウちゃんの第一声だった。
 今の私の格好は、ショウちゃんが頼んだ通り、中学校の制服姿。だけどその肩には、ショウちゃんの名前入りのタオルをかけていた。右手には、ショウちゃんの顔が大きくプリントされたうちわを、左手には、ついこの前発売されたばかりのCDを持っていた。

 目を丸くするショウちゃんに向かって、私は震える声で言う。

「アイドルにならない方がよかったなんて、そんなこと思うわけないじゃない。だって、最初にアイドルになったらって言ったの、私だよ」

 元々、ショウちゃんがアイドルオーディションに応募したのは、私がやってみてよと言ったからだった。
 だって、私にとってショウちゃんは、どんなアイドルよりもカッコいい、最高の推しだったから。

 前みたいに気軽に会えなくなったのは寂しい。できることなら、ずっとそばにいてほしい。
 だけどいくらそう思っても、テレビで活躍する姿を見ると、スピーカーから流れてくる歌を聞くと、応援せずにはいられなかった。

「わがまま言ってごめん。困らせてごめん。こんな私だけど、これからも、ショウちゃんのこと推してもいい?」

 ショウちゃんは、それまで丸くしていた目を細め、にっこりと笑う。

「もちろんだよ。リコが応援してくれるなら、俺、もっともっと頑張れるからさ」

 そうして、私の頭をそっとなでた。





   ~数ヶ月後~




 会場を埋めつくす、人、人、人。そしてその視線の先にあるステージでは、四人のアイドル達が手を振っている。
 その中の一人がショウちゃんだ。

 今日は、ショウちゃんの所属するグループのライブの日。
 私はそれを、最前列で見ていた。チケットは、ショウちゃんからのプレゼントだ。

「みんな、今日は来てくれてありがとうー」

 ショウちゃんがそう言った時、私と目が合った。そしてその瞬間、バチンとウインクをしてくる。

 もしかして私のために。なんて思うのは、うぬぼれかな?

 私も、思いきりショウちゃんの名前を叫んで、ペンライトを振る。
 いつも会えなくなったのは、やっぱりすごく寂しい。だからその分、これからも全力で推させてね。
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