桜吹雪が舞う夜に
それから、2人でレジャーシートを広げ、思い思いの時間を過ごしていた。
日向さんは聖書を開き、私はスマートフォンで友達からのメッセージに返信していた。
――え。
不意に、彼が短い声を上げた。
驚いて顔を上げると、日向さんの視線は膝の上に置かれた聖書に注がれていた。
「……これ」
彼の指先が、一行の横に添えられた小さな文字をなぞる。
私は思わず息を止めた。そこに残っていたのは、こっそり私が書き込んだ言葉だった。
私もです。全てあなたと会うためだったのなら、どんな痛みも受け入れられる。
彼の指先が、私の書き込みの上をそっとなぞったまま止まっている。
(見られちゃったな……)と内心で焦っていると、日向さんはゆっくりと顔を上げ、私の手をぎゅっと握った。
「……桜」
かすれた声で呼ばれると、胸がぎゅっとなる。彼の瞳には、言葉にならない何かが宿っていた。
「ありがとう。……本当に、ありがとう」
言葉は小さくても、真摯さがじんわりと伝わってくる。私はなんと返せばいいのかわからず、ただ俯いて指先で指輪を撫でていた。
しばらく沈黙が流れる。春の風がシートを揺らし、遠くで子どもたちの声がはしゃいでいる。
その静けさの中で、日向さんがぽつりと呟いた。
「……同棲しないか」
言葉が出た瞬間、彼自身が驚いたように一瞬目を見開いた。
私の方も、動けないように固まる。胸が大きく跳ね、顔が熱くなる——あまりに突然で、でもどこか当然のように感じられる一言だった。
「え……?」
としか出てこない。私は視線を上げると、彼の頬がわずかに赤くなっているのが見えた。普段はいつも冷静で、何よりも私が嫌がったりしていないかを第一に確認するような人が、こんなにも素直に自分の欲望を口に出し前に出るのを初めて見た気がした。
「今は色々あるだろうし、無理にってわけじゃない。……ただ、俺は君と居たい。もっと、日常を一緒に過ごしたいんだ。君の隣で寝て、君が起きる顔を見て、怒ったり笑ったり、全部一緒にいたい」
声に力がなく、だけど真っ直ぐだった。言葉の端々に照れと切実さが混ざっている。
世界が少しだけ静かになる。私は胸の中でぎゅっと手を握り返した。考えるより先に、笑みがこぼれる。
「……日向さん」
少しだけ間をあけて、私は答えた。
「はい。……一緒に暮らしたいです」
彼の表情がぱっと明るくなる。驚きと安堵と、どこか子供っぽい嬉しさが混ざった笑顔を向けられて、私の目から自然と涙がにじんだ。
日向さんはそれを見て、ぎゅっと私を抱きしめる。
舞い散る桜の下で、私達は、静かに新しい約束を交わした。春の風が、二人の体温をそっと包み込むように吹いていた。