大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

第208話(最終話) それでも、好き

改札を抜ける人の流れの中で、朱里は立ち止まっていた。

約束の時間より、少し早い。

嵩はまだ来ていない。

──待つ、って。

こんな気持ちだったんだ。

不安がないわけじゃない。

でも、胸の奥にあるのは、落ち着いた温度だった。

スマートフォンが震える。

《今、着いた》

朱里が顔を上げると、少し離れた場所に嵩が立っていた。

スーツ姿。

少しだけ疲れた顔。

でも、こちらを見つけた瞬間、表情が緩む。

その変化に、朱里は胸がいっぱいになる。

歩み寄ってくる足音。

いつもの距離で、止まる。

「お疲れさまです」

「中谷も」

それだけで、十分だった。

並んで歩き出す。

会えなかった時間を埋めるような会話はしない。

天気の話も、仕事の愚痴も、今日は要らない。

駅を出て、夜の街へ。

「……変わった?」

嵩が、ぽつりと聞く。

「何がですか」

「雰囲気」

朱里は少し考えてから、答えた。

「変わった、というより……
逃げなくなった、かもしれません」

嵩は、歩きながら小さく笑った。

「それ、すごい進歩だと思う」

朱里は立ち止まる。

嵩も、気づいて止まる。

夜風が、二人の間を抜ける。

朱里は、深く息を吸った。

──言うなら、今だ。

でも、完璧な言葉は見つからない。

「……あの」

嵩が、黙って待つ。

「好き、って言うの……
まだ、ちょっと怖いです」

正直に言う。

取り繕わない。

「でも」

朱里は視線を上げる。

「言わないまま、離れるのは……
もう、選びません」

沈黙。

嵩は、しばらく何も言わなかった。

それから、静かに答える。

「それで、十分だ」

一歩、距離が縮まる。

触れそうで、触れない。

「俺も、完璧な言葉はいらない」

嵩は、少しだけ声を低くする。

「でも─
一緒に続けたいって気持ちは、同じだ」

朱里の胸が、じんと熱くなる。

「……それでも」

小さく、でもはっきりと。

「それでも、好きです」

言えた。

叫びじゃない。

泣き声でもない。

ただの事実として。

嵩は、驚いた顔をしてから、ゆっくり息を吐いた。

「……うん」

それ以上、言葉は要らなかった。

二人は歩き出す。

今度は、ほんの少し肩が近い。

百回言えなかった「大嫌い」は、もう要らない。

一度だけ言えた「好き」は、これから育てていく。

夜の街に、二人の足音が溶けていく。

物語は終わる。

でも、選んだ日々は、続いていく。

──それでも、好き。
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