黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって

7

 ダリアはさらを見ながら微かに頭を振っている。大真面目に自分は死者だと認める彼女が度し難いのだろうか。

 しかし、ごまかしが効かないのなら真実をぶつけるしかない。さらは彼を見返した。

 「……無事お送りするまでが任で、あの邸の内情に詳しくない。ただ、人少なな印象は受けた。……あなたがあの邸にいたとして、襲撃者らから逃げる為に海に身を投げた後、どうやって生き延びてこられたのか? その間、イング家に身を寄せることも可能だっただろうに」

 「わたしは崖から落ちて死にました。そうしなければ、リヴを守れなかったから。彼の身代わりになって黒ずくめの男たちを崖に引き付けた……。もう逃げられなかった。海に落ちるかし道がなかった……」

 嗚咽のない静かな涙が頬を伝った。

 サラの感情が溢れてくる。王子が側にいない切なさに胸が痛んだ。

 (リヴに会いたい)

 愛情の成分は母性に近いものが占めるのかもしれない。けれども、愛しく大事に思う気持ちは恋に決して劣らない。

 光に青味を感じさせる髪。きれいな瞳とほっそりとした体。その腕に抱きしめられることをサラは受け入れながらも戸惑っていた。閉塞した環境の中、彼の恋が邪に逸れるのを恐れたから。

 なのに、時を置き今、

 (あの手に腕に触れたい)

 焦がれるようにサラは願う。

 彼女の涙が静まるのを待って、ダリアが繋いだ。

 「確かに、王子が王宮に帰還なさる前に邸を襲った事件があった。ご本人が詳細を仰らず、陛下も秘させられて事件の顛末は有耶無耶になったままだ」

 「……リヴはすぐ王宮にお帰りに?」

 「そう聞く。わたしが知ったのは何ヶ月も後の王子からのお手紙でだ。帰還された簡単な経緯と、後宮の変事でお母上が妃に上られたことが綴られていた。その他の事ごとは追って知らせを受けた」

 王子の母のエイミは男子を生した後も長く側室のままだった。王宮に帰ったのち妃の位を得られたのは、王妃の権勢が揺らいだことを指すのでは。

 「後宮の変事とは、王妃様にちなんだことでしょうか?」

 「王妃は病が篤くなられ後宮を出られた。「離宮でご静養」と表向きはそういうことになっている」

 ダリアの言葉には含みがある。権勢を誇った王妃の凋落は、王子の暗殺を企てたことに繋がるように思われた。

 陰謀は未遂に終わり、王子は無事に王宮に帰還した。王が事件を秘させたのは紛争の中、王室内の醜聞を避ける為だろう。

 「離宮でご静養」は幽閉を指すと想像できるが、殺された当人にしてみればぬる過ぎる沙汰に感じてしまう。

 (王宮にはそうせざるを得ない理由があるのだろうけれど……)

 墨汁のように黒くまた苦い屈託をとりあえず、今は脇に置く。

 サラとして彼に聞きたいことがあった。

 「邸にお迎えして、王子様のお年を知りとても驚きました。とても十三歳とは思えないほどお小さかった。わたしが抱え上げられるほど軽くて……。安全の為に後宮内ではご自分でお食事を制限されていたと聞きました。十分にご成長できなかったのはそれが理由です。邸に移り直ちに食の改善をしましたが、その頃にはもう満足な量を召し上がれなかったのです。どうして、周囲の大人が気づいて差し上げられなかったのか……」

 責めるつもりはなかったが、王子と近いダリアにも責任の一旦はあったのではないか。そんな腹立たしさも浮かぶ。

 「成長期の少年が日々空腹に悩まされて過ごすなんて……、誰も気づかないなんて。怠慢ではないのですか? あなたはお親しいと聞くのに、どうして配慮されなかったのでしょう? お忙しいのはわかります。お立場もあると……。でも、誰一人側にリヴのお味方がいないのはおかしいではないですか」

 しまった涙がまたぶり返した。にじんだ視界の向こうでダリアが彼女を見返していた。

 「知らなかった」

 「え」

 「お兄上の第一王子も虚弱でいられて、似ていらっしゃるのだと思い込んだ。お母上譲りの華奢な質なのだとも思った。後宮がエイミ妃にとってお暮らしにくいのはうかがっていたが、王妃の宮殿で部外者は如何ともしがたい。窮屈な慣習も多い中で、十三歳まで耐えて下さるのを待っていた。これも言い訳に過ぎないな……」

 十三歳は王子が後宮を出るのを許される年齢だった。だから、その時を待ってダリアに王命が下った。彼ら母子を安全な場所に移すように。

 「リヴはあなたに助けを求めなかったのですか? 直接会った時にでも……」

 「王子は不要なことは何もおっしゃらない。後宮内で言葉にすることは必ずもれ伝わるとご存知なのだ。それでも察するべきだったとは悔やまれる」

 ダリアの悔恨を聞き、根本の原因は後宮を治外法権にさせてしまった王宮のあり方だと気づく。それを見過ごし続けた王の責任と共に。

 「「僕は正気でないといけない」。そうおっしゃっていました。エイミ様のご病気のことをお考えになってのことでしょうけれど」

 顔を背けて涙を拭った。つい過去を思い気持ちが昂って、ダリアを詰ってしまった。

 後宮は王宮にあって王妃が絶対者である女の城。その閉じられた異空間の歪みは、外にいる者にはきっとうかがい知れない。

 (まさかと思うことがまかり通る場所もある)

 ふとサラの実家が頭をよぎった。あの中も小さな後宮と言えなくもない。彼女はそこで虐げられ続けた。

 「言葉が過ぎました。無礼でした。お詫びします」

 「いや」

 そこでダリアは手の手紙を握るように丸めた。

 「王子のお側にあったあなたにしかわからない思いもあって然るべきだ」

 その言葉はにさらは顔を上げる。話を受け入れてくれたと考えていいのだろうか。期待が表情に浮かんだ。

 「王子のご趣味は?」

 「本をよくお読みでした。特に古代史がお好きで全集を繰り返し読まれていました」

 「進講役の博士の名は? 王子と共に邸に移ったはずだ」

 「はい。グレーズ博士です」

 続く問いはさらの知識の確認のようだ。体験者である彼女の答えは澱みがない。

 「わたしについては何を? 王子とはどう血が繋がるのかをおっしゃったか?」

 「父方のはとこだとお聞きしています」

 「それのみか?」

 「……はい、それ以上は何も……」

 ダリアはそこで小さく頷いた。

 「まあそれはいい。あの方は余計なことはおっしゃらない。わたしはガラハッドの養子だ。王子とは祖父母が兄妹になる」

 意外な事実にさらは唖然となった。相槌も打てずに黙り込む。

 そんな彼女の反応を彼は構わず、顎に指を置いた。
 
 「王子をリヴと呼び申し上げるのは、お母上のエイミ妃のみ。他は知らない。あなたが王子由来の腕輪をお持ちなのは、邸の縁がある為か……」

 腕輪の件はまた別の話になるが、それを説明すればせっかくの理解を損ねるに違いない。

 「信じていただくのは難しいでしょうけど…」

 「今も信じてはいない。邸の襲撃で命を落とした者が再び甦るなど……。奇怪な妖術ではないか。そうであっても、信じがたいがな」

 「奇怪な妖術」の言葉にさらは心臓が縮む思いだ。「魔女裁判」に流れないように歯を食いしばって必死に願った。

 「もっとましな嘘が幾らもあるだろうに、敢えて理解しがたい話を用意する意図もわからない。邸の襲撃を生き延びて何処かに潜んでいたとすれば、まだ納得もいくが……」

 「それでは嘘になります。わたしが落ちたのは険しい崖でした。あの高さから落ちて助かるなど、あり得ないでしょう。あの崖から落ちて生き延びたなどと言うものがいれば、わたしは信じません」

 ダリアはちょっと笑った。子供のいたずらを見るような表情にさらの目は奪われた。ずっと見つめていたくなる。

 この世界から出る方法に悩んでいたはずが、彼の前にいると途方もなかった思いも霞んでいくから不思議だった。

 (いられるだけいればいいのかも)

 そんな楽な気持ちになれる。

 「目が覚めれば浜辺にいました。自分でも何がなんだか……。襲撃から二年も経っていると知り驚きました。行く当てもなく、困っていたところをキシリア様に救っていただきました。必要な仕事は何でもします。ですからここにおいていただきたいのです」

 「あなたの言葉通りなら、イング家に行くのも確かに憚られるな。死んだはずの身では縁者に会うのも難儀だ」

 さらは頷いた。大伯母エミリの元に行くなど思いつきもしなかったが、ダリアの言葉通り、元より無理な話だった。それこそ、

 (魔女裁判にかけられてしまう)

 「いい案がある。それが果たせれば、わたしのあなたへの疑念もすっきりと晴れる」

 「何でしょうか?」

 「王子にお会いになればいい」

 「それは……」
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