黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって

13

 生まれた可能性は大きかった。

 目の前の王子はひたむきな思いをまっすぐさらに注いでくれている。彼の良心は汚れておらず瑞々しく胸にあるはずだ。

 彼はこの三年ほどの後、サラに似た女性を強引に従わせようとする人物になる。それが許されるといいうだけの理由で。

 大人になりそれぞれの正義の天秤が動くことは誰にもある。この後、彼の中に変化が起こり、それが天秤を大きく傾かせていく。

 自分がいればそれを止められるのではないか。さらはそう思う。

 彼女は王子の前で頷いた。

 彼は彼女の手を握り唇を当てる。

 「サラなら誰も文句は言わない。父は君を見てきっと喜ぶよ。早く君を紹介したい。それで縁談を進める気なんか吹っ飛ぶ。僕が陰気だと不満なんだ」

 そう王子ははにかむように笑った。サラの記憶にあるきれいな笑みだ。

 気づけばさらは彼の腕の中にいた。年齢差の罪悪感にちくちく心を苛まれながらも、腕を解けなかった。

 笑わないという彼が見せた笑顔に魅せられていたから。

 『廃宮殿の侍女』。あの本の著者からのメッセージ「物語のすべてのヒロインに息吹を」。

 あれが自分への啓示に似たものだとしたら、この世界でのさらにはヒロインとしての役割があるのかもしれない。そう想像していた。

 『セレヴィア点』で彼女を殺したジジは人魚姫。こちらでは学校にいるアンは『あしながおじさん』のジュディなのかもしれない。そして、さら自身は、

 (王子様にプロポーズされるのだから『シンデレラ』…)

 でも、ガラスの靴もかぼちゃの馬車もない。また、舞踏会で他の令嬢たちから王子様の視線を奪うエピソードもない。

 (その劣化版ね)
 
 「手紙で僕は、君がしてくれたことが嬉しくないと書いた。犠牲になって僕を守ってくれたのに、僕はひどいことを書いた。一人にした君を恨んでいた」

 「いいの。そんなこと」

 「ありがとう」

 額に彼が口づける。それを感じながら、サラが彼を救うためにとった行動の意味を肌で理解した気がした。

 この彼を傷つける者を許せないと思ったから。



 王子と会った帰り道だ。送ると言う彼を断って一人で来た。不満そうだったが、明日も会うのだから、と納得してもらった。

 明日はさらが城に行く。

 先ほどまでの時間を振り返れば、頬が熱くなる。

 自分の決断に今更驚きが心を揺さぶっていた。王子のプロポーズを受けるのは動機が何であれ、この世界に残ることだ。

 (いいの?)

 自分に問いかけても答えは返らない。ただ、後悔はなかった。年齢差の罪悪感は気まずいが、しっかり異性として意識しているのは事実だった。

 縁談について聞いた時も即座に「断る」と断言してくれた。嬉しかった。

 それが思いがけずさらの胸をすっとさせた。

 帰れないのと帰らないのでは大きく違う。

 まさか、こんな選択をするとは思いもよらなかった。

 こちらが長くなり、元の世界を恋しがることも減った。選択肢が少なく、悩むことより目の前のことに集中していられる。情報の少なさは心の平安に繋がると知った。

 さらのいない元の世界はどうなっているのか?

 伯父夫妻が捜索などをしてくれているのでは、とこればかりは心が騒ぐ。少ない友人たちにも心配かけているだろう。

 (でも……)

 以前『セレヴィア点』から元の世界に帰った時、さらの時間はトリップの前にきれいに繋がった。彼女の戸惑いを置いて、何事もなかったかのように平然と流れていった。

 (なら、時間は止まったまま?)

 その思いつきは心を軽くする。元の世界では彼女の時間は制止したままだとすれば、トリップしたことで誰にも心配も迷惑もかけないで済む。

 これも、魂の行方と同じで概念を弄ぶだけで答えはない。

 そんな彼女の頬をぽつんと雨が打った。ぱらぱらと小粒の雨が降り注ぐ。学校はもうじきだ。なだらかな丘の上の校舎が見えてきた。彼女の足でも十分ほど。

 小走りになった時、空が鳴った。稲光が走る。

 不意に当たりが厚い雨雲で薄暗くなった。

 (リヴは大丈夫かしら?)

 迎えが現れて彼は城へ戻って行った。供がいるから無事なはず。まだあまり乗馬が巧くないないようだから気にかかる。

 城の方を振り返った。

 (リヴが見えもしないのに)

 苦笑した彼女の上に一筋の光が落ちてきた。一瞬で彼女を貫き意識を奪った。

 この世界からさらは消えた。
 
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