温厚専務の秘密 甘く強引な溺愛

「なぜ泣く？」
圭吾の声は低く、穏やかに聞こえるのに、不思議と逃げ場を与えなかった。

波瑠は慌てて目元を拭う。
「……泣いてなんか、いません」
強がってみせたが、震える声がすべてを裏切る。

波瑠は水を飲み干し、静かにグラスを置いた。
「……お目よごしして、申し訳ありませんでした」

その言葉に、圭吾は眉をわずかにひそめる。
「謝ることはない」

「でも……」
「泣くことも、酔うことも、人間なら当然だ。……君だけが弱さを見せてはいけないと思っている」

波瑠は目を伏せた。
本当は見せたくなかったのに。
でも、専務の目にはすべてを見抜かれてしまう気がして…。

圭吾はふっと微笑む。
温厚そうに見えるその笑みの奥で、彼の視線は確かに熱を帯びていた。
「むしろ…見せてくれて、ありがたい」

「……もう少し、酔いが覚めるまで一緒にいてくれますか？」
水のグラスを両手で包みながら、波瑠は視線を落とした。

強がってばかりいた女が、ようやく見せた素直な願い。
圭吾の胸に、熱いものがじわりと広がる。

「頼み方を変えれば、ずいぶん可愛いな」
口にした声は低く穏やかだったが、その奥に抗えない力を孕んでいた。

波瑠は顔を上げ、思わず見返す。
温厚な仮面をまとった専務の瞳、その奥に、自分を逃さない強い光を見てしまった。

圭吾はグラスを軽く指で叩き、バーテンダーに合図する。
「なら、もう一杯……水を」

「え、もう一杯……ですか？」
「当たり前だ。酔いを冷ますまで、俺が隣にいる」

「君の酔いが覚めるまで……そんなに酔うほど飲むのは、なにがあったか聞いていいか？」
圭吾は夜景を横目に、穏やかな声で問うた。

波瑠は苦笑いを浮かべ、グラスの縁を指でなぞる。
「……そんなこと聞いたら、専務のお酒が不味くなりますよ」

「酒は、そう簡単に味を変えたりしない」
「でも……私の話なんて、楽しくないです」
「楽しい話じゃなくてもいい。君が何を抱えているのかを知るのは、悪くない」

圭吾の声音はあくまで落ち着いている。だが、その視線は逃がさない強さを宿していた。

波瑠は少しの沈黙のあと、ぽつりと呟く。
「……最低の夜でした」
波瑠は小さく息を吐き、グラスを見つめた。
「大切にされると思ったのに……求められていたのは、私の心ではなくて……」

言葉を選びながらも、その声は震えていた。
彼女の目の奥に、長く積み重ねてきた孤独と痛みがのぞく。

「この歳になっても、そんなことも見抜けなくて。バカみたいに浮かれて……」
波瑠は自嘲気味に笑った。
「今年の誕生日は、一人じゃないのかなって。年甲斐もなく舞い上がって……ほんと、自分でも呆れる」

彼女の声は震え、最後はかすれて消えた。
「……ごめんなさい。くだらない話を聞かせてしまって」

急に酔いがさめたように、波瑠は椅子を引いて立ち上がろうとした。
だが、足元がふらつき、バランスを崩す。

「っ……」
よろめいた体を、圭吾の腕がしっかりと受け止めた。

「……すみません。ありがとうございます」
波瑠は支えてくれた腕から少し身を離し、恥ずかしそうに頭を下げた。

圭吾はその様子を眺めながら、静かに言葉を落とす。
「まだ、酔っているようだな」

「……そうかもしれません」
苦笑いを浮かべた波瑠に、圭吾はふと問いかける。
「誕生日は、いつなんだ？」

思わぬ質問に、波瑠は目を瞬いた。
「……明日です。あと二時間で、明日」

圭吾の眉がわずかに動いた。
「そうか……誕生日か」

夜景の明かりを背にしたその横顔は、いつもより近く、そして不思議な熱を帯びて見えた。