アルパラナ城外のならず者
最終章

最終話

 真っ白な馬に飛び乗って、セリオが慌ただしく草原を駆けてゆく。
彼にお供する二人も一緒だ。
三人を見送った後で、エンリケは縛られていた体を伸ばした。

「あーぁ。ひでぇ目にあったな」
「エンリケ! 大丈夫なの?」

 彼は全身を傷だらけにしていた。
殴られたあとなのか、左のこめかみが青い。

「ま、何とかね」

 気づけば、ここへ私たちを連れて来た男たちの姿はなく、放置された荷馬車に繋がれた馬が、のんびり草を食んでいた。

「……。帰るか」
「ふふ。そうね」

 エンリケが手綱を持ち、私はその隣に座った。
荷馬車の車輪はゴトゴトと回り、のんびりと草原の小道を進む。
エンリケの手首には縛られた痕がくっきりと残り、口の端は切れ黒く固まった血がこびりついていた。

「ゴメンなさい」
「なにが?」
「……。なんか……、その、色々巻き込んじゃって」

 エンリケは御者台でうつむいたまま、頭を小さく左右に振った。

「いいよ」

 草原の向こうには、黄土色に広がるアシオスの町と、その高台にそびえる巨大なアルパラナ城が見える。
彼が無事でよかった。
おかげで私はまだ、この町のことが好きでいられる。
大好きなこの場所で、また暮らしていくことを選択出来る。

「俺だって、そうしたくてここまでついて来たんだし」
「……、え? 何か言った?」
「なんでもない!」

 面会に行ったホセと会うことは許されなかったけど、その翌日には地下牢から解放され、戻ってきた。

「ホセ! 無事に出てこられたの?」

 私は店にフラリと現れた彼を、窓際のテーブルに招く。

「う、うん。セリオが地下の牢獄にまで、助けに来てくれたんだ」
「セリオが?」
「驚いたよ。彼はいったい……」

 店の扉が開いた。
外の買い出しから戻ってきたエンリケは、ホセを見るなり彼に飛びついた。

「お前、生きてたのか!」
「はは。何とかね」

 ようやく私たちに、平穏な日常が戻ってくる。
雑貨屋トリノの客足は絶えることもなかったし、ホセも宿屋の手伝いをしながら生活が出来ている。
間もなくして、アシオス守護隊から連絡が入った。
正式に招待された私たちは、三人で本部に向かう。
通されたのは、簡易裁判所のようなところだった。
判決を下す裁判官の席があり、私たちはその前に用意された長椅子に並んで腰掛ける。
すぐに担当する守護隊員が現れ、私たちは厳粛な面持ちで立ち上がった。

「リッキー商会のネズミ害による被害と、その後の火災についての判決を下す」

 ゴクリとツバを飲み込む。
セリオからもらった資料は全てホセに渡していたし、それをまとめた報告書を守護隊のメンバーも見たはずだ。
照らし合わせれば、今回の調査による守護隊の判断が誤りだったのは明らかだ。
ネズミ害なんてなかったし、火を付けたのもホセじゃない。
だからお願い。
どうか本当のことが本当であったと認められる世界のままでいて!

「主文、無罪」
「え? 本当に?」

 視界には判決文を読み上げる守護隊員の姿が映っていたけれど、その後の言葉なんて、ほとんど耳に入ってこなかった。
守護隊側の調査に誤りがあったことを認め、証拠不十分により無罪とし、今後も事件の調査は続行という形で、お終いだって。

「以上。三人はもう帰ってよろしいですよ」

 そう促され、追い出されるように本部から外に出る。
広場の掲示板には、ひっそりと私たちの顛末を記したものが貼られていた。
本当に自由を取り戻したのだという実感が、ようやくひしひしと湧いてくる。

「やったー!」
「よかったな」

 石畳の上を飛び跳ね喜ぶ私とエンリケに、ホセが遠慮がちに近づいた。

「あのさ、俺、無罪になったら、やりたいと思ってたことがあるんだ」
「え? なになに? 言って言って!」

 ホセは杖をつく体で、緑がかった青い目をしっかりと前に見据えていた。

「リッキー商会を立て直そうと思うんだ。手伝ってくれないか? そうしたいなって、ずっと考えてたんだ」

 私はエンリケと顔を見合わせる。
もちろん断る理由なんてない。

「よし、早速計画をたてようぜ!」
「そうよ、お祝いもしなきゃ」
「お祝い? なんの?」
「私たちの無罪と、リッキー商会の再出発を祝って!」
「はは。いいね。どこでする?」

 ホセの家は狭すぎるし、エンリケの所は家族が多すぎて、ゆっくり出来る場所はない。
トリノのお店か、私の部屋でもいいけど……。

「なぁ。だったら、倉庫広場の跡地へ行ってみないか?」

 エンリケの言葉に、私たちはうなずいた。
ネズミによる感染症が発生したという噂とその後の大火災によって、広場は廃墟のまま残されていた。
五つあった倉庫は完全に焼け落ち、真っ黒な残骸もそのままで、事務所だった建物は全焼は免れたものの、窓ガラスは割れ壁の一部が焦げ付いている。

「中に入れるかな」

 事務所入り口の扉は、開きっぱなしになっていた。
誰かが入って中を荒らしたのか、残されていたわずかな机や棚の中も、なくなったり壊されたりしている。
そんな惨状を目の当たりにしても、ホセは何も言わなかった。
私もエンリケも、もう昔あったこの場所について、語ることはないだろう。
床に転がる割れたランプが、靴のつま先にコツリと当たった。
こんなところから、どうやってやり直すんだろう。
さっきまで浮かれていた甘い理想を、重い現実が押しつぶしてくる。

「なぁ。とりあえず、ここを片付けようぜ」

 そう言ったエンリケは、ひっくり返っていた机を起こすと、その上を腕で払い拭いた。

「フィローネ、そっちの椅子持って来て」
「うん。分かった」

 そこからなぜか、お祝いの準備のはずが、片付けが始まってしまった。
この場所のことは、誰よりもホセがよく知っている。
箒を取り出し、床に散乱したガラス片を集め、外に出す。
足の悪いホセが細かな掃除や片付けをして、私とエンリケは倒れた棚や机などの大きな家具を動かした。

「ふう。何とか見られるようにはなったよね」

 気づけば辺りは薄暗くなっていた。
ホセが残っていたランプに火を灯すと、暖かな光がじんわりと三人の姿を浮かび上がらせる。

「何だか、秘密基地みたいだね」
「そうだな。実際、そんなもんかもね」

 ホセの言葉に、エンリケが賛同する。
しばらく明かりを見つめていた私は、パン! と両手で手の平を打ち鳴らした。

「ね! 今からここでお祝いしようよ。新しい門出を祝して!」
「おぉ、いいねフィローネ」
「でしょ?」
「じゃあ、近くの店で何か買ってこよう」

 事務所の外に出ると、倉庫広場の前に人影が見えた。
馬に乗った三人の姿に気づいたエンリケが声を上げる。

「セリオ! ディオスとパブロもいるじゃないか」
「お前たち、探したぞ!」

 セリオが馬から下りる。
駆け寄ったエンリケに、二人は固く肩を抱き合った。

「よかった。無事だったな」
「お前らもな。セリオ、お前が現れていなかったら、俺たちはどうなっていたか」
「いいんだ。気にするな。それは俺も同じだ」

 杖をつくホセが、彼なりの早足でセリオに近づく。
セリオはホセともしっかりと確かめ合うように抱き合った。

「ありがとう、ホセ。お前が折れずに地下牢で耐えてくれたから、俺たちが動けたんだ」
「セリオの助けがなかったら、そもそも出来なかったことだ。君を信じたから、俺は待つことが出来たんだよ」

 セリオの腕がホセから離れる。
彼は私の前にやって来ると、その手を差し出した。

「フィローネ。これからも時々、会いに来ていいかな」
「もちろん」

 私たちは、互いに強く握手を交わす。

「ね、これからここで、皆でお祝いをするの。セリオたちも一緒にどう? ホセ商会の結成祝いをするんだから」
「ホセ商会?」
「い、いや。フィローネ。まだそうと決まったわけじゃ……!」
「そうだぞ。ガッツリ俺たちも手伝うんだ。ホセだけじゃなくて、俺の名前も入れろ」
「三人で新しい商会を始めるのか?」
「そう出来たらいいなって」

 セリオの顔に、パッと明るい光が広がった。

「だったら、俺も間に入ろう。信頼出来る人間を紹介してやる。きっといい助けになる」
「はは。お前、ホントすげーな」

 エンリケはセリオの肩に腕を回すと、彼の黒い頭をくしゃくしゃになで回す。

「おい、エンリケ! それはやめろ!」
「はは。何だよ。別にいいだろ」
「ね、早く買い出しに行こうよ。私、もうお腹空いちゃった!」

 六人で一緒に買い出しに出掛ける。
あちこちの店を回って、抱えきれないほどのご馳走を事務所に持ち込むと、私たちは乾杯した。
ここから始まる、きっと楽しい未来に向かって。




 その数日後には、本当にセリオからの紹介で、大きな宿屋を経営しているという人たちがトリノの店を訪ねてきた。
彼らがホセとエンリケの三人で始めることになった新しい店を、色々と助けてくれるらしい。
こっちが驚くような提案と、思いもしなかった用件を次々と指摘してくれている。
これから忙しくなることは間違いなかった。
私は早起きして作ったお弁当をバスケットに詰め込む。

「トリノ、カミラ。行って来ます!」

 アシオスの街に、新しい朝が始まる。
私は仲間の待つ場所へ向かって、元気よく外へ飛び出した。


【完】
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