愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

第18話

レニー様が領地を見回るのに、シェルダーがお供をしたようだ。
二人と護衛が帰ってくると、夕食となった。



「こちらは奥様が焼いたパンですのよ」

エルダがそう言ってレニー様の前にレーズンの入ったパンを置いた。焼いたと言っても捏ねて、丸めて窯に入れただけだ。発酵だの火加減だ何だのと難しいことは全て料理長がやってくれた。

「デボラが?」

「嫌なら食べなくていいですよ?」

怪訝そうな顔のレニー様にムカついて私はそう反射的に答えた。

「嫌だとは言っていない。貴族の女性が珍しいと思っただけだ」

レーズンもドライフルーツなのだと、エルダに言われて私は無知を恥じた。そう言えばレーズンやドライベリーを入れたケーキを子どもの頃領地で食べていたことを思い出す。

「桃やリンゴのドライフルーツも作りました。完成が楽しみです」

包丁は握らせて貰えなかったので、ザルに並べただけだが……まぁ、別に作ったと言っても嘘ではない、と思う。

「葡萄や木苺以外にもドライフルーツが出来るのか……」

レニー様が私より無知でなかったことが少し悔しい。

そう言いながらレニー様は大きな口を開けてパンを齧る。

「美味いな。王都で食べたパンより美味い」

「果物が美味しいからですわ。ここで食べる果物はどれもこれも品質が良いです」

「これはタウンハウスでも食べたいな」

「レーズンなら分けて持って帰っていただいても良いですよ。たくさんありますから。もう少しすれはまた葡萄が採れる季節になりますし」

「そうか。ならデボラ、またパンを焼いてくれないか」

レニー様の言葉に私は思わず口を開けてポカンとしてしまった。レニー様が私にパンを焼いてくれって頼んだ?本当に?空耳じゃなくて?

「デボラ?何をボーッとしてる?」

レニー様の声に我に返る。

「あ……あぁ、別に。なら料理長にレシピを書いてもらいましょう。一人でも出来るように……」

「あぁ、頼むよ」

……空耳ではなかったらしい。何となく調子が狂う。

「だが、これだけ美味しいレーズンなんだ。さぞかし採れたての葡萄も旨いだろうな」

「ええ、それはもちろん」

シェルダーもニコニコと答えた。

「そんなに旨い葡萄ならワインにしても旨いだろうな……」

そんなレニー様の呟きに私はハッとした!

「そうよ!果実酒だわ!それなら、また色んな果物を加工できる!」

ガタンと大きな音を立てて私は立ち上がると、テーブルを回ってレニー様の隣に向かう。
そこでテーブルの上にあったレニー様の手をガッシと掴んだ。

「ありがとうございます!そのアイデア頂きですわ!」

私は両方の手でレニー様の手を包み込むように握って持ち上げた。お酒を飲まない私には気づけなかった。

「あ……あぁ」
戸惑ったレニー様の声が小さく聞こえるがそんなものはもう耳に入らない。

「あぁ!凄い!色々なアイデアが湧いてきます!」

私は居てもたってもいられず、レニー様の手を離すと食堂を出ていこうとして、エルダに止められた。

「お、奥様!お食事の途中でございます!」

というか、始まったばかりだった。

「あ!ご、ごめんなさい」

私は恥ずかしくなって顔を赤くした。大人しく自分に用意された席に戻る。

目の前のレニー様はポカンとしていたかと思うと、急に笑い始めた。

「プッ!……アッハッハ!君は猪みたいだな」

「い、猪?」

あの茶色のずんぐりむっくりな獣に私が似ているとでも?!

「あぁ、君はこうと決めたら一直線。周りが見えなくなる。猪突猛進。猪は勢いよく真っすぐに突っ込んでくるが、その例えだよ」

レニー様はそう笑いながら言った。
確かに自分にはそんなところがあると納得する。納得するが乙女を猪に例えるとは……デリカシーのない男だ。

「猪突猛進の意味は知っています。……だからといって猪に例えなくても……」

「あぁ、すまない。悪い意味ではなかったんだがな」

「でも褒めてもないですよね?」

「……確かに」
そう言ってレニー様はまた笑った。

私はレニー様の笑顔を初めて見た気がする。案外可愛らしい顔で笑うのだな……とそう思ったが口には出さずにいた。






「そのジャムをどうする気だ?」

結局、私達は三日間領地に滞在することになった。
王都へ戻る馬車の中、また私とレニー様は向かい合って座っている。と言っても行きと同じく斜め向かい側だが。そして私の傍らにはたくさんのジャムの瓶。

「お茶会で振る舞います。流行の発信は常に女性ですので、皆様に喜んでいただけたら、ブラシェール領の名を広めることに繋がります」

「お茶会……」

レニー様がそう言って黙り込む。彼が心配していることが、私には何となく予想出来たので先手を打つ。

「安心して下さい。今回のお茶会にはアリシア様をご招待いたしますわ」

前のように文句を言われるのは困る。正直、ハルコン侯爵家主催のお茶会を中止にした後からアリシア様とは一度も顔を合わせていない。
あの一件……クラッド様には謝罪を受けたが、アリシア様からは何もなかった。謝って欲しいわけじゃないが、一言もないのは少し失礼ではないかと思うのだが……。


しかし、私の言葉を受けたレニー様の反応は予想外のものだった。

「アリシア?あ、あぁ……きっと喜ぶよ」

あれ?アリシア様を除け者にするなと言われるのだろうと思っていたのだが、拍子抜けだ。

「実は先日、カムデン侯爵夫人のお茶会に招待された時、次回私がお茶会を開く際には是非招待をと仰っていただいていたので、今回夫人をご招待する予定なのです。同じ侯爵夫人がその場に同席していれば、アリシア様がお茶会で浮くこともありませんから」

「あ……うん。そのことだが……兄さんに言われたんだ。伯爵家のお茶会に侯爵家の夫人が招待を受けるのは、普通はあり得ないんだ……と。あの時はアリシアに泣かれて、頭ごなしに君が悪いと決めつけてしまった」

「レニー様は貴族間のあれこれに少々疎いようですね」

「次男だったこともあり……って言い訳だな。そういうのが苦手で剣ばかり振っていたんだ」

でしょうね……としか言いようがないが、一応言葉を選ぶ。

「今まではそれで良かったと思います。しかし、これからはブラシェール伯爵としての立場がございますので、少しずつ学んでいただけると……」

「そうだな……確かに」

意外に素直に頷いているレニー様をこれ以上責めても仕方ない。

「まぁ……レニー様をカバーするために私が居るのです。公の場ではそれとなくフォローしますわ。前にもお約束した通り、当主を立てるのも妻の仕事ですから」

形だけの夫婦だからこそ、それぐらいはきちんと弁えている。

「……君はちゃんと覚悟を持って嫁いでくれたんだな」

レニー様は少し落ち込んだように呟いた。
その言葉の裏を返せばレニー様は全く覚悟が出来ていなかったということだ。

「当たり前です。その方に人生を預けるのですから。遊びではありませんので」

私がピシッとそう言うと、レニー様はバツの悪そうな顔をした。

「そ……うだな」

「必要以上に仲良くする必要はありませんので安心して下さい。もちろん貴方の心も必要ありませんので」

私がそう言って微笑めば、レニー様はほんの少し戸惑ったように見えた。……いや、きっと気の所為だ。



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