愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

第36話 Sideレニー

〈レニー視点〉


「はぁ~~~」

「隊長、何度目のため息ですか……。士気が下がるんですけど」

そう言われても、僕の気持ちは晴れないのだから仕方ない。どんよりと頭上に広がる今の空のようだ。

「ひと雨来そうですね」

「だな。隊長!どうします?宿までもうちょっとありますけど、どこかで雨宿りしますか?」
隊員達の声に反応する。

「馬鹿言うな!これ以上遅くなるわけにいかんだろ!」

そう怒鳴った僕はチラリと横の豪華な馬車を見た。

殿下の婚約式への出席で隣国の王太子殿下のリカルド様がこちらに向かっていると聞いたのもほんの少し前だというのに、まさか辺境まで足を伸ばす羽目になるとは。

隣国との国境でリカルド殿下の馬車が賊に襲われ、殿下付きの護衛が随分とやられてしまった。辺境伯の騎士団によって、賊は討伐されたが、王都までの護衛をこちらの近衛で賄えと言われた時には、嫌な予感がした。

『お前が隊長となり、リカルド殿下の護衛をしろ』
僕の上司である近衛騎士団団長の鶴の一声で、ここに来る事になったのだが……これ以上王都までに時間が掛かれば、婚約式に間に合わない。
っていうか、僕達の到着を悠々と辺境伯邸で待っていた隣国の一行に腹が立つ。待たずにこちらに来れば良いだろう!ならば途中で落ち合えただろうに。

隣の国も跡継ぎ問題できな臭い噂が絶えない。内乱など起きなければ良いが……。友好国とはいえ、巻き込まれるのは御免だ。

結局、宿までの道を急いでいたが、途中で雨が降り出した。

「隊長!どうします?」

「宿まではあと少しだ!急げ!」

僕は馬の腹を蹴りスピードを上げる。後でまた『馬車に酔った』とリカルド殿下に文句を言われるだろうが、知ったこっちゃない。こっちにも都合かあるのだ。


何とか雷が鳴り始める前に宿に到着出来た。

「クソッ!びしょ濡れだ」

僕は馬を降りて、胸ポケットからハンカチを取り出すと、肩や、髪の水滴を拭った。
ハンカチぐらいでは拭き取れないが、気は持ちようだ。

「はぁ~、やっぱり降られちゃいましたね」

隊員は水滴を手で払いながら言った。

「これ以上時間は掛けられんからな、仕方ない」

「ですけどね。……まーた、文句言われますよ『早い』だの『揺れる』だの」

「……覚悟の上だ」

リカルド殿下にとって、本心は婚約式などどうでも良いのだろう。自国が危ないから避難した……婚約式は丁度良い口実だったのだ。だからなのか、全く持って急ごうという気がない。……このままじゃ、僕も婚約式の夜会に参加出来なくなりそうで、ずっとソワソワしていた。

「隊長、ちょっとハンカチ貸して下さいよ。びしょびしょだと宿屋に悪い」

そう言って手を伸ばす隊員の手を叩いた。

「馬鹿言うな!貸せるわけないだろう!」

「な、何でですか?ちょっとぐらいいいじゃないですか!」

「ダメだ!宿屋に頼んで何か拭く物を貸してもらえ!」

僕は自分の背にハンカチを後ろ手に隠す。

「ちょ!別にくれって言ってるわけじゃないのに、酷いじゃないですか。そんな大切な物なんですか?」

隊員は苦笑いだ。だが、僕はその言葉にハッとする。……何故僕はこんなにムキになっているんだろう……と。



「ハ、ハンカチとはどうやって洗えば良いのだ?」

部下に尋ねるのが格好悪く感じて、僕は宿屋の従業員にコソッと質問した。

「洗っておきましょうか?」

おさげ髪の従業員がニッコリと微笑んで僕に手のひらを向ける。

「い、いや!自分でやる!自分でやるから……その……教えて欲しい」

従業員は首を少し傾げたが、直ぐに「桶と石鹸を持って来ますね」と廊下を小走りに去っていった。

その後部屋で習った通りに丁寧にハンカチを洗う。窓際に皺をよーく伸ばして掛けた。この天気じゃ明日までに乾くかどうか……。僕はハンカチに刺繍された鷲をそっと指で撫でた。

女性に刺繍入りのハンカチを貰ったのは初めてだ。騎士にとって、それは大切な意味を持つ。

『無事に帰って来てください』
騎士に贈るハンカチは、謂わばお守りのようなものだ。家や国で待つ恋人や家族が無事を祈り一針一針刺していくと聞いた。

すると──

「隊長、何ニヤニヤしてるんですか?」

直ぐ側で声がして、僕は飛び上がる程驚いた。

「うわっ!びっくりした!何を勝手に入って来てるんだ!」

「何回もノックして、声も掛けたのに返事がないから心配で。ってか、鍵は掛かってなかったですけど」

「ノック……?すまん、気づかなかった」

「どうしちゃったんですか、隊長。リカルド殿下のわがままに疲れちゃったんです?」

「いや……そういうわけでは……」

確かにリカルド殿下は、自分の思い通りにならないと、すぐにへそを曲げる。だが、どこの王族もこんなもんだ。自己中心的で、わがまま。正直慣れっこだ。

「へぇ~!見事な刺繍ですね」

隊員が僕が干したハンカチに手を伸ばす── のを既の所ではたき落とした。

「痛っ!何するんですか!」

「せっかく綺麗に洗ったところだ。汚い手で触るな」

僕はハンカチを隠すように、隊員との間に立つ。

「隊長、さっきから何か変ですよ?それに……何だか慌ててます?正直、もう婚約式に間に合わなくても──」

「ダメだ。婚約式には間に合わせる。……お前らの中にだって王宮の警護にあたる者もいるはずだろう?」

「だからじゃないですか!酒も飲めず、突っ立って貴族眺めながら夜会の警備にまわるより、こうしてのんびり、わがまま殿下に付いて馬に乗ってる方が良いですよ」

「馬鹿を言うな。宿屋の周りだって警戒が必要だ、呑気にしてられるか。それに、お前だって貴族だろう」

「まぁ、一応端くれですけどね。あぁ、そう言えば隊長は夜会に参加するらしいですね。珍しいこともあるものです……ってか、近衛になって初めてじゃないですか?」

「う、うん……まぁ」

僕はその時、何故か頭にデボラの顔がふと浮かんだ。……ダンス、ちゃんと踊れるかな?

「……何でニヤニヤしてるんです?やはり隊長おかしいですよ?」

隊員はまるで変なものを見るような目つきで僕を眺めている。

「なっ!別にニヤけてなんかいない!で、何だ、何か用があったんじゃないのか?」

こいつは結局、何しに来たんだ?

「あ!隊長が変だから忘れるところでした。夕食の準備が整ったそうですよ」

「殿下はもう召し上がったのか?」

「とっくに。あとは俺達だけです。さぁ、食堂に行きましょう」

隊員はそう言うとサッサと背を向けた。僕はもう一度振り返る。
濡れて鷲の羽が色濃くなった刺繍が目に入って、何故か僕は心が温かくなった。




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