愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

第54話 Sideレニー

〈レニー視点〉

結局、アリシアからハッキリとした答えを貰えないまま、彼女は馬車を降りた。
いつもなら馬車を降りて、彼女に手を貸していた僕が全く動かないのを見ても、アリシアは何も言わずそそくさと屋敷の方へ戻って行く。

正直疲れた。アリシアと一緒に居ても……楽しくない。
観劇までの道中、彼女はずっと実にくだらない話を僕に聞かせていた。全く身にならない話だ。
心の中で、ついついアリシアとデボラを比べてしまう自分に呆れる。二人は違う。それを勝手に比べる僕は身勝手なんだろう。

御者が「それでは出発しま── 」と言いかけて、誰かと話している声が聞こえる。どうしたのかと思っていると、直ぐに馬車の扉がノックされた。

僕の返事を待たずに扉が開かれる。そこには兄さんの姿があった。
彼はまだ外套を羽織ったままだ。急用だと言っていたから、今まで出かけていたのだろう。

「レニー、お前に少し話があるんだ」

「話?なんだい?」

兄さんは馬車の扉を開いたまま、乗り込むでもなく僕に話しかけた。さほど重要な話でもないのだろう。

「デボラを借りるよ」

は?デボラを借りる?何の話だ?
話の筋が見えず、ポカンとした僕に兄さんは苦笑しながら続けた。

「皇太子殿下を囲む晩餐会で僕のパートナーを努めてもらうことになった」

「……何故デボラを?」

あまり良く分からない話だが、とにかく一番気になったことを僕は尋ねた。何故デボラ?

「アリシアは語学が苦手だ。デボラは隣国の言葉に精通してる」

……そうなのか……。僕は自分の妻のことなのに、兄さんより彼女のことを知らない自分に腹が立った。ムッとしたまま僕は答えた。

「別にデボラじゃなくていいだろう?」

「逆にデボラ以外で紹介してくれるのか?お前は女にモテる。取り巻きから選んでくれるのか?語学堪能で社交にも穴のない令嬢を」

「取り巻き?そんなもの居ない」

兄さんの言葉に棘を感じる。まるで僕が女たらしのような物言いにますます気分が悪い。

「まぁ……知らないならいい。とにかくデボラから許可は得てる」

「デボラが……?僕に相談もなく?」

「別にいいだろう?侯爵の僕に頼まれれば彼女だって拒否は難しいんだし。それはお前も同じだ」

身分を考えれば確かにそうかもしれないが、何だか腑に落ちない。兄弟なのに……。

「だが── 」
「もう話は終わりだ。ちなみに晩餐会は明後日だから」
「兄さん── !」

兄さんは僕の反論も聞かず、バタンと扉を閉めた。それと同時に馬車はゆっくりと動き出す。

僕は馬車の天井を仰ぐ。……なんてついていない日なんだとため息をついた。



屋敷に戻ると、家令が僕を出迎えた。

「おかえりなさいませ、お疲れ様でした」

「デボラは?」

「奥様は湯浴みに」

湯浴みか……。今日許しを乞うのは無理かな。

「そう言えばクラッド様が来られたと執事から申し送りが」

「僕もハルコン侯爵家の前で兄さんに会ったよ。デボラを晩餐会に連れて行くらしいな」

「そのように聞いておりますが、私もまだ奥様から直接お聞きしたわけでは……」

デボラは承諾したと聞いたが……出来れば先に相談ぐらいして欲しかったと、心の狭いことを思う。
落ち込んでいても腹は減る。気づけば夕食を食べていない。
家令はそれを察知したのか「お食事を直ぐにご準備いたします」と去っていった。

食事を済ませ、湯浴みをした後デボラの部屋の前を通ると、中から微かに物音が聞こえ、思わず足を止めた。
こんな時間に部屋を訪問するのは失礼だろうか?いや夫婦なんだから別にいいだろう。相反する気持ちが僕の中でせめぎ合っていた。ノックをしようと拳を握るが、上げたり下げたり……きっと傍から見たらおかしな行動だろう。

扉の前で逡巡していると、突然目の前の扉が開き、僕は思い切り顔を扉にぶつけてしまった。

── ゴンッ!

「痛てっ!」
「え?レニー様?す、すみません!そんな所に立っているとは思わず── 」

「いや、僕が突っ立っているのが悪い」

僕がぶつけた額をさすっていると、デボラは顔を青くさせる。

「大丈夫ですか?何か冷やす物を── 」

「平気だよ。大したことはない」

僕の答えにデボラは納得しないように「赤くなってます。やはり冷やす物を持ってきます」とバタバタと慌てて階下へ降りて行った。

結局、僕はデボラの部屋で冷やした布を額に当てていた。

「すみません……」
申し訳なさそうなデボラに僕は笑顔を見せる。

「本当に大したことないから。それに君のせいじゃない」

デボラは少しだけホッとしたように、微かに微笑んだ。

「観劇はいかがでした?お出迎えせず申し訳ありません」

「湯浴み中だと聞いていたから、家令に僕の帰宅は伝えなくて良いって言ったんだ。観劇は……正直寝てた」

僕がそう言って苦笑すると、デボラもつられて笑った。

「まぁ……勿体ない。でも、それほどお疲れだったんですね」

「慣れない事務仕事に脳が疲れたのかもな。体を動かしている方がよっぽど楽だ」

そう言いながら、僕はテーブルの上に視線を落とす。
そこには色んな名前が書いてはグシャグシャと消され、また書いては消されを繰り返していた。

「デボラ、これは?」

「お店の名前を考えていたんです。でもあまり良い名前が浮かばなくて。気分転換にお茶でも飲もうかと扉を開けたらレニー様が……」

僕は彼女が必死で考えていたであろうたくさんの名前を眺める。僕もセンスは皆無だから、手助けにはなりそうにない。

しかし、ふとある名前に目が留まる。

「これ、いいんじゃないか?」

彼女がクシャっと消してない名前の中に一つ気になる物を見つけた。

「これですか?おかしくないです?」

『ブリスフル·バイツ(至福の一口)』これなら店のコンセプトにもぴったりな気がする。

「おかしくないさ。素敵な名前だと思うよ」

僕がそう言うと、彼女はバァ~っと顔を輝かせた。

「本当ですか!?良かったぁ……実は私もこれが一番気に入ってて。でも何度も見てるとおかしいのかな?ってどんどん自信が── 」

嬉しそうに喋る彼女が可愛くて可愛くて堪らなくなった僕は、怪我をしていない腕で思わず彼女を抱き締めた。

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