愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

第55話

え?何が起こってるの?

気づけば私はレニー様の腕の中に居た。

湯浴みを終えたばかりのレニー様の体が熱い。
私の耳がレニー様の心臓の音を感じる。ドキドキと少し早いレニー様の鼓動に合わせるかのように私の心臓も大きく跳ねた。

どうして良いのか分からず私は何も言わずに体を硬くしてしまう。こんな風に抱き寄せられたことがあっただろうか?
すると、少し掠れたレニー様の声が頭上から聞こえてきた。

「……こうしているのが、嫌なら胸を叩いてくれ」

嫌……だとは思わない。どうして良いのか分からず困惑しているだけだ。

動かない私に、レニー様が少しホッとしたように力を抜いたのが分かった。
そのまま大人しく私はレニー様の腕の中に居た。どれくらいの時間が経っただろう。きっと、一瞬だったのだろうが、こんなことに慣れていない自分には随分と長く感じた。

「謝りたいんだ……今までの全てに」
先ほどよりは少し落ち着いたレニー様の声。
バザーの場でもレニー様は謝っていた。全てって……レニー様は何を謝りたいのだろう。

「全て……とは?」

「まず。愛人を作ってもいいと言ったこと」

「それは承知いたしましたわ。私は結婚した身です。そんなことはいたしません。あの時、キッパリと否定せず申し訳ありませんでした」

あの夜会の後は自分も意地になってしまった。今思えば子どもっぽい振る舞いだったと反省している。

「それと兄さんに色目を使ったなどと言ったこと。少し考えれば君がそんな女性でないと分かるのに」

「あの時はまだ私達がこんな風に会話を重ねていなかったからですわ。……腹は立ちましたけど」

素直に私が答えると、レニー様の体がピクリと微かに動いた。


「すまない」

私は思わず笑みをこぼした。

「レニー様は最近、謝ってばかりです」

「今までの自分の行いを恥じているからだよ。穴があったら入りたいぐらいだ。……それと、無理矢理アリシアのお茶会の手伝いをさせたこと……すまなかった」

……ダメになったお茶会。あの時はレニー様とアリシア様の理不尽さに苛ついた。

「私のことより、キャンセルとなってしまって、招待客の皆様に申し訳ない気持ちが……」

「確かにそうだな。お茶会の何たるかも知らない僕が口を出したことが間違いだった」

アリシア様はレニー様と一緒に準備をしたかったのだ。私がノコノコと顔を出したことで、最初からへそを曲げてしまったのだろう。

「それと……」

レニー様はそこで言葉を切った。何かを躊躇っているようだ。

「それと?」

「君との結婚が世間体だけだ……なんて。子作りは義務などと言って、おざなりな扱いを……」

私は彼の腕の中でそっと顔を上げた。レニー様は唇を噛み締めている。

「……政略結婚なんてそんなものです。覚悟……していました」

覚悟はしていたつもりだったが、あの夜、私は涙を流した。心を通わせることのない行為が、とても虚しく、苦しいものだと知ったから。覚悟が足りなかったことを口にしたくはなかった。

「違う!全ては僕のせいだ!覚悟が足りなかったのは僕の方だ。兄さんに言われて仕方なく── 」

『仕方なく』それは私も同じだ。家のために結婚した。今さらそれでレニー様を責めることはない。

「いいんです。分かっていますから」

レニー様がアリシア様を愛していることなど分かっている。彼が不器用な人で、心に誰か居ながらにして、私と肌を重ねることが苦痛なことも。

「いいや、そうじゃなくて……。これからは、その……一緒に夫婦の寝室で休もう。いや、休んでくれないか?」

レニー様の顔を見上げていることに気付いた彼は、腕の中の私を見下ろす。その瞳には不安の色がゆらゆらと揺れていた。

「私はレニー様の妻です。レニー様が仰るならもちろんそれに従い── 」

私の言葉に彼は苦しそうに顔を歪めた。今にも……泣き出してしまいそうだ。

「違う……命令なんかしたくないんだ。僕は……僕は君の心が欲しい。無理矢理じゃなくて、義務でもなくて── 」

レニー様はそこまで言うとまた唇をギュッと噛み締める。私は彼の腕の中からゴソゴソと手を伸ばしその唇に触れた。

「そんなに噛み締めては唇が……」

「デボラ……。今さら謝っても君を傷つけた事実は変わらない。だが、改めて言わせて欲しい。僕が妻として側にいて欲しいのは君だけだ。今日、ここからでいい。形だけの夫婦ではなく、本当の、真実の夫婦になりたい」

レニー様の表情は苦しそうで、さすがに冗談を言っているとは思えない。真実の夫婦……それが意味することは分からないわけではないが、どうして急に?アリシア様を吹っ切ることが出来たのかしら?

「……レニー様のお心が知りたいです」

「謝罪の途中だったな。一番謝りたいことを口にしていなかった。愛する人が居ると言ったあの言葉を……撤回させて欲しい。すまなかった」

「アリシア様のことは……?」

私がその名前を口にすると、レニー様は一瞬目を見開いた。

「気づいて……いたのか」

私は思わずフッと笑みを漏らす。

「レニー様……隠せておりませんでしたよ?きっと、皆様ご存知のことかと」

その言葉にレニー様はますます目を見開き、今にもこぼれ落ちそうだ。そしてまた、情けない程に眉を下げた。

「僕は……。そうか、皆に自分の気持ちが……」
落ち込んでいるが、仕方ない。レニー様は器用に嘘がつけるタイプではないのだから。


レニー様は一度目を閉じて、ゆっくりと息を吐き出した。
再度目を開いたレニー様の瞳には、何かを決心したような強い光が見える。

「確かに、アリシアは僕の初恋だった。……それは、彼女が義姉になってからも、だ。だが……それは君を知るまでの僕だ」

「それは……どういう── 」

意味なのか?と問う前に、レニー様は勇気を振り絞るように言葉を口にした。

「デボラ……僕は君が好きなんだ。今までの行動を考えると信じられないかもしれないが……。君と居るとドキドキするし、君に触れたいと思う。他の誰も君に触れて欲しくない」

「そ、それは……所有欲では……?」

アリシア様を好きだったレニー様を知っている。レニー様の言葉にドキドキする自分が居ることは事実だが、その反面、まだ信じられない気持ちがある。

「そう思われても仕方ないよな。でも……自分でも上手く言葉に出来ないけど……今、一番僕が恐れていることは君に嫌われることだ。君に見捨てられることだ。情けないことに僕には剣を振る才能しかない。……でも、これからはちゃんとブラシェール伯爵として……君の隣に立つに相応しい男になりたいと思っている。これって所有欲かな?自分でも初めての感情で戸惑っているんだ」

レニー様は不安そうな表情を隠しもせず、自分自身に確認するように一言一言、言葉を選びながら話している。

これは彼の本心のようだと確信した途端、私はレニー様を意識し始めてしまう。
私の頬がどんどんと熱くなっていくのを、自分自身嫌という程感じていた。


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