愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

第63話

「引っ越しはいつにする?」
レオナがサインした契約書を家令に手渡しながら私が尋ねると、レオナは少し首を傾げた。

「いつでも良いのですが── 」

「ならば直ぐにでも手配しましょう。仕事……商会とクラブはどうする?」

「す、直ぐですか?仕事は──」

あまりの早い展開に、レオナは目を白黒させた。

「あぁ、ごめんなさい。何だか嬉しくなっちゃって。焦らせる気はないの」

私が申し訳なさそうに謝ると、レオナはニッコリと微笑んだ。

「荷物は大したことないので直ぐに纏められると思います。直ぐに引っ越しも可能です。仕事は全て辞めるつもりでいます。責任の重い仕事を引き受けるのですから」

「家具は既に用意してるから、荷物を纏めたら直ぐにでも暮らし始められるわ。貴女が良ければ直ぐに手伝いを向かわせる」

「何から何までありがとうございます」

レオナは深々と頭を下げた。

「期待してるわ」

私の言葉を合図に、私達は席を立つ。レオナを見送った後、家令が私に笑顔で言った。

「女性だったとは驚きました」

「彼女には彼女の事情があるから、私が軽々しく事実を暴くのは違うと思ったの」

「旦那様や執事に疑われても、ですか?」

「疑いたければ疑えばいい。真実ではないもの。私は痛くも痒くもない」

そこまで聞いて、家令は少し眉を潜めた。

「実は執事のことですが……何だか様子が── 」

そう彼が口を開きかけた時、向こうから執事がゆっくりと現れた。

「そろそろ交代の時間ですよ」

家令は少し気まずそうに一瞬口を噤んだ後、執事に笑顔を向けた。

「もうそんな時間ですか。じゃあ……」

家令の言葉の続きは気になるが、今は仕方ない。家令は執事と共に申し送りに行く。私はそれを見送った。

「奥様、先ほどのレオナ様の引っ越しの手伝いですが……」

使用人が私の元へと現れる。私は家令の言葉と少しのモヤモヤを追い出し、これからの店の事に頭を切り替えた。


その夜──。

「遅くまでお疲れ様でした」

疲れ果てた顔のレニー様が帰って来たのは、もう月が随分と高く昇った頃だった。

「疲れたよ。……腹が減った」

私が頷くと、メイドが急いでレニー様の食事の用意に向かう。私はレニー様と並んで食堂へと向かった。

「何があったのです?」

クラッド様に会いに行ったはずなのに、帰りがこの時間。間違いなく何かあったのだろうことは想像に易い。

レニー様は食堂の椅子にドスンと座りながら小さな声で答えた。

「皇太子がいなくなった」

「え?!だ、大丈夫なのですか?」

皇太子殿下の国の事情を踏まえると、嫌な想像が私の頭に浮かぶ。私は顔を青くした。


「大丈夫だ、見つかった」
レニー様はそう言って瞼を閉じると、眉間を揉んだ。

「誘拐……などではないのですよね?例の後継ぎ問題との関係は?」

レニー様が疲れているのは分かるが、つい興味が勝ってしまう。

「関係ないない。単なる女探しだ」
レニー様は顔を顰めたまま、払うように手を振った。

「女探し?!」

私は思わず素っ頓狂な声を出す。レニー様は大きなため息をついた。……相変わらず顔は険しい。

「随分と王宮の侍女やメイドに手を出したようだ。相手をした女性達には全員自分の側妃にすると言っていたらしいよ」

皇太子殿下には幼い頃からの婚約者が居たが、後継ぎ問題で揺れる状況を鑑みて、白紙に戻したらしい。

「側妃ですか……そんなこと── 」

出来るわけがない。そう私が続ける前にレニー様は呆れたように言った。

「出来るわけがないのにな。皆、皇太子の側妃という言葉に目がくらんだようだ」

「しかし、その上また女探しですか?」

そこでレニー様の眉間にグッと皺が寄る。

「あぁ……貴族は飽きたんだと。気取った女より気安い女が良いと思ったって言うんだ。……呆れるよ。自分の血筋がどれだけ位が高いか分かっちゃいないようだ。種を撒き散らして、誰かが孕んだらどうするつもりなんだ」

あけすけなレニー様の言葉に私は一瞬口籠る。
レニー様は戸惑う私を見て「あぁ、ちょっと下品だったか。すまない」と頭を掻きながら謝った。

「でも……呑気ですね。自国では大変なのでしょう?」

「だから、ここでは自由にしたいんだとさ」
そこまで言ったレニー様は少し声を潜めた。

「正直、側妃の息子は出来が良いらしい。向こうが皇太子になった方がいいのかもしれないな」

「怒られますよ」
私は思わず苦笑いした。

「だから兄さんとはゆっくり話す暇も無くてな」

レニー様が申し訳なさそうにする必要などないのに……そう思って私は微笑んだ。

「大した意味のない言葉だったんですよ。私が大袈裟に反応してしまったのが、悪かったのでしょう」

「いや、僕だって不快なんだ。……だが、兄さんが話しがあると言っていたな。しかも君にも」

「私にも……ですか?」

私は首を傾げる。クラッド様から直々に私に話しがあるなんて、心当たりがない。

ふと顔を上げると執事と視線がぶつかった── が、執事は何とも気不味そうに視線を泳がせた。
家令の言葉を思い出す。私は言葉にならない居心地の悪さを感じていた。



その翌日。私とレニー様はハルコン侯爵家に呼び出される事になった。

何となく心がざわつく。虫の知らせとでもいうのか、私は落ち着かない面持ちでハルコン家の応接室でクラッド様を待っていた。

そっとレニー様が私の膝に置いた手に、自分の手を重ねる。

「どうした?── 緊張でもしてる?」

私の顔が強張っていたせいかもしれない。そんな風に言われてしまった。

「いえ── 。ただ、何のお話だろうか……と色々考えておりました」

本来なら、レオナの引っ越しの手伝いに行きたかったが仕方ない。私は少々顔を引き攣らせたまま微笑んだ。




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