愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

第69話

いつものふんわりとした少女のようなアリシア様はもうそこには居ない。

涙で化粧はぐしゃぐしゃだ。──なるほど、嘘泣きではなかったらしい。

しかし……何故今私はアリシア様と睨み合っているのだろう。自分でも今の状況がまだよく分かっていない。

「女の幸せは金を持つ男、顔のいい男、体の相性が良い男を手にすることよ。自分で幸せを掴む?あなただってブラシェールのお金を使って、顔のいいレニーを側に置いているくせに。格好つけないでよ」

馬鹿にしたようなアリシア様の言葉に私は呆れて物が言えない。確かにブラシェール家のお金を使ってるし、レニー様が私の夫であることは間違いない。だからと言って私が何の努力もしていないわけじゃない。
無駄だと思いつつ、反論しようと口を開きかけた時、レニー様が静かにアリシア様へ言った。

「デボラは自分の幸せだけではなく、ブラシェールの領民のことも幸せにするために努力してくれている。君とは大違いだ。それに……僕はデボラが側にいてくれるだけで幸せなんだ。デボラの側に居ることを選んだのは僕の方だ」

思わず口元が緩んでしまった。自分の努力を認めてもらえたようで嬉しい。
しかし、アリシア様はフンと鼻で笑うと高飛車な様子で言った。

「もういいわ。あなた達とは付き合っていられない。クラッド、離縁したいなら、どうぞ。レニー、確かにあなたの顔はいいけど……なんとなく頼りにならないのよね。まぁ、デボラさんを選ぶあなた達二人の気持ちは全く分からないけれど、好きにしたら?女一人を二人で取り合うのが好きなんでしょう?私の時のように。どうぞ、ご勝手に」

突然のアリシア様の変わり様に、私は唖然としてしまう。

「アリシア、君がそう言ってくれるならありがたい。直ぐに離縁の為の書類を用意しよう」

クラッド様が席を立ち上がりかけた時、アリシア様は遮るように言った。

「もう一秒たりともこの家にいたくないわ。書類は適当にあなたがサインしてちょうだい。んー……何なら隣国に送ってくれても構わないわ」

アリシア様は顎に手を当てて少し考える。

「隣国……?」

クラッド様が立ち上がりかけた中途半端な姿勢のまま首を傾げる。

「ええ。私、皇太子殿下について行くことにするから。私を妃にしてくれるそうよ。私は皇族の仲間入りってわけ。じゃあ!」

アリシア様はそう言うと軽く手を上げて、部屋を出て行く。私達は三人ともその後ろ姿を唖然としたまま見送った。



バタンとしまった扉を三人で暫く見つめた後、クラッド様がおもむろに口を開いた。

「サインは……偽装するわけにはいかないよな」

そう言いながら、中途半端な姿勢から、再度椅子に腰掛けた。

「兄さん、本当に離縁するつもりなのか?」
レニー様はクラッド様を見下ろしながらそう言った。
また腰掛ければ、話が長くなりそうだ。私達は立ったまま、頭を抱えたクラッド様の答えを待つ。

「本気だよ。あれを見ただろう?限界なんだ」

「あんなに好きだったじゃないか……」

レニー様はまだ信じられないという表情だ。

「……侯爵を継いで思い知った。惚れた腫れたでは家を存続出来ない。後継ぎを作らず男娼に入れ上げて浪費する妻を見過ごせない。それに今彼女が妊娠したとしても僕の子である可能性は殆どない。そんな危険な橋を渡るつもりはないよ。お前、自分だって心変わりしたくせに、おかしな奴だな」

クラッド様は乾いた笑いを漏らした。

私はその様子に納得した。
アリシア様は見誤ったのだ、クラッド様の愛を。泣けば許される年頃は過ぎ去ってしまったのだ。
レニー様は図星を突かれて口籠る。しかし私はクラッド様にはっきりと言った。

「クラッド様のお気持ちは分かりました。しかし、私はレニー様を生涯の伴侶として選んだのです。それにブラシェール伯爵家はもうハルコン侯爵家の持ち物ではありません。私達の意思を無視した発言はこれ以上止めていただきます」

レニー様は私の言葉を聞いて、私の手をキュッと握った。

「兄さん。僕たちは離縁するつもりはないよ。アリシアとの離縁は仕方ないが、新しい伴侶は別をあたってくれ。じゃあ、失礼する」


僕はそのままデボラの手を引いてドアへ向かう。兄さんはもう僕たちを呼びとめることはなかった。



「……びっくりしたな」
馬車の中、レニー様が沈黙を破った。

「はい……」

ただ、私はアリシア様が浮気していることを知っていた。その結果がこうなることは、予想出来なかったわけではないが、私もどこかでバレないだろうと軽く考えていたことも事実だ。

「もしかして……君がレオと出会ったのって── 」

「想像の通りです。あの社交クラブが高級娼館だと知らずに行って……。でも、あそこに行った女性が全て……その男娼を買っているわけではありません。ただ、お喋りするだけの方も。レオナはそこでボーイをしていました。私は彼女と話をして直ぐに女性だと気付きましたが、それをあそこで暴くわけにもいきませんし……その前に言っておきますが、私は男娼を買っていません」

「……少し疑った……ごめん。でもちゃんと信じてる」
レニー様がシュンとなるが、私はため息をついた。

「疑わないでください。でも……仕方ありませんね。あの社交クラブに足を運んだのは確かですし」

「そういえばアリシアに招待されたんだったよな」

私はさっきのアリシア様の言葉を思い出していた。

「もしかすると……アリシア様はレニー様から私を引き離したかったのかもしれませんね」

するとレニー様はバツが悪そうに唇を噛んだ。

「例の約束だが── 」

「わかっています。アリシア様に泣きつかれたのですよね?」

どうりで初夜の後、全く夫婦の寝室に顔を出さなかったわけだ。

「あぁ……でも本当にすっかり忘れてたんだ」

「レニー様がアリシア様に好意を持っていたことを知っていますから、気にしていませんよ」

「『昔』な。アリシアのことは全て昔のことだ」

昔、昔って……そんなに昔じゃないと思うのだが、そんな風に言ったところで……そう思った私は微笑んで少しだけ肩を竦めるだけに留めた。

「今は本当に── !」

レニー様がそう言いかけた時、馬車が屋敷に到着した。ハルコン侯爵邸から然程離れていない。私達の会話はそこで打ち切られる。

さて……ここからはもう一つの問題を片付けなければならない。
スパイの執事をどう処分するのか……私は気合を入れて馬車の扉に手をかけた。
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