愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

第76話

そんな夜のことだった。

「火事です!」

ドンドンとけたたましく扉が叩かれる。その声にいち早く反応したのは、私の隣で眠っていたレニー様だった。

「どこだ!?」

ガウンを羽織りながら、扉へと駆ける。
私はまだボーッとした頭で起き上がると、既にレニー様は家令から報告を受けているところだった。
私も慌ててガウンを羽織ると、前を掻き合せてレニー様の元へと向かう。

遅れてやって来た私にレニー様はゆっくりと言った。

「デボラ、落ち着いて聞け。店で火の手が上がったが、ちょうど周りを見回っていたうちの護衛がすぐさま消火にあたった、レオナは── 」

「レオナは?!シルビアは無事なのですか?」

私は怖くなってレニー様のガウンに縋り付く。

「レオナは大丈夫だ。もちろんシルビアも。護衛が気付いた時にはレオナは火をつけた人物を捕まえていたらしい。今、うちの者達が消火と援護に向かっている」

無事だと聞いて安心するが、聞き捨てならない言葉に私は聞き返す。

「火をつけた人物……?」

「あぁ、この火事は放火だ。犯人の詳細はまだ分からないが、どうも女らしい」

女?ではレオナの叔父というわけではなさそうだ。
その叔父の存在を警戒して夜間護衛の見回りを提案してくれたレニー様のお陰で今回の火事にいち早く対応できた。感謝は尽きない。

「火は?」

「まだそこまでは分からん。僕は今から現場に向かうが、デボラ……どうする?あまり君を危険な場所には── 」

「一緒に行きます!連れて行ってください」

私の迫力にレニー様は苦笑した。

「まぁ、君ならそう言うと思っていたよ。とにかく急ごう。直ぐに準備だ」

私達は急いで着替えを済ませると、レニー様の馬に乗って夜の街を駆けた。

「ちゃんと掴まっていろよ」

逞しいレニー様の身体に腕を回す。程なく店が見えて来たが、既に鎮火をしているようで、暗闇の中に、うちの護衛達が持つランタンの灯りがポツリポツリと浮かんで見えた。護衛や使用人、そして近所の野次馬の姿がはっきりと見え始めた頃、大柄な人物が私達に近づいた。

「旦那様!奥様!」
執事が私達に向かって大きく手を振る。その後ろからレオナとシルビアも姿を現した。

レニー様の手を借り馬を降りると、私はレオナとシルビアに駆け寄った。

「レオナ!シルビア!大丈夫?怪我はない?」

私はレオナの手を握る。レオナは浮かない顔で唇を噛み締めた。

「申し訳ありません……店が……」

私は背後の店に視線を向けた。

水に濡れたその姿は暗闇でははっきりとは分からないが、然程酷い状態には見えない。

「貴女達が無事ならそれでいいの」

それでもレオナは悔しそうに俯いた。握った私達の手の甲に彼女の涙が落ちる。

「店を守れなかった……」

私は片手を彼女の背に回すと私の方へと引き寄せ抱き締めた。

「店は何度でもやり直せる。それに貴女達が居てくれたから、店が燃え尽きることもなかったわ。本当にありがとう」

私の言葉にレオナは顔をあげてほんの少しだけ安心したように目尻を下げた。

私はレオナから少し体を離して、その姿を頭から爪先まで確認する。
彼女の頬にはほんの少し煤が付いているが、涙がそれを流したようだ。

改めて見ても怪我をしている様子はなく、私はホッとする。そんな私達の手をシルビアがチョンチョンと突いた。
私は直ぐにシルビアの方へと屈み込んだ。

「シルビアも大丈夫?どこも痛い所はない?一応お医者様に診ていただきましょうね」

見た目には何もなくても、体の中はどうなっているか分からない。煙を吸っている可能性も十分にある。

「私は元気よ!起きたら焦げ臭くてびっくりしちゃった!私も火を消すの手伝ったの」

シルビアが思った以上に元気で安心する。しかしこんな小さな子が怖い思いをしただろうと思うと心が痛んだ。

「偉いわシルビア。貴女も店を守ってくれたのね」

私がシルビアの頭を撫でると、彼女は嬉しそうに笑った。

私は立ち上がり周りを見渡す。気づけばレニー様の姿がない。すると私達に執事が近づいて来た。

「奥様、旦那様は店の様子を見に行きました。それと犯人なのですが── 」

そう言えば、この火事は放火だと言われたことを思い出す。するとレオナが口を開いた。

「犯人は縛り上げて店の裏に転がしておきました。そいつ……デボラ様を口汚く罵っておりまして、煩いので口に布を詰めときました」

レオナは改めて怒りが湧いてきたのか、物凄く不機嫌そうにそう言った。

「レオナ、貴女が捕まえたって聞いたわ。そんな危ないこと……」

「あの女、火をつけた時に自分も火傷を負ったようで、ヒィヒィ言っていたんです。私と目が合って突然背を向けて走り出したんで、怪しいと思って追いかけて捕まえましたが……見覚えのある顔でびっくりしました」

レオナの言葉に私は目を見開いた。

「貴女の知ってる人なの?」

「まぁ……」

レオナは口籠る。

するといつの間にかレニー様が私達の方へと戻って来ていた。その顔は苦虫を噛み潰したようだ。

「デボラ、店は裏の扉と壁、厨房の一部が燃えたぐらいで、大した被害はない。これなら直ぐに店を再開出来るだろう……ただ、な」

「どうされました?」

すると店の裏側からギャーギャー喚く女の掠れた甲高い声が聞こえた。私がそちらに目を向けると護衛が女の腕を掴んでこちらに連れて来ているのが見える。── あれは。

「アリシア……様?」

私は護衛の腕から逃れようと藻掻いている女の薄汚れた顔を見て絶句した。

後ろ手に縛られ、薄汚れたワンピースを来ている。美しかった彼女の髪はまるで鳥の巣のようにゴワゴワとしていて、見る影もない。

私はレニー様を見た。

「あれは……アリシア様ですか?」

レニー様は難しい顔で頷く。

「あぁ、あんななりをしているが、間違いなくアリシアだ。それと……これ」

レニー様が手を開くと、掌にアンティークのイヤリングが乗せられていた。

「これは……?」

「アリシアのワンピースのポケットに入っていた。確かなことは言えないが……これは王妃のイヤリングだと思う」

私はレニー様の言葉に一層驚いて思わず口をポカンと開けてしまった。
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