アオハルAssortment

染谷くんの前では、ブスなので二度と笑いません。

「うるせぇよ、ブス」
初恋の彼に、ブスと言われました。
 再会して、私がまずしたことは予防線。二度と傷つきたくないので、自分から傷つく行為はしない。

「安心して。染谷くんの前では二度と笑わないよ」
 なので、お願いします。二度と私を傷つけないでね。

***




 忘れもしない。小学六年生の、三学期だった。
 小学校最後に、私は気になっている染谷 龍一くんとクラス委員になった。
 染谷くんは、サッカー部に所属していて、日焼けが似合ってる男の子。私と身長は同じぐらいなのに足は早しい、頭もいいし、少し言葉は乱暴だけどクラスのいつも中心にいて笑うと目じりがくしゃっとなって可愛かった。

 私と染谷くんは、卒業アルバム、卒業記念品、卒業後のパーティーの計画と司会をやった。
 一緒にクラス委員をしているうちに、引っ張って行ってくれる彼を私は好きになった。
 中学は、彼はサッカーの強い私立の中学に行くので離れてしまう。
 だから思いだけでも伝えたかった。
 
 私は、成績がよくて下に弟がいるせいで面倒見がいいというだけで、本当に偶然先生に指名されてクラス委員になっただけ。
 でもこの偶然のおかげで、染谷くんと沢山一緒に居られた。染谷くんもいつも笑ってくれていたから、私は期待していたんだと思う。


『あのね、あの……染谷くん』

笑顔。笑顔で、今までのお礼もかねて、気持ちを伝えたかった。
離れる前に。
『私ね、染谷くんが好きなの』

 足が震えていたけど、私は頑張った。頑張って伝えたかった。
なのに、染谷くんはきゅうに眉を吊り上げて怒ったのだ。

『うるせえよ、ブス!』

 一瞬フリーズした私に、彼はとどめの言葉を投げつけた。

『笑ってんじゃねえよ』

 その後、彼は『卒業なんてしたくないよう』と号泣していたクラスで一番可愛い女の子に駆け寄っていったのだった。
 染谷くんが私と仲良くしてくれていたのは、先生に頼まれたクラス委員だったからだと知る。
 それと同時に私の初恋の幕は、下りた。


――


桜の花びらを見ると、未だにあの時のトラウマを思い出してしまうから嫌だ。
中学を卒業した今も、桜の花びらを見ると小学生時代の卒業式を思い出して鬱になる。

窓のカーテンレールの端っこにかけてあるハンガーにかけられた制服を見ながら、私は起き上がった。
窓の外から見える木々は、やっと葉桜に変わりつつある四月。

私は今日、高校生になる。
受験を乗り越え、はしゃいでいたのも一か月ぐらい。
まさか高校受かって、のんびりできると思っていたら宿題があるとは思わなかった。
春休みは、莫大な宿題をやるのに浪費して、別の高校に行った友達とあまり遊べなかったのは悔やまれる。

 私が県内一番の進学校を選んだのだから私が悪いんだけどね。

 ただ制服は、ブレザーになったのだけは嬉しい。中学は地味なセーラー服だったから、学年によって違うリボンや、中間服やセーターが嬉しい。

「美弥、遅刻するわよ」
「はあーい」

 高校デビューをもくろみ、矯正ストレートパーマもかけたんだ。
 あんなトラウマ忘れて、私は高校で恋をする!
 好きな人にドキドキする、あの時の気持ちを思い出したい。

 
 好きな人が私との会話で笑ったらドキドキしたり嬉しくなったり、からかってきたり、優しくしてくれたり。そんな些細なことで一喜一憂してしまって、幸せで――そして叶わないときはとても悲しい。

 けれどもあの経験は無駄じゃなかった。傷つく前に自衛しとけばいいのだ。
 自分から地雷原に足を踏み入れるわけにはいかない。

「行ってきます」

何度も鏡の前で制服姿の自分をチェックしてから、私は高校に向かった。


バスの中で、SNSを確認する。すると友達たちがそれぞれの制服を着て笑顔で映っていた。
うちの高校は、携帯電話は朝のホームルームで回収され放課後返されることになっている。
なので今のうちに沢山皆のコメントを眺めていた。

「見て、校門のとこの男の子、超格好いい」
「ほんとー。紺色のリボンだから新入生だね」

そんな声が聞こえたけど、携帯を見ていた私は顔までは確認しなかった。

バスから降りると、唯一同じ中学から来ていた優子が駆け寄ってくる。

「美弥。やっぱ同じクラスだったよ」
「まじで!」
「うん。中学の先生が頼んでみるって言ってくれてたの、本当だったね」
「嬉しい。やっぱ知ってる人がいないと落ち着かないもんね」

校門の前で騒いだら、じろりと周りからの視線を感じて固まった。
いけないいけない。先輩方の前で目立ってはいけない。

「新入生の皆さん、こちらで花をもらって胸に飾ってください」

校門のむこうで、私たちに手招きしているのは先生たちだった。
誰が担任になるのか、私と優子は胸を弾ませていた。

「お名前をお願いします」
「佐伯美弥です」
「志井優子です」
 ピンク色の花びらの造花を渡され、裏についている安全ピンを真新しい制服に突き刺していた時だった。

「染谷 龍一です」

その言葉に、一瞬混乱した。
胸に安全ピンが突き刺さったのかと驚いて手元を確認してしまうほど、動揺していた。

花をつけている私の横で、造花を受け取ってる人を見ることができなかった。
いや、別人かもしれない。私の知っている彼ではない。私の知っている彼は、同じ目線だった。
隣にいる人は、180センチはありそう。

「美弥、付けた? 行こうよ」
「え、あ、うん」
「美弥」

低い声。そんな声、知らない。知らないのに、私の名前を呼んだ人は私の方を向いた。

「やっぱ美弥か。校門で俺の横を見向きもしないで通り過ぎるから、違うのかなって焦った」

私の方へ向き直る彼は、日焼けした小麦色の肌に日焼けして痛んだであろうやや茶色い髪を揺らし、少し困ったようにへらりと笑った。

「俺、小学校が一緒だったんだけど、覚えてる?」
「あ、うん。染谷くんだ。覚えてるよ」

夢かと思った。なぜ、彼が目の前にいるんだろう。
高校デビューを楽しみにしていた私の、バラ色の高校生活が、バラの弦の棘で茨の道になった気がした。

「えー、美弥の小学校の時の友達? かっこいいね」
優子が私と染谷くんの顔を交互に見て、興奮していた。

「友達じゃないよ。先生に頼まれて一緒にクラス委員をしてもらってただけ」
「美弥?」
 驚いた声で名前を呼ばれた。けれど小学生時代に、私は彼に名前を呼ばれていたのか記憶はもう曖昧だ。
「安心して。染谷くんの前では二度と笑わないよ」
 なので、お願いします。二度と私を傷つけないでね、と心の中で思った。
「は? なんで」
「行こう、優子」
「え、待って、美弥。いいのー?」

その場で動こうとしない染谷くんを置いて、私は歩く。
絶対に振り返りたくなかった。

そして入学式もクラスに移動して先生の発表も、そんでもってどんな校歌だったのかも覚えていない。

出席番号順に自己紹介をした時、何を言ったか思い出せない。ただ、染谷くんが身長181センチと言った瞬間、女子が騒いだような気がした。

ただただ棘が身体中に刺さるような苦しい時間だった。
気づいたら、制服を脱ぎ散らかしてベットに突っ伏して倒れていた。

最悪だった。最悪の高校生活だ。彼が同じクラスに居たのを見て、一目散に逃げかえってしまった。

転校したい。優子がいるのは嬉しいから、優子と二人で転校するか、隣のクラスになりたい。

ぐるぐる考えたけど、それが全部無理なのはわかっている。
全部無理ならせめて、二度と彼に自分から近づかないようにしよう。
そう、私は心に決めた。
心に決めたのに、学校に行きたくなくて胸が辛い。

『うるせえよ、ブス』
『笑ってんじゃねえよ』

じわりと涙が浮かんで、枕に吸い込まれていく。
小学生時代に言われた、たった二言。
なのに、三年経っても、彼の顔を見ただけで苦しくて悲しくて涙が込み上げてきた。



彼は三年間、一度でも私に言ったあの言葉を思い出したのだろうか。
私は三年間、一度でも言われたあの言葉を忘れることはできたのだろうか。

格好良く成長していた彼を、心の底からずるいと思った。
自分だけ、傷ついていなくて、簡単に私に話しかけてくるのはずるい。

傷つけた側は、傷ついた側の気持ちになんて寄り添えない。気づかない。

もう傷つきたくないから、私は染谷くんの前で絶対に笑わない。




 
「美弥、先生が来る前にアドレス交換しようよーって」
「え、いいよ」

学校に到着してすぐに、男女5,6人のグループの中にいた優子が私に手を振ってきた。
偶然にも出席番号順で座った私の後ろは優子で、その前の席や横の子たちと仲良くなったので連絡先を交換した。私も優子も染谷くんもさ行のせいで同じ列に居る。

「染谷、お前も教えろよ」
「あ、知りたーい」

優子が携帯をバンバン振ると、窓辺で男の子たちと動画を見ていた染谷くんがこっちに寄ってくる。
それで皆で染谷くんとも連絡先を交換していく。
けれど、私は反射的に携帯を机の中に隠してしまった。
「美弥―」
「ごめん。携帯、充電なかった。どっかグループにいれておいて」
 染谷くんとは交換したくない。だから隠した。
「あーね。どうせ携帯見たまま寝落ちしたんでしょ」

皆は何も疑問に思わなかったようで、染谷くんを中心に交換を始めた。
私は新緑眩しい空を、ただただじっと眺めて耐えていた。



予鈴がなって先生が教室の入ってくると、大きな箱を教卓の上に置いた。

「この中にこれから毎朝、携帯を提出してもらいます。名前をつけたゴムをつくってそれを携帯に付ける形になるかな」

説明してくれたのは担任の、花田先生。全く愛想笑いのしない真っ赤な唇の年配の先生だ。

「今日は、クラス委員と教科係を決めます。ホームルームで先にクラス委員だけ決めて、一限目はクラス委員の司会で、教科係を決めたいと思います」

各教科二人ずつと説明され、数学Aと数学Ⅱとか、古文、漢文、英語も二種類と、中学よりはるかに増えた教科の数に呆然とした。教科係は、宿題等の提出物を集めたり、自習になったときにプリントを配布するらしい。

「優子、何にする?」
「体育の先生は怖そうだったから無理でしょ。授業が少ない芸術系がいい。音楽か美術」
「選択だよね。まだどっち選択か決めてないけど」

コツコツと黒板を叩いていたチョークの音が止み、先生が私たちの方を振り返る。

「では、クラス委員の立候補、いませんか?」
ざわついていた教室が、急に静まり返る。そしてからかうように、『お前やれよ』と視線を飛ばして笑いあう男子とか優子みたいに視線を窓に移す女子の様子が見える。
私も自分の爪を眺めて誤魔化していた。

「俺やります」

その声を聞くまで、だけど。
染谷くんが立候補したことで、女子たちが騒ぎ出した。

「クラス委員は一年通してもらいます。大丈夫?」
「はい。大丈夫です」

「染谷くんがするなら、私やろうかなあ」
 優子がそう言っていたのに、染谷くんは続けて有り得ないことを、よりにもよってクラスの前で言ってのけたのだった。

「で、俺は佐伯さんを推薦します」
 いばらの道で、私は染谷くんから茨で百叩きの刑に処された。
一体、私が彼に何をした。身の程知らずのブスが、彼みたいな王子様に告白したら、こんな仕打ちを受けないといけないのか。

「い、いやです」

そういうのが、やっとだった。



結局、染谷くんが立候補したせいで女の子の立候補が急増し、じゃんけんになった。

そのせいで何故かじゃんけんに負けた染谷くんは体育の教科、私は優子と美術の教科になった。

「染谷くん、残念だったね。美弥とクラス委員になりたかったのに」

放課後、携帯を受け取った私たちは部活や寄り道に向かうもの、教室でお菓子を広げて食べている者と好き勝手に自由行動を楽しんでいた時だ。
優子が部活に向かう染谷くんに私の話題で話しかけていた。

「私はなりたくない」
「恥ずかしがってるの?」
「違う。染谷くんとなんて、一緒のことはもう何もしたくない」
 顔も見れない。うつむいて、顔を上げることもできない。
でも下を向いたら、泣きそうになってそれが悔しかった。

「染谷くん、いったい美弥に何をしたの」



その質問は、私にしたのか染谷くんにしたのか分からない。でも、私は答えないといけなかった。

「染谷くんは悪くない。私がブスなのが悪いだけ」
「美弥?」
 そのままカバンを持って教室から飛び出した。
 怖かった。あのままクラス委員になってしまっていたら、染谷くんと接近してしまう。
 それが怖かった。なので私は全力で逃げた。

「美弥っ」

けれど、声変わりし低くなった声が私の名前を呼んだ。

でも振り返らない。全力で校門を抜けると、家までの道を走る。
どこかに隠れようと辺りを見渡しても、高校までの道になにがあるのか分からない。
ただただ走って、家に逃げ帰ろうとしていた。

「……よお」

なのに、染谷くんが私の家の前の塀に手を置いて、前かがみで息を整えているのを見て心臓が飛び出るかと思った。

「残念だったな。お前の家は、クラス委員してたときにいつも送って帰ってたから知ってんだよ」
 顔を見れない。染谷くんの靴を睨みつける。彼は、高校指定のスリッパのまま走って私に追いついてしまったらしい。なんて足の速さだ。


「俺の顔を見ろよ」
「ブスだから見ません」
「……ブスじゃねえよ」
「ブスって言った人が今更何を言っても、信じません」

頑なに下を向いて、カバンを握りしめていた。
すると彼は深くため息を吐いた。

「俺は、佐伯美弥さんをブスと思ったことは一度もありません。白状します」
「嘘つき。ブスって言った。うるせえって言った。覚えてるもん。昨日の晩御飯のメニューより鮮明に覚えてるもん」
「振り返ったとき、もうお前がいなくなってたから、謝るタイミングなかったし、その、悪かった」

 三年越しに謝罪されたけど、全く心は癒されない。憎いわけではない。
なのに、私の心は彼の言葉を信じられなかった。
 ただ三年経って大きくなった彼の足のサイズだけをずっと見ていた。
「中学が離れるのに、笑顔で話しかけてくるお前にむかついたんだよ」
「……だからうるせえって言ったの?」
「中学が離れるのに、好きだなんて言われてどうしていいのか、わかんなかった。自分の気持ちを優先した。そうしたら、一回も同総会で会わねえからさ」

彼の靴下のメーカー名を眺めながら、ただただ私はあの日の自分を思い出す。
あの日の私のことを思い出す。

「ちゃんと話がしたいって思ったのに、一度も俺の方を見ようとしないから、すげえ苦しい」

自分勝手だ。お互い自分勝手に相手に思いをぶつけるだけで、理由までは伝えていないのだから。

「美弥はブスじゃねえ。ずっと傷つけたままで悪かった」

自分勝手な理想を詰め込んだ夢を見ているかと思った。近づいてくる彼の足を見ながら、頭を撫でなれて、体中がぶわっと熱くなる。

「ブスじゃねえよ。ずっと俺も伝えたかった」

頭を撫でる手が少し震えている。
「も一度、美弥と同じ教室に居たいって。同じクラスになれて、昨日、ずっと校門の前ではやくお前に会いたくて待ってたんだ」

 随分都合のいい夢を見ている。だって、見上げた彼は、小学生時代の幼さは消えて、王子様みたいに素敵に笑って私を見ていたから。

「高校生になった美弥、すげえ可愛い」
「うそ」
「サラサラの髪も、あんま伸びてない身長も、真面目そうな雰囲気も、全部、可愛いままだ」
「……う、そ」

ぐしゃって頭を撫でられて、私はポロポロと泣いた。
ブスって言われた。もう傷つきたくなかった。
全力で彼から逃げようとしていた。

笑わないつもりだった。

肩にかけていたバッグが地面に落ちる。視線を下にむけようとしたら彼の両手が私の頬を包み込んだ。

「もっと俺を見て、美弥」
じわりと涙がどんどんあふれてくる。


「泣き顔ブスでしょ」
「俺のせいで泣いてるから、超かわいい」

反則過ぎる甘い言葉に、私はもっと顔をブスにしたのだった。

三年間のすれ違いを、一瞬で彼は埋めようとしてくれた。
中学が自分だけ離れることに悩んでいたこと。
私に弱音を吐きたくても、頼られて嬉しかったこと。
意外と大雑把だったから私が一緒にクラス委員をして、助けてくれたことが嬉しかったこと。

笑顔が好きだったのに、離れる俺を見て笑ったことに傷ついていたこと。

そのあとに、言葉の意味に気づいて振り返ったら私はもういなかったこと。
そのまま同窓会でも会えないまま、美弥は俺に会いたくないのかと怖かったこと。

『染谷くんの前ではもう笑いません』
その意味が、自分のあの言葉はトラウマになっているなら、謝りたかったこと。

彼はずっとずっとべらべらと、息継ぎするのも忘れて話してくれていた。

中学の部活は楽しかったけど、サッカー選手になりたいわけじゃないなら勉強もしないといけないと、進学校を受験したこと。中学の友達に私が受験していると教えてもらっていたから再会を夢見て頑張っていたこと。


聞き終わるころには、私は染谷くんの顔を見るのが怖くなくなっていた。

「俺は、あの時から佐伯美弥のことがずっと好きだった」
夢のような甘い言葉。悪夢から目が覚めた。染谷くんに会うのが怖くて逃げた三年間だった。

「私も好きでした」

子どもだった自分たちを、許せるように。
私と染谷くんは、前を向いて歩きだした。



次の日、登校すると染谷くんはクラスの皆にからかわれていた。
 部活をさぼって走って逃げる私を追いかけたことについて、説明を求められていたようだった。

「お、噂の佐伯美弥さんもやってきましたよ」
優子もにやにやしながら、私に手を振る。
すると染谷くんは皆をかき分けて私の方へやってくると、じろじろと私を見る。

「今日も可愛い」
「ひっ」

眩しいぐらいの笑顔で言われて、私は固まった。
どう返事するのがいいのか分からず、真っ赤になりながらも笑うしかなかったのだった。

Fin
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