失恋するまでの10日間〜妹姫が恋したのは、姉姫に剣を捧げた騎士でした〜

ソフィア7

「失礼いたします、ソフィア様」
「宰相閣下。わざわざおいでになられなくとも、呼んでいただければ私の方から参りましたのに」

 王女である自分の方が立場は上だが、国の重鎮中の重鎮である宰相は別格だ。未曾有の国難の中、彼の舵取りがあったからこそ最小限の被害で食い止められ、戦いを維持できた。魔獣暴走(スタンピード)の後処理で目が回る状況の中、四十を越える彼の存在は、若輩であるソフィアよりも頼りになる。

「いえ、この件は事が事ですので、私から参るのが道理にございます」
「というと、私の婚約に関わることでしょうか」
「左様にございます。今ほど陛下にもお目通し頂き、最終候補者が出揃いました。あとはソフィア殿下にお任せするとのことにございます」
「前にも申した通り、急ぎ婚約してくださる方ならどなたでもかまいません。陛下と宰相閣下にお任せします」

 魔獣暴走(スタンピード)で後継を失ったロータス伯爵家にカークが養子に入り、王女であるエステルを夫人に迎えて復興の旗印にするという案は、英雄の帰還とともに王城内で浮上した。すでにロータス伯爵も承知済みという恐るべき根回しの良さで、誰かが影で糸を引いているのではと勘繰ってしまうほどだ。とはいえ怪しいところは見当たらず、当の本人たちも承知したとあっては反対する者もない。

 ソフィアは南部の様子を見てはいないが、英雄と王家の姫が被災地に腰を据えることは、復興の大いなる力となると、現地の惨状を知る騎士や役人たちが賛同しているところを見るに、物理的にも精神的にも良案と言えるのだろう。

 だがその施策の皺寄せがまさか自分に来るとは思いもしなかった。

 エステルが降嫁すれば王家に残るのは独身のソフィアだけとなってしまう。それでは王家の後継問題として心許ないという言い分は、わからないでもない。

 だがソフィアはまだ十九歳。将来的に結婚して子どもを産む可能性は十分あるのだから、いささか心配がすぎるというものだ。仮にソフィアが子宝に恵まれなかったとしても、エステルとカークの間に生まれた子を王家の養子として迎えることもできるし、父王の弟や妹の系譜に受け継がせることだって十分可能だ。

 なぜそんなにソフィアの相手選びを急ぐ話になるのか、ソフィア本人にとっては不本意極まりなかったが、両親や宰相、その他の貴族たちまでもがソフィアに選択を迫った。まるで何か、逆らえない波に飲まれたかのような、そんな不可思議な状況に置かれて、ソフィア自身も拒むことが難しくなった。

 いつもの自分ならもっと毅然と立ち向かえていたことと思う。けれど残念なことに、失恋という大きな痛手を負っていたソフィアは、冷静に思考する能力を欠いていた。長年思い続けた乳兄弟との未来が潰えた今、自分の将来に改めて思いを馳せることができなかったのだ。

 だから父に任せると、そう言ってしまった。それが一種の逃げだとわかっていても、自分で選ぶことを避けた。

(選んで、また失ってしまったら、きっと立ち直れない)

 なおも言い募る宰相に「そちらで選定をお願い」と重ねて告げて、部屋から追い立てた。

 そのまま書類に目を落とせば、自分の手元に影が重なった。

「ご自分で選ばなくてよろしいのですか」
「ランバート卿……」

 先ほど顔色が悪いと指摘してきた彼が、まだ自分の傍に残っていた。宰相補佐として共に魔獣暴走(スタンピード)に政治面で対応してきた彼は、二十代でありながら宰相の後継として名高い若手官僚だ。両親はすでに亡く、ランバート伯爵家の爵位も継いでいる。父王の執務の代行もしているソフィアにとって、旧知とまではいかないが、見知った存在だ。

 その彼が、濃紺の瞳を細めてそう聞いた。

「……えぇ。問題ないわ。父と宰相閣下にお任せしていれば間違いはないでしょう。大切なのはエステルとカークの婚姻の方であって、私の話ではないのです」

 誰が用意されても、それがカークでないことは間違いない。だったら誰でもいいと、ソフィアはある意味達観していた。

「なるほど」

 彼がそう呟いたのを機に再び書類に目を向ければ、やがて頭上から人の気配が消えた。

 静かになった執務室で、ソフィアは一心不乱に手と目と頭を動かした。足音もなく部屋を後にした男が、廊下で仄暗い笑みを浮かべていることなど、知りもせずに。

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