失恋するまでの10日間〜妹姫が恋したのは、姉姫に剣を捧げた騎士でした〜
ソフィア10
国王の名の元に、急ぎ王太女の婚約者の発表の準備が行われている最中。
「お部屋までエスコートする栄誉を頂けますか」
「……えぇ」
いつもの自分なら、部屋に戻る程度のことでエスコートなど頼まない。だが自分の相手が定まったことを急いで広めなければならない事情もある。
(エステルとカークの耳にも、もう届いているのかしら)
かつての乳兄弟はこの知らせに何を思うだろう——。恋心には蓋をして鍵をかけたが、今からやってくる未来への戸惑いが、自分を過去へと押し戻そうとする。
こんなことでは駄目だと自分を叱咤しながら、隣を行く青年を見上げた。たった今自身の婚約者に納まった、つい先ほどまでただの王女と官僚の関係でしかなかった相手。
「ランバート卿の周囲の方々は納得されているのよね」
「兄と妹、それに親戚に知らせるのはこれからになりますが、反対する者はありませんよ」
「そうではなくて……」
彼の年齢は二十五だったか六だったか。優秀な男で、王立大学をソフィアと同じ最短の五年で卒業していたはずだ。文官として登用されてわりとすぐに宰相に見出され、異例の若さで補佐に抜擢されたのは記憶に新しい。加えて伯爵の肩書きもある。名も実も、見た目も備わった男性が、浮いた噂ひとつないというのもおかしい。
もしや将来を約束した相手がいたにも関わらず、貰い手のない自分の婿がねとなるよう、父王や宰相に迫られ、断れずにいるのではないか。ソフィアがそう考えたのも無理ないことだった。
「どうぞご安心を。二十一で文官となり、仕事に邁進しているうちに今回の魔獣暴走の災禍に見舞われました。あまりの忙しさに恋人を持つ暇などありませんでしたので」
ソフィアの思惑を言い当てられ、思わず鼻白んだ。しかしすぐに彼が優秀な男だったことを思い出す。自分が言外に込めた意味くらい、簡単に見抜いてしまうだろう。
彼の能力であれば未来の王配として、国の舵取りをしていかねばならない自分の十分な支えとなるはずだ。父や宰相が少ない候補の中から推すだけのものがある。この選択は想定外だったが、悪いものではないはずだ。
「ランバート卿、どうもありがとう」
「どうかユリウスとお呼びください。ソフィア様」
「……ユリウス殿。今後ともどうかよろしく」
執務室に戻ったソフィアが、彼のエスコートから手を引こうとしたとき。
「少しお話をさせて頂いても?」
ユリウスにそう微笑まれ、ソフィアは頷いた。手を引いたまま室内に移動した彼は、この二年間常に開け放たれていた執務室の扉を、片手で閉めた。
「ランバート卿!」
「緊急の事態ですのでご容赦を。扉の外の護衛には伝えてあります」
未婚の男女が扉を閉じた部屋で二人きりになるなど、たとえ婚約者であっても許されることではない。羞恥と怒りで声を荒げそうになったソフィアは、けれど彼の力強い腕に抑えられ、息を呑むことになった。
「ランバート卿! いったい何を……っ。婚約の話が出たからといって、こんな」
「英雄殿への思いは断ち切ることができましたか」
「……っ」
彼の鋭い瞳と思いもかけぬ名前に、ソフィアはさらに息を呑んだ。
「……な、何を」
ソフィアがカークに思いを寄せていたことが、周囲に知られているはずがないのだ。なぜなら自分は完璧な王太女として、常に微笑みと冷静の仮面を被ってきたのだから。カークと結ばれたエステルに、ソフィアもカークのことが好きなのだと思っていたと言われたくらいだから、完璧ではなかったのかもしれないが、それでもカークはただの乳兄弟だと説明すれば、妹はあっさり納得してくれた。
だから今自分が行うべきことは、否定することだ。ソフィアは崩れかけた仮面を即座に付け直した。
「お部屋までエスコートする栄誉を頂けますか」
「……えぇ」
いつもの自分なら、部屋に戻る程度のことでエスコートなど頼まない。だが自分の相手が定まったことを急いで広めなければならない事情もある。
(エステルとカークの耳にも、もう届いているのかしら)
かつての乳兄弟はこの知らせに何を思うだろう——。恋心には蓋をして鍵をかけたが、今からやってくる未来への戸惑いが、自分を過去へと押し戻そうとする。
こんなことでは駄目だと自分を叱咤しながら、隣を行く青年を見上げた。たった今自身の婚約者に納まった、つい先ほどまでただの王女と官僚の関係でしかなかった相手。
「ランバート卿の周囲の方々は納得されているのよね」
「兄と妹、それに親戚に知らせるのはこれからになりますが、反対する者はありませんよ」
「そうではなくて……」
彼の年齢は二十五だったか六だったか。優秀な男で、王立大学をソフィアと同じ最短の五年で卒業していたはずだ。文官として登用されてわりとすぐに宰相に見出され、異例の若さで補佐に抜擢されたのは記憶に新しい。加えて伯爵の肩書きもある。名も実も、見た目も備わった男性が、浮いた噂ひとつないというのもおかしい。
もしや将来を約束した相手がいたにも関わらず、貰い手のない自分の婿がねとなるよう、父王や宰相に迫られ、断れずにいるのではないか。ソフィアがそう考えたのも無理ないことだった。
「どうぞご安心を。二十一で文官となり、仕事に邁進しているうちに今回の魔獣暴走の災禍に見舞われました。あまりの忙しさに恋人を持つ暇などありませんでしたので」
ソフィアの思惑を言い当てられ、思わず鼻白んだ。しかしすぐに彼が優秀な男だったことを思い出す。自分が言外に込めた意味くらい、簡単に見抜いてしまうだろう。
彼の能力であれば未来の王配として、国の舵取りをしていかねばならない自分の十分な支えとなるはずだ。父や宰相が少ない候補の中から推すだけのものがある。この選択は想定外だったが、悪いものではないはずだ。
「ランバート卿、どうもありがとう」
「どうかユリウスとお呼びください。ソフィア様」
「……ユリウス殿。今後ともどうかよろしく」
執務室に戻ったソフィアが、彼のエスコートから手を引こうとしたとき。
「少しお話をさせて頂いても?」
ユリウスにそう微笑まれ、ソフィアは頷いた。手を引いたまま室内に移動した彼は、この二年間常に開け放たれていた執務室の扉を、片手で閉めた。
「ランバート卿!」
「緊急の事態ですのでご容赦を。扉の外の護衛には伝えてあります」
未婚の男女が扉を閉じた部屋で二人きりになるなど、たとえ婚約者であっても許されることではない。羞恥と怒りで声を荒げそうになったソフィアは、けれど彼の力強い腕に抑えられ、息を呑むことになった。
「ランバート卿! いったい何を……っ。婚約の話が出たからといって、こんな」
「英雄殿への思いは断ち切ることができましたか」
「……っ」
彼の鋭い瞳と思いもかけぬ名前に、ソフィアはさらに息を呑んだ。
「……な、何を」
ソフィアがカークに思いを寄せていたことが、周囲に知られているはずがないのだ。なぜなら自分は完璧な王太女として、常に微笑みと冷静の仮面を被ってきたのだから。カークと結ばれたエステルに、ソフィアもカークのことが好きなのだと思っていたと言われたくらいだから、完璧ではなかったのかもしれないが、それでもカークはただの乳兄弟だと説明すれば、妹はあっさり納得してくれた。
だから今自分が行うべきことは、否定することだ。ソフィアは崩れかけた仮面を即座に付け直した。