いつか来る、その日まで
 レースのカーテンを引いても西日が眩しい。その温かくも強い光に目をくらませていると、カーテンも閉めましょうか、と黒服に聞かれた。

 「いえ……。いいわ。そのままにしておいて」

 脇に控えていた黒服が頷く。

 私は細かく編まれたレースの模様から漏れる光を眺めていた。

 ──この陽の光をあと何回見ることができるのだろう。

 黙ってレース越しに陽の光を浴びている私の気持ちを察したのか、小さいころから私に仕えている黒服が、少し外に出ましょうか、と誘ってくれた。

 「ありがとう。お前はいつも私に寄り添ってくれるのね」

 私は外に出たかった。カーテン越しではなく、太陽の光を浴びたかったのだ。

 黒服が用意したカプセル型の車いすに私は乗り込んだ。ベルトを締め、酸素吸入用のマスクを付ける。意味がないとわかりながらも、有害物質除去装置が付いたヘルメットを着けて──これを付けないと扉が閉まらないのである──、私はカプセルの扉を閉めた。外から黒服がロックをかける。カプセル内と外との空間は遮断され、少し圧迫感を感じる。カプセルは祖父の代から使用している旧式だった。乗り心地は良くないが、しかし、庭を散策するには十分なものだ。

 擦れた傷があるカプセルの窓越しに、黒服がジャケットを脱いで、遮断スーツを着るのを見ていた。私の世話をするだけの黒服にも、特段新しいものは与えられなかった。しかし、それはこの世界に住む人間も皆そうに違いない。この没落して傾いた家に住む者には新しくものを買う余裕などないのだ。

 スーツを着れば内部と外部での情報伝達や遺物の授受は行われない。遮断スーツ、ヘルメット、酸素ボンベ、脚にはプロテクターを付けた黒服がゆっくりとこちらにやってきた。

 「行きましょうか」

 「ええ、お願い」

 二重に封がされた重い扉を開き、私は黒服にカプセルを押されて、ベランダへと出た。

 眩しい。西に傾いた黄金色の太陽が私たちを照らしている。カプセルの窓で屈折した光が差し込み、虹色に輝く。金属のカプセルは温められて、じんわりと中が温かくなって心地よかった。日向ぼっこをするという行為は、もしかしたら、このような状態なのかもしれない。

 屋敷の周りに他の建物はなく、ベランダからは開けた景色を見ることができた。辺りには緑色の景色が広がっていた。かつては庭師が整備していたという庭は荒れ方だったが、鮮やかではある。

 「今日はいい天気ですね」

 黒服が言った。カプセルとマスクのせいで意思の疎通はしづらいが、きっと黒服ならそういうだろう、と思い私は頷いた。

 「本当に、今日はいい天気」

 カプセルもスーツも完璧ではない。すぐに中に戻らなければならないというのに、私はため息をついてその景色に見とれてしまっていた。直に触れることができずとも、外の世界は窓越しや映像とは違った、すがすがしさがあった。このカプセルの窓を隔てた向こう側にある、音も匂いもわからなかったが、私は確かに、自然の中にいた。目を閉じて、深呼吸をする。機械の音とそれから、私の鼓動。瞼の下では日の明るさに合わせて、暗闇の色が変わっていく。

 再び目を開いた時、傾いていく太陽がオレンジ色になっていた。

 「さ、中に入りましょうか」

 黒服が促す。ここには長くとどまれない。私が頷くのを見て、黒服がカプセルを押し、私たちは部屋に戻った。

 「体調はお変わりないですか?」

 くぐもった声で黒服が私に聞く。

 「ええ。大丈夫よ」

 部屋の中に戻り、私たちは着こんだ時と反対の手順で装備を脱いだ。長く陽の光に当たり、少し疲れたようだ。私はベッドに勢いよく身体を投げ出した。体調は悪くはないが、向こう側で装備を整えている黒服を見る。

 「私たちは──、」

 「はい」

 「私たちは、こんなにも人間の姿をしているというのに、人間のように生活はできないのね」

 人間であれば、スーツを着て、カプセルに乗らなければならないことはなかっただろう。

 「私たちは、本当に人間ではないのかしら」

 「──人間は死滅しました」

 黒服が穏やかに言った。

 そうだ。人間は死滅したのだ。

 私たちは地球に降り立った宇宙人の何代目かだ。地球人と友好関係を築き、人間に擬態して生活をはじめ、やがて人間に溶け込んだ。

 そして、私たち子孫は、人間か人間じゃないかの区別ができなくなった。

 宇宙人の身体が地球の生物に干渉することが分かったのはもっと後の事だ。宇宙人は生物の遺伝子に影響を与え、やがて、地球上にすんでいる生き物はゆっくりと変化していった。何代もの代替わりを経て、地球にいた人間は人間としての形を失い、短命になり、やがて絶滅した。残ったのは、ごくわずかな自然と私たち人間の形をした宇宙人だけだった。

 私たちの影響を与える身体を制限するために、外に出るときには必ず他の生き物に影響を与えないようにする装備を付けることが義務付けられた。私たち宇宙人は人間として、地球の環境と多様性を守りたかったのである。

 その甲斐あって、私たちの世代には人間以外の動物や植物たちが復活し、少しずつ芽吹き始めた。この先、今と同じような生活を続けていけば、いつか図鑑に載っているような多種多様な生物が暮らす惑星をとりもどすことができるだろう。

 「私たちはいつ死滅するのかしら」

 黒服は微笑むだけだった。

 私たちの身体の中には、宇宙人の身体にあった影響を与える部分と、人間の体にあった影響を受けてしまう部分が混在している。人間ではなく、人間である存在。内部から干渉を受け、身体の中から変化させられた結果、私たちはゆっくりと破滅に向かっていた。

 私たちは、直に自然に触れ、陽の光を浴びることはもうない。

 レースのカーテンからはもう夕焼けも入っていなかった。窓辺はひんやりとしている。これから夜が来るのだ。

 「カーテンを下ろしますね」

 黒服が言った。

 「そうね。お願い。朝になったら、またカーテンを開きましょう」
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