その優しさに溺れる。〜一線を超えてから、会社の後輩の溺愛が止まらない〜
「……ねえ」

グラスを見つめながら、詩乃がぽつりと言う。
「あのね、恥ずかしい話なんだけど……聞いてくれる?」

「はい」

「婚約者がいたの。十年以上付き合ってて、最近ようやくプロポーズされて、やっと家族になれるって思ってた」

ゆっくり語る詩乃に、湊はただ頷いた。

「でもある日、連絡しないで彼の家に行ったら、知らない女の人といて……」

声が震え、言葉が途切れる。

「……そういうこと、してて」

「……」

「頭が真っ白になった。結婚しようって言ってくれたばかりなのに……」

言葉と一緒に涙があふれる。甘い声、肌の音、呼ばれていた名前が自分のものではなかった事実が、まだ離れない。

「——深雪さん」

湊の声が静かに現実へ引き戻す。顔を上げると、彼が真っ直ぐ見つめていた。その瞳にごまかしはない。

「……ごめん、泣くつもりじゃなかったのに……」 

顔を背けようとすると、湊が静かに言った。

「深雪さんは、そんな扱いをされていい人じゃないです」

「……え?」

「そんな男、もう忘れてください。あなたにそんな顔をさせる奴なんて、はやく忘れた方がいい」

本気で言われたとわかり、胸がぎゅっとなる。忘れたい——忘れられたらいいのに。

「思い出が、声が、笑顔が、頭から離れないの」

「十年以上いたんだよ。家族になろうって約束したんだよ……」

「忘れろって、そんなの……わかってる。でも…っ」

声が震え、涙が止まらない。それでも湊は何も言わず、ただ隣で見守ってくれる。
真っ直ぐな瞳が詩乃を捉えていた。やさしさがじんわり心に広がる。
唇がかすかに震え、信じられない声で、それでも確かに彼に向かって──

「……じゃあ…橘くんが…慰めてくれる…?」
< 8 / 39 >

この作品をシェア

pagetop