開国のウィストアギネス 〜出戻り巫女が星海の聖女と呼ばれるまで〜

第15話 運命を変えるために


 母艦の艦橋、操舵室。
 オリアスとウィスタが並んでいる。

 艦長の椅子は別室、王宮のごとき装飾の艦長室にあったが、オリアスはそれを好まなかった。艦隊の指揮権を得てからずっと、この操舵室にいる。
 航国の重鎮たち、航帝の側近はそれぞれ、本来の持ち場である各艦に戻した。

 艦隊はいま、湾の手前で静止している。
 遠く湾の奥には、ようやく昇りかけた陽光を受けて輝く白い建物が見えている。
 聖ルオ国の神殿である。

 一刻ほどまえに照明信号を送り、その返答を待っていた。
 ウィスタが作った文言である。彼女自身が、作らせてほしいと希望した。
 オリアスが、それを許した。

 そもそもいま、艦隊がここにいるのも、ウィスタの意思といえた。
 彼女は、オリアスが暫定の指揮官となり、艦隊がそのまま聖ルオ国へ向かうことを希望したのだ。

 航帝《こうてい》ゼルヘムは重傷を負い、いま全艦隊の指揮権は名実ともにオリアスの手にある。艦隊の全員がウィスタの起こした奇跡を目撃しており、それは聖ルオ国への進攻に対する報いだと考えるものも多かった。すべてを中止して引き返すことが妥当であり、難しくもない。

 オリアスはそうウィスタに説明したが、彼女は首を横に振った。
 いま、すべてを終えるべきだと思う。
 そういって、彼女はオリアスの目を見返した。強い瞳だった。

 聖ルオ国で、神殿で、彼女が知らないなにかが起きている。それが危難を生んだ。今回は回避できたが、オリアスによれば、多数の国がルオに不満をもっているという。すぐにまた、おなじことの繰り返しになるだろう。
 なによりウィスタの脳裏には、海底で見た、あの映像が強い印象として刻み込まれている。破壊される街、灼かれて消える命たち。

 そして、リリア。教政院《きょうせいいん》議長。
 なぜ、神殿で、オリアスとウィスタを攻撃してきたのか。オリアスに神殿で引き合わされた時の言葉もどこか含みを持っていた。
 今回のことに、彼女がなにか、関わっているのではないのか。

 ウィスタは、国の運命と、自分の運命を重ねている。
 解かなければならない疑問があった。
 それをせずには、前に進めないと、いま、考えている。
 
 「ところで、開国のウィストアギネス、って、なんなの? ウィスタちゃんの、国での呼び名かい?」

 計器を調べていたリッキンが振り向かずに声をだした。頭に包帯が巻かれている。オリアスの船で待っていたところ、ウィスタが起こした波浪により転倒し、しばらく気絶していたらしい。
 オリアスが自船に戻り、他の気の利く乗組員数人とともに彼を母艦に連れてきた。その包帯を見てウィスタは平謝りをしたが、説明を聞くまでリッキンは、なにを謝られているのか理解できずにぽかんとしていた。

 「あれだけのちからを持つ巫女さんだもんなあ、二つ名くらいあるよな」

 ウィスタはオリアスと並んで神殿の方角を見ていたが、振り返り、不思議そうな表情を浮かべた。

 「あ、いえ……思いつきです。なんか開国って言葉、入れたほうがいいかなって」
 「……あ、そ……」
 「いや、悪くなかった」

 オリアスがくちを挟む。

 「シア航国の目線では、なにを言っても威圧になる。俺や航帝の名前でも同じことだ。その点、ウィスタの名前なら、そして相手も国ではなく、宰相……教政院議長だったか、その、過去の呼び名。仮にしくじっても、なんとでも言い逃れのできる呼びかけだ。開国、という言葉が入ることで相手の反応も見ることができる。ウィスタには政略の才があるのかもしれない。すごいな、ウィスタ」

 遠くをみながら独り言のように言った。
 誰も返事をしないので、横を見る。ウィスタは腹のあたりの布地を握り締め、俯いていた。頬が赤い。振り向いてリッキンを見ると、くちをすぼめて、愉快そうな表情を浮かべていた。

 「……なんだ」
 「親方があだ名で呼び捨てするの、初めて聞いたっす。女のひと。そしてまたウィスタちゃんのその、表情《かお》! あっはは」
 「なっ」

 オリアスは目を剥き、ウィスタはさらに首の角度を深くした。
 そのとき、伝令管《でんれいかん》から割れた声が響いた。艦橋上部の監視塔からだ。オリアスが急いで顔を近づける。

 「船が接近します。さきほどの連絡艇ではありません。中型です」
 「軍船か」
 「武装は見えません。白い塗装に、なにか模様が描かれています」
 「警戒。だが絶対に手を出すな。ウィスタ、なにかわかるか」
 「……たぶん、御用船《ごようせん》。神殿の巫女とか位の高い神官が海にでるときに使う船だと思います」

 そのまま待つ。
 やがて、操舵室からも船影がはっきり見えるようになった。速報どおり、白い、優美な船だった。
 と、その船が照明を明滅させた。照明信号だ。ふたたび伝令管から声。

 「信号を読み上げます。うぃすたはぶじか、かおをみせてくれ、いでぃ」

 ウィスタは目を見張り、窓に走り寄った。

 「……主教さま……イディ三世さまが、いらっしゃってる……!」

 オリアスは首を振り、呆然と船影を見やった。

 「……まさか……ありえん。なんのために、危険を冒して……」
 「……主教さまは、そういうお方です。ずっと、ただひとり、わたしを護ろうとしてくださった方……」

 伝令管の声が続いた。

 「再び信号です。うぃすた、きてやったぞ、おわらせよう、りりあ」

 ウィスタの背がぴくりと動く。

 「……りりあ、というのは、議長の名です」
 「終わらせよう……か。なにをどう、終わらせるつもりなのか」

 信号がいくつか続き、船舶同士の近接の方法などが簡潔な符号でやりとりされた。たがいに小さな艀船《はしけ》を出して、両船の中間で合流する、という協議が成立した。
 その内容にオリアスも同意し、指示を出した。
 しばらくすると、艀船の準備が整った、と連絡があった。
 オリアスは外套を羽織い、ウィスタのほうへ振り向く。

 「……これは、危険な交渉だ。罠かもしれない。主教も議長も、来ていない可能性もある。それに君には、なんの義務もない」

 それだけの言葉だったが、ウィスタには意味はじゅうぶん、伝わっている。
 窓から離れ、オリアスの前に立つ。
 少し俯いてから、彼の顔を見上げて、笑った。

 「いきましょう。変えるために。国と……わたしたちの、運命を」

 


 

 

 

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