開国のウィストアギネス 〜出戻り巫女が星海の聖女と呼ばれるまで〜

第6話 かならず聞き出せ


 いくつかの町をとおり、山を越えた。
 ほとんどは海沿いの道だった。
 ウィスタはいまの町に落ち着くまで居所を転々としていたから、見覚えのある風景もいくつかあった。

 用意されていた軽食を馬車のなかでつまんだ。神殿の厨房のものだろう。ウィスタの記憶にもある味。懐かしく、苦い。

 やがて大きな港町に入る。
 夜ももう更け、夕食の時間はとうに過ぎているというのに、食堂なり酒場は軒先に煌々と灯を掲げ、どこの路も賑やかだった。
 そうした場所を通り過ぎ、ふたたび灯りが少なくなる。山馬の重い蹄鉄の音と、車輪が砂利を噛む音だけが途切れなく聞こえる。

 ふいに、木立が切れた。
 月明かりが降る。
 丘の上に出たのだ。
 眼前には左右を岬に囲まれた湾。その中央、張り出した出島に、純白に輝く神殿がしずかに聳《そび》えているのが一望できる。

 ウィスタはひとつ、ぶるっと身震いし、唇を噛み締めた。
 五年前、あそこを出たときは、徒歩でこの丘を登った。
 今日と同じ、月の明るい夜だった。

 門は三つあり、いずれも門衛に止められた。が、中を見てすぐに退がった。
 砂利道が終わり、石畳となる。蹄鉄の音が高くなる。左右に背の高い灯篭が等間隔で並んでいる。
 神殿は中央の本殿と、左右の副殿《ふくでん》からなる。いずれも白い石を磨き上げた材で組み上げられており、華美ではないが、荘厳で、端正だ。この世ならざるもののような雰囲気をまとっている。
 本殿を通り過ぎ、右副殿の前で停止した。右副殿には教政院《きょうせいいん》をはじめとする実務部署とその宿舎が配置されている。左副殿は主教と巫女たちの生活区域だ。

 ウィスタの両隣の男が先に降り、扉に手をかける。複雑な紋様が刻まれた重厚な木の扉が音もなく開く。事務神官が数人出てきた。
 彼らはウィスタが馬車から降りるのに手を貸そうとはしなかった。

 扉をくぐるとき、ウィスタは息が詰まるような感覚を覚えた。
 あかるい月明かりに慣れた目に、屋内はひどく暗く感じる。
 冷たい空気。水の流れる音。
 それでも入口広間の中央に、何人かの高位神官に囲まれて、見覚えのある顔を見つけることができた。
 対面することはわかっていたが、それでも息を呑んだ。どう振る舞って良いかわからない。服装は地味な一枚服であり、摘んで礼をつくれるような裾もない。
 相手が、先にうごいた。
 歩いてきて、ウィスタの前に立つ。感慨深げに息をついたあと、背に手を回した。彼女は抱擁を返してよいのかわからず、動けなかった。

 「ああ、ウィスタ。ウィストアギネス・アスタレビオ。達者にしていたか」

 灰褐色の長い髪を後ろで束ねている。金の髪留めと額のちいさな宝玉の飾りは、この神殿の主の上品なふるまいの邪魔にはなっていない。
 主教、イディ三世は、ウィスタが最後にみた五年前にはなかった顎髭を蓄えていた。

 「猊下《げいか》……」
 「主教さま、でよい。あの頃と同じに呼んでおくれ。すまなかったね、ずっと連絡もせずに。元気で暮らしているか。しっかり、やっているか」
 「……」

 ことばを返せなかったのは、唇が震えてうまく発声できないからでもあるし、言えば、まだこぼしていない涙が落ちてしまうためでもあった。
 主教はウィスタをやわらかく胸から離し、肩に手を置いて、深い色の瞳でその目を見つめた。灰色の眉を曇らせている。

 「今夜は急に呼び出して、本当に申し訳なかった。どうしても、君にしか頼めないことがあったのだ」
 「……わたくし、に、でございますか……」
 「ああ。君でなければならなかった。ただ、わたしは君の身が心配だ。無理はしないでおくれ。嫌なら嫌といってくれて構わない」
 「……わたくしでお役に立てることがあるのでしたら」

 主教はしばらくウィスタの目をじっとみて、頷いた。

 「実はな、君が海で救けた男性のことなのだ」
 「……はい」
 「彼はいま、この神殿に引き留めている。あれは、この国の者ではない」

 ウィスタも頷いた。そうだろうと思っていたし、今日呼び出されたのも、おそらくそれに関することなのだろうと予期していた。

 「知ってのとおり、我が国はいまだ鎖国を敷いている。門戸はわずかにしか開かれておらぬ。そしてあの者は、正式な訪問者ではない。わかるね」
 「はい」
 「どこから、どんな目的があってやってきたのか、知らなければならない。もちろん手荒なことをするつもりもない。ただ、神殿はこの国を守っていかなければならないのだ。知った上で、彼はその祖国に、丁重に引き渡そうと考えている」
 「……理解いたします」
 「しかし、いま、あの者には教政院がついているのだが、なにも言わぬそうなのだ。ここにきてから三日の間な。ただ……」
 「ただ……?」
 「今朝になって、君になら、あの海で出会った巫女になら、話すと、そう言いだしたそうだ」
 「……」
 「ふたりきりで会わせてほしい、時間がない、とな。明日の朝までに会えなければ、災いがやってくる、とも言っているらしい」
 「……わざ、わい……?」

 主教は、ふうと息を吐き、首を振った。

 「脅すつもりなのかもしれぬがな。それでも、背後になにがあるかわからんから、軽んずることもできん。ただ、わたしは君の身を案じたから、他に手はないのかを探ったのだが、最後はあれに、押し切られた」

 そういい、振り返る。
 広間の奥は人口のちいさな滝となっており、水霊《すいれい》の力で恒常的に海の水が汲み上げられ、循環している。その水が床に落ち、いくつかの水路が紋様のように広間を巡っている。
 その滝の横、暗がりから教政院議長、リリアが歩み出た。
 踵を鳴らして近づいてくる。
 
 「感動の再会もよろしいが、時間がない。そろそろその巫女……や、元巫女のウィスタを、お借りしたいのですが」
 「……リリア、いや、議長。彼女を護ってやってほしい」
 「護りますとも。成すべき仕事を、成し終えれば」
 「これはウィスタの義務ではない」
 「義務です。いっときは神殿の巫女であった者。身に降りた宿命からは終生、逃れられない……さあ」

 リリアはウィスタの腕を掴んだ。
 思わず後ずさろうとしたが、強く引かれ、よろめきながら歩き出した。
 振り返る。主教は眉を寄せ、祈りの手印を組んでいた。

 「……かならず、聞き出せ」

 リリアは手を離し、先を歩きながら短く強く、ことばを出した。
 副殿の奥、ふだんは使わない一角に踏み入っている。
 狭い石造りの廊下に音が反響している。

 「絶対にだ。これが最後の機会になるかもしれない」
 「……どういう、ことですか……」
 「文字通りだ。必ず、答えさせろ。どこの国のものか。狙いはなにか。災いとは、なにか」

 そういい、不意に足をとめ、振り返った。
 ウィスタにとっては酷薄と思える微笑を、くちの端でつくってみせた。

 「おまえが仕損じれば、実力に訴える必要が生じてしまう。手荒いことは好きではないのだ」 

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