さくらびと。 蝶 番外編(1)
第2章 桜の下の約束
春の陽気が病院の窓ガラス越しに差し込むようになった頃、千尋さんの表情にも、少しずつ変化が見られるようになった。
以前のような、悲しみに沈んだ顔ではなく、時折、穏やかな微笑みを浮かべるようになったのだ。
これも、彼女が少しずつ心を開いてくれている証拠だろうか。私は、担当看護師として、彼女の回復を静かに見守っていた。
そんなある日、千尋さんがそっと私に話しかけてきた。
「ねえ、蕾ちゃん。」
「千尋さん?どうしたの?」
「あのね、病院の中庭に、桜の木があるでしょう? あれ、とっても綺麗だよね。」
彼女の顔は、期待に満ちた輝きを宿していた。
その横顔を見ていると、中学校時代のいじめの記憶に苦しみ、涙に暮れていた日々が、まるで嘘のようだった。
「うん、綺麗だよね。私も、あの桜の木、好きだよ。」
「...あのね、もしよかったら、私、あそこまで散歩に行ってもいいかな?」
千尋さんの声は、少しだけ上ずっていた。
彼女の病状は、だいぶ安定してきていたとはいえ、まだ院内での行動には制限がある。だが幸い、同伴での外出の許可は降りていた。
しかし、彼女のあのキラキラした瞳を見ていると、断る理由など見つからなかった。
「もちろん! いいよ。仕事の合間を縫って、連れて行ってあげる。」
「ほんと!? やったー!」
千尋さんは、まるで子供のように無邪気に喜んだ。中学時代の虐めが原因で心が病んでしまったため、精神年齢が14歳のままで止まっている。
ただ、その笑顔は、太陽の光を浴びて輝いていた。