おやすみなさい、いい夢を。

暗い廊下 Sakura Side.




ふらふらと病室を出て、行くあてもなく彷徨っていた。

気づいた時には、降り出した雨に濡れていた。
傘も差さずに、病院の裏手の駐車場に立ち尽くしていた。

冷たい雨が頬を叩くたび、少しずつ現実に引き戻されていく。
……理緒が、もう治らない。
ここから生きて出られることはない。

――日向さんの、あの時の憐憫に満ちた表情が脳裏に浮かぶ。

それなのに、涙は出なかった。
泣いたら、全部終わってしまう気がした。
泣くことは、認めることになる気がした。

「……中野さん」

背後から静かな声がした。
振り向くと、そこに立っていたのは日向さんだった。
その手には、小さく折りたたまれた傘。
肩口から滴る雨の雫が、白衣をじっとりと濡らしている。

「……どうして」

絞り出すように問うと、彼は息を整えるように言った。
「理緒と位置情報、共有してるんだってな。……最近の高校生はすごいな。俺の時代にはなかった」

思わずポケットの中のスマホを握りしめた。
……いつの間にか、『その方が楽でいいよね』とお互い言い合ってインストールしたアプリ。
……私の方は存在を最近は忘れていたのに。理緒は覚えていたのか。

「だからって……別に探す必要、なかったのに」

「……心配するよ。君は女の子なんだから」

穏やかな声。
でもその奥には、何かを無理に抑え込むような硬さがあった。

「……とにかく、このままじゃ風邪をひく」

彼はためらいなく傘を広げ、私の頭上に差し出した。
ふわりと雨の音が遠のく。
肩越しに感じる体温が、ひどく現実的で、思わず息を呑む。

「職員用のシャワー室、使わせてあげる。おいで」

その声は、どこまでも優しくて、
それなのに壊れそうなほど静かだった。

私はその静けさに、
何も言えなくなった。


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