あの町の言葉、この町のわたし

第3章 葛藤と涙 第1話 文化祭当日、想いが交錯

文化祭当日の朝。菜月は5時に起きて準備に取り掛かった。

「今日は絶対成功させるやて」

鏡の前で身支度を整えながら、菜月は気合を入れていた。

「菜月ちゃん、早いのね」

未来が寝ぼけ眼で起き上がった。

「ごめん、起こしてしもうた」

「大丈夫よ。今日は大事な日でしょ?」

未来は菜月の制服姿を見て、少しドキドキした。いつもより気合が入っていて、とても綺麗に見える。

「がんばって。私も絶対見に行くから」

「ありがとう、未来ちゃん」



「菜月ちゃん、お疲れさま!」

部室では既にさくらと麻美部長が準備を始めていた。

「みなさん、おはようございます」

「今日はよろしくお願いします」さくらが深々と頭を下げた。

「こちらこそ、さくらちゃん」

二人は並んで和菓子の最終チェックをした。羽二重餅、水ようかん、そして菜月特製の福井風どら焼き。

「うわあ、どれも美味しそうやの」

「また方言出てる」さくらがくすくす笑った。

「もう、さくらちゃんまで『やの』って言いそうになってるやん」

「え?」さくらが慌てた。「言ってません!」

「今『やん』って言った」

「あ!」さくらの顔が真っ赤になった。

二人は笑い合った。



お茶部のブースは中庭の一角に設置された。「福井の銘菓と茶道体験」という看板が風でゆらゆら揺れている。

「緊張するやて」

「大丈夫、練習通りやれば」さくらが菜月の手を握った。

菜月の心臓がドキドキした。さくらの手は小さくて温かい。

「ありがとう、さくらちゃん」

「一緒に頑張りましょう」

二人の手が握られている時間が、なぜか長く感じられた。


「いらっしゃいませ!福井の銘菓はいかがですか?」

菜月の元気な声で、文化祭での販売が始まった。

最初のお客さんは、隣のクラスの男子学生だった。

「これ、何ですか?」羽二重餅を指差した。

「福井の名物、羽二重餅やて。もちもちで上品な甘さが特徴です」

「『やて』?可愛い話し方するんですね」

男子学生がにこっと笑った。菜月は少し照れた。

「一つください」

「ありがとうございます!」



「この水ようかん、冬に食べるんですか?」

「はい、福井では冬のコタツで食べるのが定番やて」

「へー、面白い!」

お客さんたちは菜月の方言と福井の文化に興味津々。次々と商品が売れていく。

「菜月ちゃん、すごいね」さくらが感心した。

「さくらちゃんのおかげやて」

「私は何も…」

「いてくれるだけで心強いがよ」

さくらの頬がほんのり赤らんだ。



「菜月さん、お疲れさまです」

振り返ると、圭介がにこやかに立っていた。

「圭介先輩!来てくださったんですね」

「もちろんです。約束しましたから」

圭介は和菓子を見回した。

「どれも美味しそうですね。全種類いただけますか?」

「ありがとうございます!」菜月が嬉しそうに包装を始めた。

さくらは圭介をじっと見ていた。何となく面白くない表情。

「あの、試食もできますよ」菜月が羽二重餅の小さな欠片を差し出した。

「ありがとうございます」

圭介が菜月の手から直接受け取る時、指先が触れた。

「あ…」菜月の顔が赤くなった。

「とても美味しいです」圭介が笑顔で言った。「菜月さんの手作りだと思うと、より特別な味がします」

さくらがぎゅっと拳を握った。

◆茶道体験コーナー◆

「茶道体験もされませんか?」麻美部長が圭介に声をかけた。

「ぜひお願いします」

圭介は茶道体験コーナーに座った。菜月がお茶を点てることになった。

「緊張しますね」圭介が笑った。

「私も緊張してるやて」

菜月は丁寧にお茶を点てた。祖母に教わった通りの美しい動作。

「お茶をどうぞ」

圭介に茶碗を差し出す時、また手が触れそうになった。二人とも少しドキドキしている。

「美味しいです」圭介が心から感動した様子で言った。

「ありがとうございます」

「菜月さんのお茶には、故郷への愛情が込められているんですね」

菜月の胸がキュンとした。圭介先輩は、ちゃんと自分の気持ちを理解してくれている。

さくらはその様子を見ていて、何とも言えない気持ちになった。

◆昼休み◆

「お疲れさま」未来がやってきた。

「未来ちゃん!」菜月が手を振った。

「すごい人気じゃない。もう半分売り切れてる」

「みんながようけ買ってくれて」

「『たくさん』でしょ?」未来がいつものようにツッコんだ。

「そっけそっけ」

未来も和菓子を買った。

「美味しい!本当にお店の味みたい」

「ありがとう」

その時、さくらがやってきた。

「菜月ちゃん、この方は?」

「私のルームメイト、未来ちゃん。未来ちゃん、こちらがさくらちゃん」

「初めまして、佐伯未来です」

「田島さくらです。菜月ちゃんがいつもお世話になってます」

二人は握手した。未来はさくらを見て、「可愛い子だな」と思った。そして、さくらが菜月を見つめる目に、何か特別なものを感じた。

「菜月ちゃんから、さくらちゃんのこともよく聞いてます」

「そうなんですか?」さくらが嬉しそうに菜月を見た。

菜月は照れて顔を赤くした。


午後になって、お客さんがさらに増えた。しかし、そんな時に問題が発生した。

「すみません、これ何て言うお菓子ですか?」

年配の女性客が羽二重餅を指差した。

「羽二重餅やて」菜月が答えた。

「は?何ですって?」

「あ、『羽二重餅です』」菜月が言い直した。

「さっきは何と言ったの?」

「福井の方言で…」

「方言?」女性が眉をひそめた。「商売で方言使うなんて、失礼じゃない?」

菜月の顔が青ざめた。

「申し訳ありません」

「ちゃんとした日本語で説明してちょうだい」

女性の声は大きく、周りのお客さんも振り返った。

「すみません、これは福井県の名物で…」菜月の声が震えている。

さくらが慌てて駆け寄った。

「申し訳ございません。こちら福井県の伝統的な和菓子で…」

さくらが標準語で丁寧に説明すると、女性は満足そうにうなずいた。

「そういうことなら分かります。一つください」

女性が去った後、菜月は震えていた。

「大丈夫?」さくらが心配そうに菜月の肩に手を置いた。

「すみません、さくらちゃん。私のせいで…」

「菜月ちゃんのせいじゃないよ」

でも菜月は落ち込んでいた。やっぱり方言は迷惑なのかもしれない。


「菜月さん、どうされましたか?」

圭介が心配そうに近づいてきた。

「あ、圭介先輩…」

さくらが事情を説明した。

「そんなことがあったんですか」圭介が眉をひそめた。「その方が間違っています」

「え?」

「方言は日本語の大切な一部です。恥じることなんて何もありません」

圭介の優しい言葉に、菜月は涙ぐんだ。

「でも、お客さんに迷惑を…」

「迷惑なんかじゃありません。菜月さんの方言を聞いて、笑顔になるお客さんの方がずっと多いじゃないですか」

圭介が菜月の手を取った。

「菜月さんはそのままで完璧です」

菜月の心臓がドキドキした。圭介先輩の手は大きくて温かい。

さくらはその様子を見ていて、胸がギューっと痛んだ。

◆未来も駆けつけて◆

「菜月ちゃん、大丈夫?」未来が慌てて戻ってきた。

「未来ちゃん…」

「さっきの女性の言葉なんて気にしちゃダメよ。菜月ちゃんの方言は宝物なんだから」

未来も菜月のもう一方の手を握った。

「みんな…」菜月の目に涙が浮かんだ。

圭介、さくら、未来。みんなが自分を支えてくれている。

「ありがとうございます」

◆夕方、文化祭終了◆

結局、お茶部の和菓子は完売した。

「お疲れさまでした!」みんなで拍手した。

「菜月ちゃんのおかげね」麻美部長が笑った。

「みなさんのおかげやて」

「また出た」さくらが笑った。

片付けをしながら、さくらが小声で菜月に言った。

「菜月ちゃん、圭介先輩のこと好きなの?」

「え?」菜月が驚いた。

「だって、先輩が来ると顔が赤くなるし…」

菜月は困った顔をした。

「分からんやて」

「分からない?」

「好きやと思うけど、怖くもあるがよ」

「怖い?」

「本当に私のこと分かってくれるんやろうかって」

さくらは複雑な表情を浮かべた。

「菜月ちゃんを分からない人なんて、いないと思うけど」

「さくらちゃん…」

二人は見つめ合った。さくらの瞳に、特別な想いが込められているのを菜月は感じた。

◆帰り道◆

「今日はお疲れさまでした」

圭介が菜月を見送りに来た。

「こちらこそ、ありがとうございました」

「あの、菜月さん」圭介が立ち止まった。

「はい?」

「今度、二人でお茶をしませんか?」

菜月の心臓がドキドキした。ついに、正式なデートの誘いだ。

「あの…」菜月が迷っていると、さくらが口を挟んだ。

「菜月ちゃん、明日はお茶部の反省会があります」

「あ、そうやった」

「そうですか」圭介が少し残念そうに言った。「また今度ですね」

圭介が去った後、さくらが菜月を見た。

「菜月ちゃん、本当は時間あるでしょ?」

「え?」

「反省会、来週の予定だったはず」

菜月は気づいた。さくらが嘘をついてくれたのだ。

「どうして?」

さくらは少し顔を赤くした。

「なんとなく、菜月ちゃんがまだ準備できてないような気がして」

「ありがとう、さくらちゃん」

でも菜月は思った。もしかして、さくらは自分のことを…?

◆寮に帰って◆

「お帰り!」未来が笑顔で迎えてくれた。

「ただいま」

「文化祭、大成功だったじゃない」

「みんなのおかげやて」

菜月は今日の出来事を未来に話した。方言で怒られたこと、圭介先輩が慰めてくれたこと、さくらが助けてくれたこと。

「さくらちゃん、いい子ね」

「うん、すごく優しいがよ」

「圭介先輩からデートに誘われたのに、断っちゃったの?」

「断ったわけやないけど…まだ心の準備ができてないやて」

未来は複雑な気持ちだった。菜月の恋を応援したい気持ちと、自分の想いと。

「無理しなくていいのよ。菜月ちゃんのペースで」

「ありがとう、未来ちゃん」

その夜、三人の女性がそれぞれの部屋で、菜月のことを思っていた。

未来は菜月への想いを押し殺しながら、さくらは新しく芽生えた気持ちに戸惑いながら、そして菜月は自分を取り巻く複雑な関係に気づき始めていた。

東京での恋は、思った以上に複雑で甘酸っぱいものだった。
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