潔癖症の松永先輩

 先輩と映画を観に行く約束をした当日。
 私は待ち合わせ場所の駅で、先輩を待っていた。

「幸村さん、お待たせ」
「いえ、そんなに待っていませんよ」

 やって来た先輩は、長袖のパーカーを着ている。
 薄手のものではあるが長袖を着るにはまだ暑い時期だ。
 表情はいつもと変わらず涼しげだが、首元は少し汗ばんでいる。

「先輩、暑くないんですか?」
「ん? ああ、大丈夫だよ」

 先輩は軽く微笑むと、気にすることなくそのまま映画館へ向かった。


 ◇ ◇ ◇


「座席、一番後ろでもいい?」
「はい。どこでも大丈夫です」

 返事をするとすぐに先輩がチケットを二枚買う。

「あっ、待ってください。私が出します」

 私がチケット代を払うつもりでいたのに、あっさり先輩が払ってしまった。

「いいよ」
「でも、お弁当のお礼ですし……」
「じゃあ、ドリンク、買ってくれる?」
「ドリンク……」

 チケット代と飲み物代ではかなり差があり、お礼にすらならない気がする。
 でも、チケットを持ちすたすたと歩いて行く先輩にそれ以上は言えなかった。

「わかりました……ありがとうございます」

 ドリンクを買うために並んでいると、大きな広告が目に入る。

 期間限定キャラメルいちご味ポップコーン……美味しそう。

 映画と言えばポップコーンだよな、と思いながら先輩の方を振り向く。

「先輩、ポップコーン食べませんか?」
「いや、いいよ。ドリンクだけお願い」

 あ、手が汚れるから食べないか。

 即答した先輩にそれもそうかと、私もドリンクだけを買うことにした。

「どうぞ」
「ありがとう」

 先輩にドリンクを渡し、座席のところまで行く。

 すると先輩はボディーバッグからアルコールティッシュを取り出し、肘掛けを入念に拭くとドリンクを置いた。

 うん。先輩は肘掛けを拭くと思ってた!

 私もバッグからアルコールティッシュを取り出すと、肘掛けを拭きドリンクを置いて座席に座った。

 けれど、先輩はまだ座っていない。
 風呂敷のような大きさのハンカチを取り出すと座席に敷き、パーカーのフードを深く被ると袖は手の先まで伸ばし腕を組んで座った。

 お互い黙ったまま、スクリーンに流れる注意事項の映像をぼんやり眺める。

「…………」
「…………」

 先輩、もしかしたら映画館嫌だったのかも……。

 暑いのに長袖のパーカーを着てきたのも、誰が座ったかわからない席に座りたくなかったから。

 急に不安になってきて隣に座る先輩をちらりと見たが、深く被ったフードに隠れて表情はわからない。

 そういえば、大学時代も先輩の私服はパーカーが多かったな……。

 天体観測の時、レジャーシートに寝転ぶ時もフードを被って寝転んでいる。
 空を見上げていたためフードで顔が見えなくなることはなく、星空の下で話をしながら時折先輩がフッと笑うのが好きだった。

 先輩、今どんな顔で映画観てるんだろう。

 最後まで先輩の表情を確認することは出来ないまま、映画は終わった。


 ◇ ◇ ◇


「映画、良かったね」
「はい」

 私が観たかった恋愛映画にしてしまったけれど、先輩は興味があっただろうか不安だった。

「最後、主人公が記憶を失くした恋人を迎えに行くところが感動したね」
「私も、すごく感動しました!」

 感想を話しながら、優しく微笑んでくれたのでほっと肩を撫で下ろす。

「……ごめんね、引いたでしょ?」
「え……?」

 突然の謝罪に驚き、先輩の顔を見上げる。

「ちらちら見てるの気づいてたよ。ハンカチ敷いたりフード被ったり、やりすぎだよね」

 先輩の顔はフードに隠れて見えなかったため、私が見ていることに気付かれているとは思っていなかった。
 失礼なことしてしまったかも。

「すみませんっ、違うんです。全然! 引いているとかではくて! 先輩、映画館嫌だったかな、と思って……」
「映画、観るのは好きなんだけどね。普段は家で観てるんだ」

 嫌だった、と言わないのは先輩の優しさだろう。

 不特定多数の人が飲食しながら座る映画館のシートに座ることは、先輩にとって嫌だったはずなのに。
 そんなことは少し考えればわかったはずなのに、そこまで思い至らなかった自分が不甲斐なく思えた。
 もっとちゃんと先輩の気持ちを聞くべきだった。

「私、先輩とデート出来ることに浮かれてました。もう映画館は止めておきましょう」
「いや、浮かれてたのは僕もだよ」

 全く浮かれた様子ではない先輩だったが、項垂れる私の顔を見てフッと笑う。

「次は映画、うちで観る?」
「えっ、う、うち?」

 まさか、家によばれるとは思わなかった。
 以前先輩の住むマンションで天体観測をした時もそのまま屋上へ行き、部屋には行くことなく帰ったため部屋に他人は上げないんだろうと勝手に思っていたのだけれど。

「そう、うち。嫌?」
「嫌なんてとんでもないです! ぜひ、お願いします!」

 先輩の顔を見上げ満面の笑みを向ける。

 先輩にとって私は家に上げても良い存在なんだとわかって嬉しくなった。




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