あの日 カサブランカで

 手早くシャワーを浴びて身支度を整えた麻美が村木野の横に並んだとき、水平線の向こうに金色の光が大きく伸びた。

 相模湾を舐めるように照らしながら眩しい光の塊がゆっくりと昇ってくる。

「きれいだねえ」

 朱色に染まったバスローブ姿の麻美の肩を抱いて村木野がつぶやいた。

「きれい…」

 うなずく彼女の顔が引き寄せられて彼の肩に落ちるとその髪の上に彼の頭が乗せられた。

 開け放たれたバルコニーの窓から入る朝の冷たい空気がふたりを包む。

「寒いかな?」

 背後にまわった村木野の両腕でしっかりと躰を抱きしめられて背中に彼の温かさを感じた麻美の顔が振り向かされると、その唇に彼の唇が重ねられた。

 昨日の夜思い出さされてしまった初めての“男”である塚本圭吾のことや、別れた元夫のことがほんの一瞬麻美の頭をよぎったが、たちまちのうちに村木野の唇でそれは吸い取られていた。

「麻美さん…」

「はい」

「今日は何の日かわかりますか?」

 いきなりそう訊ねられた麻美は、咄嗟にあっと思った。

 それは20年前、カサブランカの空港で村木野と別れたその日だったのだ。

 彼はそれを覚えていてくれた。




「あの日、カサブランカで…」

「そうだよ… あの日カサブランカで別れたんだ」

「ついこの間のようだわ…」

 ほんとうにそう思えた麻美の口からことばがこぼれた。

「あのね、麻美さん…」

「はい…」

「一緒にもう一度モロッコへ行きませんか?」

 まわした両腕で肩をしっかりと抱かれながら彼に耳元でそう囁かれて麻美は思わず鳥肌が立つのを感じた。

「はい、連れて行ってください。 ずっと一緒にいてください」

 かすれるような声で彼女は答えた。

(この人とずっと一緒にいたい…)

 強くそう思った麻美を、小さく何度かうなずいた圭一がいっそう力を込めて抱きしめた。

「圭一さん…」

 息が止まりそうになった麻美は、胸を締め付けている彼の腕を握り締めながら、初めてその名を呼んだ。

 輝きを増していく相模湾の冬の朝陽が、ひとつに重なった真っ白なバスローブを朱色に染め上げていった。

 
                    ―完―
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