あなた専属になります
正社員になったものの、現実は甘くなかった。

世界的な景気の落ち込みで、業績が伸び悩み、賞与は見送りになった。

手取りは思った以上に少なく、家賃や光熱費、交通費を払うと、ほとんど残らない。

「返済に回せるのは、これだけ……」

通帳の数字を見つめながら、胸が苦しくなった。

頑張っているのに、元本はほとんど減っていかない。

同僚たちが「旅行行こう」「次はどこで飲む?」と楽しそうに話しているのを横目に、
私は一人、帰りの電車でどうやって節約するかを考えていた。

食費を削れば少しは返済に回せる。

でも無理をして体を壊したら、働くことさえできなくなる。

どうしたらいいのかわからなくなって、夜ベッドに潜り込むと涙が出てきた。

正社員になれば、少しは楽になれると思っていたのに。

「……副業、探すしかないのかな」

* * *

仕事帰り、夜の街をとぼとぼ歩いていると、スーツ姿の男性が声をかけてきた。

「こんばんは。お疲れですか?」

「え……?」

突然の声に立ち止まると、彼はにこやかに名刺を差し出してきた。

「学生さん?それとも社会人?——短時間で稼げるお仕事、興味ない?」

怪しい。絶対に怪しい。
私は慌てて首を振った。

「すみません、そういうのは……」

「いやいや、危ない仕事じゃないよ。普通にお客さんと話すだけ。未経験でも大丈夫だし、勤務は夜だけ。君みたいに真面目そうな子に向いてる」

軽い口調でそう言われ、余計に怪しく思えた。
でも、渡された名刺を断りきれずに受け取ってしまった。

「よかったら連絡してみて」

そう言って彼は人混みに消えていった。

手元の名刺を見つめる。

白い紙に印刷された店名が浮かんでいる。

——絶対、関わらない方がいい。

そう思いながらも、名刺を捨てられなかった。
通帳に並ぶ冷たい数字が、私の手を止めていた。
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