ホテル・ラ・ソルーナ

第一夜:帰りたいと思える場所⑤

たあくんとの出逢いは、十六歳になったばかりの春。出逢ったというより、私が一方的に好きになって、こっそり目で追い掛け始めたのが始まりだった。高校の入学式で、隣のクラスの列の斜め前の椅子に座っていたたあくんに、一目惚れした。

 178センチ、65キロ。ツーブロックのベリーショート。一重まぶただけど、アーモンドを横にした形の大粒の目。瞳は真っ黒でアンニュイな三白眼。左目の涙袋の下には小さな泣きぼくろ。笑うと左の頬に深いえくぼが出現する。左利き。サッカー部。ポジションはミッドフィルダー。両親と妹の四人家族。彼女ナシ。好きな食べ物はびっくりドンキーのパインバーグディッシュ。好きな飲み物はメロンソーダ。嫌いな食べ物、きゅうり。好きなファストフード店、ロッテリア。好きな曲はエルレガーデンの「風の日」。

 と、まあ、これが一年かけて入手したストーカー千翠による、森本情報だ。一年もかかってこれだけ? と笑われるかもしれないが、それでもこれだけ集めるのにまじで大変だった。せめてクラスが同じなら、もっと情報を手にすることができたのだろうけど。なにぶん、クラスが違うことが最大の障害だった。

 でも、同じクラスにサッカー部のマネージャー、辻本春奈(つじもとはるな)がいてくれて、これまた仲良くなれたことが不幸中の幸いだった。春奈からは森本情報をけっこう横流ししてもらった。イコール、春奈には早い段階で私の好きな人がバレてしまったわけなのだけれど。それでもよかった。隣のクラス、サッカー部の森本くんと、帰宅部でちゃらちゃらとちょっと派手でやんちゃな部類の私には、全く接点がなかったから。
 
 そんな私はというと、スカートは短くて、カラコン、メイク必須で、髪の毛は茶髪で、西野カナを崇拝している女子高生だった為、ロックバンドなんて未知の世界だった。

「エラ、エル、レ? は? 誰だぁず?」

 森本くんがエルレガーデンというロックバンドを好きな事を知ってからは、放課後になると中学からの大親友の杉本莉花(すぎもとりか)を連れ回して、タワレコだのTSUTAYAだのと店舗を渡り歩いた。ジャーン、ギュイィーン。毎日、興味の欠片もないロックバンドのアルバムを片っ端から聴きまくった。莉花はそんな私を見て「恋って人をこうも動かすったが。やっべーな」なんて笑っていた。それでも良かった。親友に笑われたってバカにされたって、痛くもかゆくもなかった。どうにかして森本くんに一ミリでもいいから近付きたくて、接点を持ちたくて必死の一年間だった。

 普段はメイクくらいしか頑張らない、大雑把で面倒くさがりで男勝りな私が、全身全霊で頑張ったから、きっと恋の神様が味方してくれたんじゃないかと思う。

 高校二年の春、恋の神様が私に特大のご褒美をくれた。

「千翠、また同クラだねー」

 よかったあ、と若干甲高いアニメ声に肩を叩かれて振り向くと、莉花がトレードマークのハーフアップヘアで教室に入ってきて、私の席へ向かって来るところだった。莉花より一足先に学校に着いていた私は、正面玄関に貼り出されていたクラス分けの張り紙を確認して、内心発狂しているのをひた隠し、冷静を装って2年B組の教室に入った。森本くんと同じクラスだったのだ。そして、黒板に貼り出されていた座席表の出席番号に従って、その席に座った。

 窓際いちばん後ろの席。校庭も空も広々と見えて眺めは最高、日当たり良好、風通しも抜群。森本くんと念願の同じクラスになれただけで一生分の幸運を使い果たした気分なのに、席までこれなんて、新学期早々ツキまくっている。春休みにお父さんに懇願して機種変更したばかりのスマホでユーチューブを開き、エルレガーデンの動画を見ていたところに、莉花が来て覗き込んだ。

「うぅわっ、出たわぁ。好きだねー、エルレ」

「もーうっさいなぁ。めっちゃ良い曲ばっかなんだってば」

「まじー? 私には良さが分からんけど。バンドっつったら、ワンオクとか、ハイドさん? かろうじて、ラルクなら知ってる」

「分からんヤツっけ、さっさと席につけ。莉花、教卓の真ん前じゃん。最っ高うげるったけど! ほら、先生くっから」

 と犬を追い払うように手の甲でしっしっとジェスチャーすると、莉花は「拷問じゃん」なんてけらけらと笑って、最前列のど真ん中の席に歩いて行った。

 近所迷惑にならないように音量を下げて、窓の外に広がる青空を眺めながらエルレの曲に耳を傾ける。ガタン、と椅子を引く音にハッと我に返り、右隣を見て完璧にフリーズした。隣の席に座った男子とばっちり目が合う。一瞬、時が止まったような気分だった。

 ツーブロックのサイドに襟足。清潔感しかない、メンズベリーショート。すっと通った鼻筋に、大粒の一重まぶたの目とアンニュイな三白眼。左目の下の泣きぼくろ。

「あ……よろしく」

 緊張した面持ちで、彼が軽く頭を下げた。ぎょっとしてしまったと思う。カラコンが乾いた。一年前に一目惚れをしてこっそり追いかけ続けてきた森本くんが、隣の席に座ったのだ。私はカチコチに固まったまま、心の中で悲鳴を上げてのたうち回った。その時、スマホから風の日のサビが流れて、ハッと現実に引き戻された。

「わっ、ごめん! うるさいよね」

 慌てて音量を下げる。

「あー、待って! いいとこだから、聴きたい」

 にゅっとたくましい左手が伸びて来て、私の手ごとスマホをつかんだ。全身にビリビリと電気が流れたような、強烈な感覚だった。

「エルレ、好きなの?」

 覗き込むように首をかしげて見て来るそのキラキラのアンニュイでミステリアスな瞳に吸い込まれそうだった。

「あ……うん、好き」

 目を逸らすことが出来ずに、やっとの思いで返事をして、うなずいた。すると、森本くんは「俺も、エルレすっげえ好き!」そう言って、左頬にえくぼを作って、びっくりするくらいとびっきりかわいい笑顔を私にくれたのだった。

「俺、森本佑。よろしく」

「平野千翠。こちらこそ、よろしく」

 それが、私たちの始まりだった。始めは森本くん、平野さんとお互いを呼び合う、ただ席が隣のクラスメイト。そんな関係が続いた。流れでラインは交換したけれど、メッセージ交換はしたことがなかったし、休み時間に時々エルレガーデンについて語り合う、そんな関係だった。当時はエルレが活動休止期間だったから、復活して欲しいよね、とか、この曲もおすすめだよ、だとか。そんな感じだった。

 にぎやかでぎゃあぎゃあ騒いだり、メイクをしたり校則違反の常習犯だった私とは、まるで正反対の世界に森本くんは居たような気がする。

 森本くんは穏やかな性格で気遣い屋で、他の男子たちのようにやんちゃでもなくて控えめで、物静かなオーラをまとっていた。それでも友達は多くて、他のクラスからも森本くんに足を運ぶ同級生は多かった。その気持ちはすごく分かる気がする。森本くんと一緒に居ると妙に心地よいのだ。話をするわけでもなく、ただ隣の席にいてお互い別々のことをしているのに、居心地がいい。不思議なほど心が満たされるのだった。

 森本くんは男友達から人気があったけれど、女子からもモテた。ひとつ上の先輩たちは「母性をくすぐられる」と母になったことなんてないくせにそんな事を言って、ひとつ下の後輩たちは「優塩顔(やさしおがお)男子」なんて言って、森本くんに告白していた。

 森本くんの下駄箱にはしょっちゅうラブレターが入っていた。放課後になるとサッカー部の練習グラウンドのフェンスには、女子生徒が貼り付いていた。他の子目当ての女子も中には居たのだろうけれど、私には全女子がライバルに見えた。

 こんなんじゃいつ彼女が出来るか分からない、時間の問題だ、と毎日切羽詰っていた。かといって告白することも出来ずにうだうだしていたのだけれど。森本くんまた告白されたらしいよ、と情報が入ると「へえー」なんて興味の「き」の字もない振りをして、内心ではじだんだ踏んで気が狂いそうになっていた。この前告白した一年生の子、振られたんだって、と話を聞けば全力で胸を撫で下ろし心の中でスキップした。

 私はといえばエルレ仲間であって、ただそれだけで、何の進展もないまま夏休みを迎えた。特に何もないまま平和に夏休みが終わって、普通に二学期が始まった。

 そんな私たちの関係に変化が起きたのは、十月に入ってすぐのことだった。気持ちのいい秋晴れの日で、稲刈りの芳ばしい香りをひんやりとした風が運んで来た、やけに夕日が濃く美しい日だったことを覚えている。

 三日後に控えていた文化祭の出店の準備で、莉花とふたり放課後の教室に残っていた時。

「疲れだぐね?  10分休憩しよ」

 と莉花が開け放たれた窓枠に両腕を載せて、サッカー部が練習しているグラウンドを眺めながら、唐突に聞いてきた。

「千翠さあ、告白しねず?」

「は? なんっだず、急に」

「したばってさ、森本って地味にモテんじゃん」

 西日が降り注ぐグラウンドから、ピィーッとホイッスルの音が響いてきて、校舎に反響して、そして、秋の空に吸い込まれていった。

「地味にってなんだず、地味にって」

 莉花の隣に立ち、私もグラウンドを眺めながら大きなため息を吐き出した。

「でぎないんだって、告白なんかムリー」

「や、つか、まじで。頑張れって、千翠。このままだっけ、まじで持ってがれるがら。あの一年マネ子から」

 と莉花が私の脇腹を肘で小突く。

「それなー」

 夏休みが明けてからだ。サッカー部の一年生のマネージャーが、ほぼ毎日、昼休みになると、うちらの教室に出没するようになったのは。

「森本先輩」

 可愛い声で、彼を呼ぶ。彼女は声だけじゃなくて、外見も小動物みたいで可愛いから出没時間が近付くと気が滅入るったらない。顎ギリギリのラインでぱっつりと切りそろえられたミニボブが、細くて華奢な首をさらに細く見せる。きれいな平行二重まぶたに、ノーメイクなのに陶器のように色白の肌。

「これ、今日の個人メニューと全体練習のメニューだそうです」

 二年生のサッカー部リーダーをしている森本くんに、毎日、練習メニューリストを渡しに来ていた。二年のマネージャーの春奈もうんざり顔だった。

「夏休みの合宿以来、なんかさあ、あんな感じで森本にべったり。森本は相手にしてねったけど」

 千翠、とられるんじゃないよ、と春奈はフンと鼻で笑って、彼女にはノータッチ、関わりたくないオーラ全開だった。そんなドライな春奈が、一緒に文化祭の買い出しをしていた時、ぽろりとこぼした。あの子、文化祭の日、森本に告るみたいだよ、と。それを莉花にこぼすと「だっがら言ったべよ」と呆れられてしまった。ぐずぐずしてるからこうなるんだ、と。

「したばって、森本って、けっこう告られでるのに、全部断ってらったぐね?」

 えっ、と顔を上げると、莉花がぱちくりと瞬きをして、にんまりしながら右の親指を立てて、言った。

「ゲイだったりして、森本」

「はあーっ? てか、なんだぁずそれ! 古っ!」

 と親指をぎゅうっと握ってやると、莉花もカラカラと笑った。

 文化祭で私たちのクラスはたこ焼きの出店をした。店番は5,6人でひとグループになって交代制だった。森本くんと他の男子ふたりが焼き担当、私と莉花と春奈が売り担当をしていた午後の時間帯だった。彼女が現れた。例の一年生のマネージャー。彼女はたこ焼きは注文せず、森本くんを注文した。

「森本先輩、ちょっとだけお時間ありませんか? お話があるんです」

 頬と耳たぶまで赤くして、緊張したその様子から告白だと理解した。それは他の男子にも分かったようで、ひゅうひゅうと囃し立てるやつまで居て、めまいがするほど苛立った。

「ちょっとごめん。すぐ戻るから」

 と校舎の方へ遠ざかって行く森本くんたちの後姿をちらりと見て、真後ろにあったパイプ椅子に背中からダイブするように座った。椅子の背にもたれて、下唇をぎゅっと噛む。ティントリップの安っぽい味がますますイライラを掻き立てた。どうしよう。今回は付き合っちゃうかもしれない。あの子、私と違って小動物みたいで可愛いし。同性の私でさえ可愛いと思っちゃうくらいだし。

 あれ? 私って今までなにしてたんだろう。一年半もずっと目で追いかけるだけで、片想いのまま。せっかく同じクラスになって、席は隣で、ラインだって交換した。チャンスだらけじゃん。それなのに、ひとつも行動に移すことができない。私の方が好きなのに。あの子よりずっと前から、私の方が先に、森本くんに恋をしたのに。でも、告白をする勇気もない。グズな自分に腹が立って仕方なかった。

「千翠」

 莉花の手が肩に置かれて、その瞬間に、堪えていたものが一気にあふれてしまった。切なくて、苦しくて、胸が張り裂けるんじゃないかと思った。

「えっ、ウソ、千翠、泣いでらの?」

 まじ? と本当に驚いたようにぎょっとして、莉花が私の涙を隠すように頭ごと抱き締める。

「とられたくないぃ……」

 大好きなの。森本くんの低い声も、ささやくような話し方も。木の葉がそよ風に揺れるような、穏やかで優しい笑い声も。笑うと糸みたいに細くなるアーモンドみたいな形の目も、左の頬にだけできるえくぼも。エルレガーデンの話をしてる時の、宝石みたいに輝くミステリアスな三白眼も。左利きなのも。全部、好き。

 いつも脳天気で気が強い私がめそめそ泣く姿を、中学からずっと一緒の莉花はたぶんこの時、初めて見たのだと思う。

「千翠、行ぐよ」

 と私を引っ張り立たせると、男子たちに「千翠、体調悪いったあ」と言い張って、教室に連れて行ってくれた。窓際いちばん後ろの席で私が泣き止むまでずっと、莉花は根気強く傍に居てくれた。なにを話すわけでもなかったけれど、逆にそうしてくれたことに救われた。やっぱり親友なんだなあと実感した。

「さんきゅー、莉花。落ち着いだ」

 ずひっと鼻をすすってふぅとひとつ息を吐き出すと、莉花は呆れたように小さく笑った。

「喉、渇がない?」

「渇いだ。最高にコーラ飲みたい」

「オッケー、買って来る。待ってで」

 莉花が教室を出て行くと、私はまたスマホでユーチューブを流した。エルレガーデンの、風の日。涙が枯れるまで泣いたからだろうか。空っぽの体に、いつもと比べ物にならないくらい、歌詞が沁みた。開け放たれた窓から数種類の匂いが混ざって入ってくる。焼きそば、たこ焼きの芳ばしい匂いに、パンケーキだろうか、甘い……花の香り?

 ハッとして窓枠に手を掛けて身を乗り出し、周囲を見渡す。校庭は出店が並び、他校の生徒たちも居て賑やか。桜の木は木の葉が色づき始めている。更に身を乗り出して下を覗き込むと、ぶわっと上ってきた秋の風に乗って、甘い香りも一緒に私の頬をなでていった。

「わっ、やっば」

 太陽はいちばん高いところに居て、降り注ぐ光を浴びて青々と光る、深緑色の葉。濃い橙色の小さな花がぎゅうっと密集して風に揺れていた。甘く香っていたのは、満開の金木犀だった。

「めっちゃいい匂い」

 すうっと鼻から吸い込んで、金木犀の香りで、空っぽの胸をいっぱいに満たす。なぜか、とても懐かしいような気持ちになった。金木犀の香りに包まれながら、エルレガーデンの曲に耳を傾けてそっと目をつむる。

 キュッ、と上履きの底のゴムが床に擦れる音がして、莉花が戻って来たのだと思い勢いよく振り向いた。

「ねえ、見で! この下さ、金木、せ……」

 と出かけた声を反射的にごくっと飲み込むと、あれほど泣いたからか、仄かに涙の塩辛い味がした。

「えっ、あっ、ごめん! 莉花だと思って」

「ああ、いや。これ、その杉本から、持って行けって頼まれでさ」

「はあっ?」

 教室に入って来たのは、ペットボトルのコーラを左手に握り締める森本くんだった。最悪。泣きまくったから化粧取れちゃったし。莉花のやつ、あとで倍返ししてやるんだから。私と森本くんしか居ない教室に、沈黙が流れる。黒板の真上の丸い形の壁時計の秒針の音がコツコツと響いた。先に沈黙を破ったのは、森本くんだった。

「風の日、いいよな。俺も好き」

 穏やかに微笑んで、こっちに歩いて来る。コーラ置いとくよ、と私の机にペットボトルを置き、そして私の左隣に並んで立ち、

「あっ、なんだ? すんげえいい匂い」

 と彼もまた、金木犀の存在に気付き、窓から身を乗り出す。

「うわ! すっげえ、なんだぁずこれ。こったどごろさ木植えてらったの、知らねがったよなあ」

「んだったよ! 私も、いま気付いでさ! 金木犀だよね」

「へえ。金木犀か。いい匂い」

 再び、沈黙が流れる。

 さっきのマネジャーの子とはどうなったんだろう。告白されたんだろうな。付き合うの? 断ったの? どっち? 聞きたい。知りたい。でも、知りたい。気になり過ぎて苦しい。頑張って、聞いてみようかな。窓枠を両手でぎゅっと握り締めた次の瞬間、

「好き、なんだけどさ」

「へっ?」

 私は素っ頓狂な声とともに弾かれたように顔を上げて、首を傾げた。森本くんとばっちり目が合う。アンニュイな三白眼の黒曜石のような瞳に映り込む自分は、ぽっかりと口を開けてそれはもう間抜けな顔だった。

「あ、ごめん、急に。でも、けっこう前から、好き。平野さんのこと」

 返事は急がないから、と森本くんはくすぐったそうにはにかんで行ってしまおうとする。

「……ま、待って! 待って!」

 私は咄嗟に森本くんの左腕を両手でしっかり捕らえて、尋ねた。

「それって、私、森本くんの彼女さなれるってこと?」

 私の勢いと圧に驚いたのか、森本くんは「えっ」と少し仰け反って、固まった。固まる森本くんに、私は容赦なく詰め寄った。

「えって何? 違うった? 待って? 彼女さなれるんでないの? 違うの? 私も好き。彼女になりたい。だめ?」

「六個も連続で質問すんなよ。強っ」

 と森本くんは可笑しそうに笑って、「お願いします」と低い声で言った。

「俺の彼女になって。千翠」

 くらっくら、めまいがした。森本くんの笑顔が優しくて、真黒な瞳がくるくる光り輝いていて。金木犀の香りは甘ったるくて。幸せで、くらくらとめまいがした。

「千翠って呼んでいいった?」

「いーよ」

「やった。杉本さんとか春奈みたいに、千翠って呼びでがったんだ」

「したらさ、私もたあくんて呼んでいい?」

「うわ、なんそれ。恋人って感じだぐね?」

「は? 恋人だべ、うちら」

 その日から、千翠、たあくんと呼び合うようになった。莉花に報告したら、おてんば千翠もとうとう彼氏持ちかあー、なんて言いつつ、私よりも喜んでくれた。結局、ひとつ下のサッカー部のマネージャーの子がたあくんに振られた事は、春奈がこっそり教えてくれた。

 それからはたあくんの部活が終わるのを待って、一緒に帰ったり、週末にデートを重ねたり、喧嘩をして仲直りをして、高校三年生になっても私たちは仲良しだった。

 春、夏、秋、冬、と季節は本当にあっという間に巡っていった。
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